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2017年3月15日 (水)

記録と記憶

 この時期は三寒四温。元々は冬の気候の特徴を表す言葉が、現在では春先のこの時期に使われるようになったという。今日は県内公立高校の卒業式。「寒」にあたったようだ。

 高校卒業から数えて、ちょうど30年経ったことになる。卒業というのはどこかに記録されているのだろう。しかし、卒業式の記憶は残っていない。写真を見たこともないから、淡々と過ぎていったのだと思う。昔は覚えていたが、いつの間にか忘れてしまったというのではなく、その日の記憶はずっとない。

 高校に入学して間もない頃から、「卒業まで残り何年何ヶ月」とか、「あと何日」と数えるようになった。その先に何があるわけでもなく、何かをしたいわけでもなかったが、その場所は自分が居る場所ではないと感じていた。見えない何かに追い立てられながらも、“普通の道”を踏み外さないように、毎日毎日つまらない授業を受けていた。一刻も早く解放されたくて、終業のチャイムが鳴ると、いつも校門を出るのが1番早かった。

 特別に厳しいルールがあったわけではない。緩くも厳しくもない県立高校のルール、一般的な社会のルールに則って、近い将来、社会人として生きていくための基礎教育を受けていたに過ぎない。何かに束縛されていたわけではない。しかし、常に息苦しさを感じ、解放されたいと願っていた。好きな本や好きな歌ができたが、それは日々の生活の捌(は)け口として読んだり聞いたりしていた。

 30年経った。今もあの頃と同じ悩みの中にいるように思う。人の心根というのはいくつになっても変わらないものだという一種のあきらめがある。自分を縛っているのは自分が自身に課した薄っぺらなルールでしかないこともわかっている。それもひっくるめて“自分”だという所にたどり着く。

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