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2017年3月

2017年3月31日 (金)

夜明け前

 3月31日が金曜日というのはとてもキリが良い。今日でリセットされることがいくつもあるからだ。1週間が終わり、3月が終わり、下期が終わり、28年度が終わる。週が明ければ、1週間が、4月が、上期が、29年度が始まる。

 時間軸の区切りばかりではない。組織改編等により現在の体制を改め、新たな仕組みで、新たなメンバーで。人事異動により新たな部署で、新たな土地で等々。これらは空間軸の変化と言える。

 終わりは始まりであり、3月31日は始まりの“前夜”でもある。自転する地球は南太平洋の島嶼(とうしょ)国・キリバスから順に、24時間かけて日付が変わり、夜明けを迎える。一方、閉塞した社会や閉鎖的な企業では、必ずしも順に夜明けを迎えるとは限らない。

 リーダーシップ、あるいは、キャプテンシーに長けているとされる彼に、贈る言葉があるとすれば。

 「品格・品性、倫理観とコンプライアンスの遵守」。これを第一義として、取り組んで欲しい。

2017年3月30日 (木)

春に冬物を買う

 アパレルブランドの冬物バーゲンは12月に始まる。夏物は7月に始まる。これから冬本番、夏本番という時期にバーゲンが始まるのはファッションに疎い自分には、いまだに理解できない。

 3月も最終週。この時期になるとアパレルブランドはおろか、ファストファッション、衣料品量販店の冬物バーゲンセールですらとっくに終わっている。陳列されているのは残り物ばかりだが、この時期に衣類を買うことが少なくない。先日、量販店で迷彩柄のシャツを、スポーツ用品店でマウンテンパーカーを買った。それぞれシーズン当初の価格から60%OFFと70%OFF。

 流行り廃り(はやりすたり)はあるにはあるが、基本的なスタイルが1年で激変するということはない。合理的と捉えるか、セコいと考えるかは人それぞれ。「いつ着るの? 来年でしょ!」だ。

2017年3月29日 (水)

送別会雑感

Hanataba 送別会シーズン。ここ数日がピークだろうか。午後8時過ぎの駅前通り。この時間は、塾の迎えの車で混み合う時間帯だが、今日は川向こうの式場から来たマイクロバスが数台、宴会客を降車させていた。バスから降りた人たちは、駅の方向に歩き出したり、ハザードランプをつけた車に乗り込んだり、足早に立ち去ったりと、方々に散っていく。中には2次会に向かう人たちもいるようだった。

 送別会の「回数と時間と2次会」について、ずっと疑問に思っていたを。

1.回数  送別会は組織の内向きの会合の中で、最重要な行事だろう。とても大切な行事というのはわかるが、送別会の回数ってどのくらいだろう。部内で、課内で、係内で…と複数回行われるのが実態ではないだろうか。送別される側、送られる側が、実は多忙を極めているという場合が多い。送別された経験がある人ならば理解できるだろう。残務整理・引き継ぎ、取引先等との社外の送別会、新生活の準備…これらが仕事+プライベートで2倍になる。公(おおやけ)の送別会は1回にして、あとは気が置けない人たちと別れを惜しむ、というのが理想ではないだろうか。なにも送別会の回数が惜別度数というわけではないだろう。

2.時間  これは送別会に限った話ではないが、適切な式の時間ってどの位なんだろう。内々の会などでは3時間に及ぶこともあった。そんな時は、ほとんどの出席者が飽き飽きしていても、太鼓持ちと主賓だけは盛り上がっている。宴席というのは、イコール、酒席という場合がほとんどだ。酒席が苦手という人は多く、誰もが皆、好んで参加している訳ではない。仕事で、役割で、命令で、つきあいで…。幹事や仕切り役として臨んだ宴会が120分を過ぎた頃「いつまでやるんだ」とクレームを受けたことがある。反対に90分で締めた後、「早すぎる」と叱られたこともある。いずれも指示を受けて決めた時間だったが、酒席の時間というのは難しいものだと感じた。自分は「100分」がスマートだと思う。「1次会はセレモニー。飲みたい人は2次会で」というのが合理的だと思うからだ。

