いじめのニュースを見聞きしていると、なんで不登校しないんだと思う。いじめの構造とパワハラ、過労死、過労自死の構造はそっくりなのに、不出社は推奨されない、応援されない。
ストレスはあるもの。ストレスの源を根本的に断ち切ることは不可能に近い。「ストレス解消の方法を見つけ、上手くつきあいながら暮らしていくしかない」。様々なところでそんなふうに書かれているが、全くそのとおりだと思う。
解消法の王道は、寝ること・食べること・飲むこと・話すこと。これに、運動することや趣味に時間を割くこともストレス解消法になる。
自分には2つのストレス解消法があった。没頭することと絶職すること。
就職した当初から、仕事はやりがいのある仕事だった。しかし、会社が持つ、企業文化・風土にずっと違和感を持ちながら働いていた。社会的に当たり前のことが当たり前ではなく、組織で引き継がれる暗黙のルールや行動様式が正解とされていた。そのストレスは半端ではなかった。
そんな頃のストレス解消法は、「没頭する時間を作ること」だった。入社から5年ほど経った頃、1人の役員と話す機会があった。「君の趣味は何だ」と問われ、まさか「競馬です」とは答えられず、「読書です」と答えた。それに対する反応は「読書は趣味ではない。本は誰でも読む」というものだった。
自分はノンフィクションとかドキュメンタリーとかルポルタージュと呼ばれるものが好きだったが、時代小説や推理小説、恋愛小説、SF、サスペンス、ホラー、ファンタジー、経済小説…。これを趣味ではないと切り捨てたら、世の中から、大半の趣味は無くなるのではないかと思った。
競馬は寛容な趣味だ。接し方次第では、一切の金銭的支出を伴わなくとも趣味にすることができる。
競馬を予想する時間は、予想だけに没頭した。時には快晴の芝生の上で、時にはひなびた場末の地方競馬場で。いくら残業続きの週末でも、仕事で使った脳と、競馬予想の脳とでは使う場所が違うのだろう。
没頭した後は、頭の中がスッキリとした。馬券が当たらないというストレスは常にあったが、その全責任は自分にあった。つまり、心が納得していた。仕事とは雲泥の差、天と地ほどの差があった。
【写真】彼(彼女?)にもストレスはあるだろうか。あるとしたら、ストレス解消法は何だろう。