3.2次会  これも送別会に限った話ではない。本来の2次会は、宴会が終わった後、場所を変え、再び開く宴会のこと。自由参加が大原則だが、そうではない悪しき慣例を持ったところが少なくない。あらかじめ、2次会々場を手配するのが幹事の基本というのはわかる。ひどいケースでは事前に参加者もフィックスされることがある。こういう幹事を名幹事を呼ぶ人もいるが、名幹事は太鼓持ちであることが多く、名幹事や太鼓持ちは“社畜”であることが多い。

2017年3月28日 (火)

放射線監視システム  

 新潟県の広報(新潟県防災局原子力安全対策課)に「県内の放射能の値をリアルタイムでご覧いただけます」とあった。

 新潟県環境放射線監視テレメータシステム  http://housyasen.pref.niigata.lg.jp/

 同じ広告に「柏崎原子力広報センターでも放射能の値をご覧いただけます」(公益財団法人柏崎原子力広報センター)と掲載されている。

 放射能の値を公開するのに、監視する側もされる側もないということか。

 新潟県は放射線監視システムを稼働させている。電力の最大の受益者が最多数住んでいる東京都は同じようなシステムを持っているのだろうか。新潟県のシステムと公益財団のシステムは違うものなのだろうか。公益財団は誰のどんな金で設立され、運営されているのか。理事長や職員はどんな経歴だろう。肝心の監視システムHPでは、半径5㌔、同10㌔の表示にとどめているのはなぜだろう。15㌔、20㌔、30㌔の表示があって当然だろう。こういう胡散臭さが信頼感を損ねている。

2017年3月27日 (月)

コーヒーカップ

Dsc_0655 週末は2台の車のタイヤ交換と献血。献血は400mlを年に3回。400mlといえば…。

 コーヒーカップを買った。計ったわけではないが、これまでのカップは270ml以上注げる大きさだった。新しい物は160mlくらい。

 小さくしたので飲みやすくなった。最後まで温かいうちに飲めるようになったし、適量になった。“些細なことであっても、結果はかなり変わる”という典型だ。

 「c`est bon la vie」は「素晴らしい人生」という意味。 lavie というのは la vie と区切るのだろう。100円均一の商品にそこまでは求めない。

 献血も“些細なことであっても、結果はかなり変わる”という典型のひとつだ。

2017年3月26日 (日)

三屋清左衛門残日録

Zanjitsuroku_2 藤沢周平の名作をテレビドラマ化した「三屋清左衛門残日録 完結編」を観た(時代劇専門チャンネル/BSフジで放送された録画)。

 藤沢作品は映画や単発ドラマには向かない。映画やドラマの“制限時間”である90分から150分では物足りないという意味で。藤沢氏は自身の作品の映像化に慎重な人だった。

 藤沢ファンの多くは原作を読み、自らの中に登場人物の姿を作り上げる(もっとも、藤沢氏没後20年が経過した現在、原作派は減っているのかもしれないが)。前もってキャストを知っていても、感情移入するまで時間がかかる。その点、連続ドラマには良質な作品が多いと感じる。1週間の放送間隔を置く中で、キャストが主人公と重なっていく。やがて最終回を迎える頃には、主人公とともに演じたキャストにも恋をしている。

 自分が感心した演技のひとつに「蝉しぐれ」(2003年・NHK)で、主人公・牧文四郎の父・牧助左衛門を演じた勝野洋の演技がある。藤沢作品だから、という多少のバイアスはあるかもしれないが、勝野洋氏は更に評価されて良い俳優だと思う。自分が最も好きな俳優を選ぶとすれば彼の名をあげる。演技の他にも彼にひかれる理由はいくつかあるが、プライベートを切り売りしないこともひとつある。

 藤沢周平氏没後20年。時代劇専門チャンネル/BSフジでは「橋ものがたり」を映像化するという。勝野洋氏がキャスティングされるといいと密かに願っている。

2017年3月25日 (土)

「世界史への問い」ほか

Sekainikouzouka 冬物と春物の衣類を入れ替えた。冬の間に平積みになった本を、保管するものと処分するものに選り分けた。スペースのない棚に押し込むと、こんな時、捨てようか迷っては思いとどまる本がある。

 岩波書店から刊行された 「シリーズ 世界史への問い」(全10巻) の刊行期間(1989年10月から1991年10月)は、自分の学生時代(1988年4月から1992年3月)とほぼ重なった。

 1巻 歴史における自然 / 2巻 生活の技術 生産の技術 / 3巻 移動と交流 / 4巻 社会的結合 / 5巻 規範と統合 / 6巻 民衆文化 / 7巻 権威と権力 / 8巻 歴史のなかの地域 / 9巻 世界の構造化 / 10巻 国家と革命

 自分はこの「シリーズ 世界史への問い」から、後々、大きな影響を受けた。そして、以下の本も。 

 本多勝一 氏 「貧困なる精神」シリーズ モノの見方の多様性、捉え方の他面性を教わった。

 鎌田 慧 氏 「自動車絶望工場」(文庫) 学生時代を“バブル期に首都圏の片隅で引っかかるように過ごしていた自分”と何かが重なった。

 広瀬 隆 氏 「東京に原発を!」(文庫) 田中角栄の金権政治、利益誘導型政治が、日本の政治において諸悪の根元とされる中、金と引き替えに原発のリスクを背負う地方や首都圏の華やかな暮らしのために電力を送る地方があることに矛盾を感じていた。出稼ぎの時代とさほど変わらない社会構造を目の当たりにして、東京への不信感、都会人への不信感を抱いていた。

2017年3月24日 (金)

じょんぎ買い

 「冠婚葬祭の取引、3割で独禁法違反の疑い」 公取委調査(朝日新聞から引用)

 「新郎新婦の写真入り商品を引き取らされたり、関係のないゴミの処分をさせられた」- 公正取引委員会が冠婚葬祭に関わる取引について調査したところ、約3割で独占禁止法違反(優越的地位の乱用)の疑いがあった。結婚式の減少や葬儀の簡素化による市場縮小のしわ寄せが、立場の弱い納入業者に押しつけられている構図が浮かんだ。公取委は今年度、ブライダル業者や葬儀業者に3,500通、納入業者に7,000通の調査票を送り、それぞれ半数近い回答を得て独自に分析した。その結果、ブライダル業者に納入する業者からの回答のうち、38%で独禁法違反になりうる行為が見つかった。例えば、「新郎新婦の名前や写真が入った商品を、予定より出席者が少なかったことを理由に返品された」や「結婚式前日に人前式だったことを告げられ、牧師のキャンセル費用を負担させられた」などだ。

 新潟の方言で「じょんぎ」というのがある。義理とか礼儀とかおつきあいという意味だ。「じょんぎ買い」と言った場合、“おつきあいで買う”という意味になる。本来、必要ではないのだが、個人的なつきあい、会社とのつきあいなどで商取引が行われることを指す。

 記事の例は。とても「じょんぎ買い」の範疇ではない。商取引に名を借りた“弱い者いじめ”だろう。しかし、需要と供給に基づいた取引ではないという点で、構造は同じ、根っこは同じだと思う。顧客からの要請、上司からの指示で「じょんぎ買い」することは誰もが経験したことがあるだろう。

 日本の商取引から「じょんぎ買い」やそれに類するものが無くなったら、日本のGDPは10%下落するのではないか?大げさではなく、それほど商慣習化している。

2017年3月23日 (木)

不始末に始末を

 2018年サッカーワールドカップ・アジア最終予選(アラブ首長国連邦戦・タイ戦)に臨む日本代表25人に、所属クラブであるACミランで出場機会を失っている本田圭佑が招集された。日本代表のハリルホジッチ監督は、「本田を必要としている」と断言し、大黒柱への信頼感を口にした。

 本田は「所属クラブで試合に出ていない人間が代表に選ばれるのはどうかという意見は理解できる。日本だけじゃなく、世界でも、サッカー以外の世界でも、スポーツに限らず、当然起こり得ること。活躍して結果を残さないといけないという。皆さんに好きにものを言わせているというのは、俺の不始末だと思う」。続けて「日本が勝てばいい。本田抜きでも勝てば、それでいい。自分がこの状況で国民や監督に必要とされないとなるのは自分の不始末。それを解決できるのも自分。俺を必要とするかどうか監督が決めればいい。自分のやるべきことはやる。自分の仕事は変わらない。勝てばいい。とりあえずはW杯に行くこと」。

 彼を見ているとバネのような選手だと感じる。身体能力はもちろん精神的な面でも。類い希なるスポーツ選手。バネは縮んでから真価を発揮する。間もなくキックオフとなる対アラブ首長国連邦戦。これまで同様、彼に期待する。

2017年3月22日 (水)

逆境を生きる等

Dsc_0657 城山 三郎氏(1927(昭和2)年8月18日- 2007(平成19)年3月22日)は戦後を代表する政治・経済小説の作家。城山氏の名前は、小学生の頃から知っていた。父の本棚に「役員室午後三時」と広田弘毅を描いた「落日燃ゆ」があったからだ。今思えば城山氏の最盛期に書かれた小説だ。

 城山氏にひかれたのは氏の最晩年にあたる時期だった。城山氏は個人情報の保護に関する法律(2003年(平成15)年5月成立、2005年(平成17)年4月施行)の制定に反対していた。法制化に反対する集会に参加し、「言論の自由が脅かされること」への重大な危険性を訴えていた。時の首相・小泉総理大臣に法案の廃案を求める書簡を送ったり、国会参考人質疑で意見陳述したり。穏やかで華奢(きゃしゃ)な見かけの老紳士が、燃えたぎる闘士のように映った。

今日、2017(平成29)年3月22日は、城山氏が亡くなってから10年目。彼が「メディアの手足を縛ることに繋がっていく」と危惧していたことが、特定秘密の保護に関する法律(2014年(平成26)年12月施行)などで現実のものになっている。(普通に戦争ができる)「普通の国」への地ならしが進んでいる。

 城山氏の死後に出版された「そうか、もう君はいないのか」(2008年)はベストセラーになった。その後の「どうせ、あちらへは手ぶらで行く」(2009年)、「逆境を生きる」(2010年)、「よみがえる力は、どこに」(2012年)等を含め、城山氏の随筆集には箴言が並ぶ。

2017年3月21日 (火)

枠の中・箱の中

Media 数日前に「芸能人の給料」について記した。たまたま、こんな話題が伝えられていた。

 ある脳科学者が「日本のお笑い芸人たちは上下関係や空気を読んだ笑いに終始し、権力者に批評を向けた笑いは皆無。大物と言われている人たちは、国際水準のコメディアンとかけ離れている」と、日本のお笑い界を批判した(ツィッターへの投稿)。 

 これに対し、芸人の何人かが反論した。1人は「脳科学者自身が面白くないから全然刺さらない」とコメント。コメディアンが権力者を批評することについて、「笑いの取り方として一番安易な方法。誰でも出来ることだから日本の芸人はやらないだけ。そこを言われても」と批判に疑問を呈した。また、別の芸人は「うるせえよバカ」と反論した(笑)

 脳科学者の「つぶやき」を意見とか指摘と受け取るのもどうかとは思うが。煽っているインターネットメディアの問題はひとまず置いておく。まず、脳科学者の考え方を当たっていると受け取るか、的外れだと受け取るか。自分は「的外れではあるが、つぶやきに賛同する」。理由は、結果的にその通りであり、事実だからだ。

 反論を行った芸人は、脳科学者が「上下関係や空気を読んだ笑いに終始する」という指摘が「全然刺さらない」としたが、これには別の意味があるように思う。現在のメディアで「空気を読まなければ、継続的に・効率良く・高いギャラを得ることができる“キー局テレビ番組”に出演できない」という現状がある。テレビという枠の中・箱の中に居ることしか、彼らが生きる場所はない。つまり「あんた、何言ってるの」ということだろう。確かに、的外れな意見は刺さらない。

 脳科学者の発言は、反トランプで彼を風刺し、笑いに変える欧米のコメディアンとの対比で述べられたものだと思う。しかし、欧米のコメディアンたちは「支持を受けるために批判している」という側面があるのではないか。つまり、彼らも日本の芸人と同じように“空気を読んで”権力者を批判している。

 権力や権力者を批判し、政治的発言をする芸人に嫌悪感を感じやすいのが、我々(日本)の社会。権力や権力者を批判し、政治的発言をする芸人に親近感を感じやすいのが、欧米の社会。そのような社会の違い、文化・風土・風潮の違いを度外視して「国際水準」という批判は的を外している。そのことを日本の芸人たちは売れるために知っているし、養成学校を卒業して芸人になるご時世に、脳科学者のつぶやきは唐突でもあった。

 但し、日本の芸人たちが権力を批判する役割を全く負っていない、やっていないというのは紛れもない、確固たる事実だろう。大物芸人のテレビ番組に首相や大臣等が出演する機会が稀にある。普段は絶妙な突っ込みを入れる芸人たちが“借りてきた猫”のように権力者たちの横で愛想笑いしている姿を観ることになる。所詮、芸能界の枠の中・テレビという箱の中なのだ。

2017年3月20日 (月)

千年こうじや/魚沼の里(南魚沼市)

Hakkaisan_amasake 八海山は新潟県南魚沼市にある標高1,778mの山。同じ南魚沼市にある越後駒ヶ岳、中之岳とともに越後三山の1つに数えられる。古くから霊山として信仰の対象となってきた。

 新潟を代表する銘酒「八海山」は、その名のとおり八海山の麓で醸造・製造されている。八海山の麓・長森地区に「魚沼の里」という施設がある。八海山を製造販売する八海醸造が運営し、端的に表すならば“魚沼の食と自然のテーマパーク”といったところだ。

 のどかな里山を背景に、八海山の醸造蔵(第二浩和蔵)、雪を活用した貯蔵庫と食品・雑貨等の販売所を兼ねる八海山雪室、雪室千年こうじや、そば屋長森、うどん屋武火文火、菓子処さとや、つつみや八蔵(包む・ラッピング)、菓子工房ブランドゥブラン、社員食堂を兼ねた食事処(みんなの社員食堂)、さとやベーカリー等が点在する。訪れる度に、新たな施設が出来ている印象だ。

 「千年こうじや」は雪深い魚沼の知恵と工夫で築かれ、受け継がれてきた独特の食文化、特に越冬食材とするために麹や酒粕、味噌などの発酵食品を使った食文化を伝えている。豪雪のひなびた農村で雪国人が生きるために加工していた食品が、現代の鮮やかなガラス瓶やモダンなデザインの容器に詰められ、彩り豊かに蘇っている。中でも、「麹だけでつくったあまさけ」は、供給が追いつかない状況が続いているという。

 駐車場には地元ナンバーの車にとどまらず、関東各地のナンバーをつけた車が並ぶ。関東から、関越トンネル通って至る南魚沼は、新潟県最大の玄関口と位置づけていいだろう。関東からは優に日帰り圏にある。冬は豪雪に見舞われる地域であるものの、実は玄関口として「地の利」がある。自然、水、米、酒。その地の利にいち早く気づき「八海山」という銘酒を背骨に、「魚沼の里」にみられる各種の事業を手足として展開した八海山グループの南雲社長は、雪国に障害がないことを証明して見せた。

 魚沼の里 南魚沼市長森 関越道六日町ICから10㌔程度 営業時間:10時~17時 定休日:なし

2017年3月19日 (日)

春雷

 深夜、激しく鳴り響く雷の音で目が覚めた。「春雷」だ。

 春を知らせ、地中の虫たちを目覚めさせる「虫出しの雷」と呼ばれる。

 今週、県内には“雷鳴”が轟いた。新潟県に本社を置くトップバンクとセカンドバンクが経営統合(持ち株会社設立)するというニュースは、春雷のごとく県内に響き渡った。全国的にみれば、金融庁が推し進める「地方金融機関の再編・統合の流れ」に沿ったニュースだが、新潟県の経済界、企業、住人にとっては、近年稀に見る激震でもあった。

 これまで遠い地域で起こっていた金融機関の再編・統合の雷雲が頭上を覆っている。報道では「持ち株会社を設立する方向」と伝えられる。引き続き両行が存続し、2つが1つになるという事態は当面の間は避けられそうだが…。地方銀行はその名が示すとおり、地方の銀行だ。自行の営業地域と共存共栄すること以外に存在意義がない。

 深夜の雷は、すぐそばに落ちたような気がした。稲光を光らせ、雷鳴を轟かせながら、徐々に遠のいて行った。春雷は春の訪れを告げ、虫たちを目覚めさせる。今回の春雷に似た統合劇が、新潟に春をもたらし、新たな命を育んでいくきっかけになるかもしれない。雷の音が響く寝床で、そんなことを考えながら、毛布をかぶりなおして寝た。

2017年3月18日 (土)

芸能人の給料

 迫り来る「自動化社会」に向けて、ロボット税・人工知能税の導入議論が始まった。「ロボットや人工知能が人間の仕事を奪い、生活を破壊しかねない懸念が示されている。その衝撃を緩和するため、税徴収を検討すべき」という主張。

 まったく異なる話になるが、テレビを見ていて考えていた「広宣税」(広告宣伝税)の話を記す。完全なる雑感とヨタ話。

 最近、テレビなどで若手・中堅芸人が自分の給料を公言している場面をよく見る。実際は「言わされている」のが実情で、特に若手お笑い芸人となれば、その場の空気を読んでのリアクションだから、半分はかわいそうにという気持ちで見ている。金額の音声に擬音が被せられたり、テロップで隠されたりする例もあるが、最近は「3百万円(月収)です」など、そのまま放送されることも多い。

 常にテレビや映画などで活躍する一流芸能人や売れっ子芸人がどのくらいいるのか不明だが、こんな推定をしてみる。東証1部に上場する企業はおよそ2千社。それぞれの会社に役員が10人いるとすると東証1部上場企業の役員数は2万人。常にテレビ・映画で活躍する芸能人が2万人はいないだろうし、社長の数と同じ2千人でも多いだろう。そう考えると、売れっ子芸人は上場企業の社長よりも貴重な存在であり、それよりも上の給料(ギャランティ)を貰っても何ら不思議ではないことになる。

 テレビ番組の中で収入を公開する芸人たちは、「夢がある」とか「希望がある」と前向きな発言で、概ね好意的な受け取られ方をしている。特に芸人と言われる人たちは、売れる保証など全く無い中で生活してきており、売れた時に“稼げるだけ稼ぐ”必要があることも理解できる。そもそもそういう世界、そういう仕組みは芸能人が作った訳ではない。彼らの給料の源泉は民間企業の広告宣伝費だ。広告宣伝費は企業の商品やサービスを消費者が買うことによって生じる。企業の商品宣伝などがテレビ局やラジオ局、雑誌などの媒体に流れ、そのコンテンツの一部として、彼らが活躍する場所がある。広告の成果に貢献する価値ある芸能人は、月収3百万円、1千万円、3千万円…。

 一方、消費者であるサラリーマンの平均給与は調査する機関によって様々だが、平成26年国税庁民間給与実態統計調査では平均年収が415万円。およそ40%の人が年収300万円以下の世の中だ。

 年収ラボ http://nensyu-labo.com/ 

 話が飛躍するのは承知の上で、アメリカのメジャーリーグには「課徴金制度」(別名:贅沢税)というものがある。企業が計上する広告宣伝費の合計はどのくらいになるんだろう。その10%が広宣税として徴収されたとしたら、誰が得をして、誰が損をするだろう。

2017年3月17日 (金)

運用リスク

20170317_2 日本経済新聞(3/9)の記事。以下、引用。

「金融庁、地銀に特別検査 まず3グループ」  米金利上昇、外債で運用損  金融庁は地方銀行に対し、運用部門に焦点をあてた特別検査を実施する。地銀は日銀によるマイナス金利政策の導入で投資しにくくなった国債に代わり、少しでも高い利回りを求め、外債や複雑な仕組みの運用商品への投資を膨らませている。足元の米金利上昇で多額の含み損を抱えたり、実際に損失を出したりしている地銀が多いため、警戒を強める。~後略~

 日本経済新聞(3/10)の記事。以下、引用。

「地銀の運用リスク 注視」  金融庁が地方銀行の運用部門に焦点を当てた検査に乗り出す。昨年11月の米大統領選を境に米国の長期金利が急上昇し、数百億円単位で損失を計上する地銀が出てきたためだ。運用リスクを管理できているかなどを確認し、問題があれば改善を促す。将来の不安の芽を早期に摘み、金融システムの健全性を高める。金融庁が第1弾として立ち入り検査に入るのは岐阜県、新潟県、山形県と秋田県に傘下の銀行を持つ3グループ… ~後略~

 3/9の記事と3/10の記事、そして3/17に「新潟 2地銀 統合へ」と続く。関連はないのだろうか。

2017年3月16日 (木)

地銀再編の波

Oaishihokuetsu 週刊ダイヤモンドのスクープ(以下、抜粋して引用)

 新潟県の地方銀行で最大手の銀行(新潟市)と二番手の銀行(長岡市)が経営統合する方向で調整に入ったことが、16日分かった。4月にも基本合意を交わした上で、2018年春をめどに統合を目指す。統合の形態は共同持ち株会社を設立して、2行が傘下にぶら下がる方式を検討している。将来的な2行の合併も視野に入れる。2行は統合による規模の利益の追及などによって経営効率を高め、今後の生き残りを図る。2016年9月末時点での2行の連結総資産額を単純合算すると、8.2兆円。統合が実現すれば、全国の地銀約100行・グループの中で10位台に浮上する、大規模な地銀グループが誕生することになる。2行を経営統合へと突き動かした要因は二つ。ここ数年で相次いでいる他の地銀再編と同じく、地元地域の人口減少と超低金利環境だ。2行が地盤を持つ新潟県における25年時点での15~64歳人口は、10年時点と比べて約2割も減少するという推計(13年3月)が出ている。また、経営環境も日本銀行によるマイナス金利政策の導入以降、一層厳しさを増している。超低金利の状況において、利ざやの縮小が進んでいるためだ。対前年同期比で見た、2行の16年4~12月期決算における業績がそれを示唆している。一般事業会社の営業利益に当たる実質業務純益では、一方が26.7%減の117億円、一方が18.9%減の65億円。さらに、連結経常利益では2行共に3割以上の減少という苦境に陥っている。この状況が長く続けば、将来的に地元である新潟県の地域金融を支えられなくなるかもしれない。そんな危機感が2行を統合交渉のテーブルに着かせた。地銀としては、競争の排除などを目的とした「銀行のため」の再編ではなく、「地域や顧客のため」の再編であることを示す必要があり、その公約を実現する覚悟と実行力が問われることになる。

 週刊ダイヤモンド3/25号(3/21発売)で詳細が報道されるとのこと。

2017年3月15日 (水)

記録と記憶

 この時期は三寒四温。元々は冬の気候の特徴を表す言葉が、現在では春先のこの時期に使われるようになったという。今日は県内公立高校の卒業式。「寒」にあたったようだ。

 高校卒業から数えて、ちょうど30年経ったことになる。卒業というのはどこかに記録されているのだろう。しかし、卒業式の記憶は残っていない。写真を見たこともないから、淡々と過ぎていったのだと思う。昔は覚えていたが、いつの間にか忘れてしまったというのではなく、その日の記憶はずっとない。

 高校に入学して間もない頃から、「卒業まで残り何年何ヶ月」とか、「あと何日」と数えるようになった。その先に何があるわけでもなく、何かをしたいわけでもなかったが、その場所は自分が居る場所ではないと感じていた。見えない何かに追い立てられながらも、“普通の道”を踏み外さないように、毎日毎日つまらない授業を受けていた。一刻も早く解放されたくて、終業のチャイムが鳴ると、いつも校門を出るのが1番早かった。

 特別に厳しいルールがあったわけではない。緩くも厳しくもない県立高校のルール、一般的な社会のルールに則って、近い将来、社会人として生きていくための基礎教育を受けていたに過ぎない。何かに束縛されていたわけではない。しかし、常に息苦しさを感じ、解放されたいと願っていた。好きな本や好きな歌ができたが、それは日々の生活の捌(は)け口として読んだり聞いたりしていた。

 30年経った。今もあの頃と同じ悩みの中にいるように思う。人の心根というのはいくつになっても変わらないものだという一種のあきらめがある。自分を縛っているのは自分が自身に課した薄っぺらなルールでしかないこともわかっている。それもひっくるめて“自分”だという所にたどり着く。

2017年3月14日 (火)

傘、カバン、ハンカチ、腕時計

Kasa_kaban 合理的な考え方が好きだ。「倫理的であること、論理的であること、合理的であること」そんな生き方に憧れている。

 可能な限り、傘、カバン、ハンカチ、腕時計を持ち歩かないようにしている。これを合理的だと考えるのは、考え方が偏向しているだろうか。単に“ものぐさ”なだけか。

 一部の国では傘を持ち歩く習慣がないと聞く。そもそも、世界にはほとんど雨が降らない国や地域があり、そういった気候条件にある国が多数を占める。多少の雨に濡れることをいとわない文化がある。日本で傘をさして1キロ歩くという場面は想像しにくい。数百メートル程度なら、軽く走ることにしている(走ったからといって濡れない訳ではない)。傘を持って歩く煩わしさよりも、多少濡れることを選択する。

 仕事でカバンを持たないというのはかなりハードルが高い。ある時期、通勤カバンを持たなかったことがあった。その間は、かなり快適で「何でもっと早く気づかなかったのか」と後悔したくらい。プライベートでは十分に可能だ。財布を軽量化するのがコツ。

 ハンカチはスーツのポケットに入れているが、普段着では持たない。公共トイレを含め、トイレの手洗いがエアブローになったことで、ハンカチ最大の出番が激減した。エアブローのないトイレといって真っ先に思い浮かぶのは自宅のトイレだろう。

 時計はスマホで代用可。

2017年3月13日 (月)

星長豆腐店(長岡市栃尾)

 長岡市栃尾(旧栃尾市)の町中には、刈谷田川とその支流である西谷川が流れている。2つの川に架かる橋は桁橋で、アーチ橋ではない。そのため、町と川が一体化し、景色が美しい。落ち着く風景だ。

 栃尾は母の実家がある町。幼い頃、母に手を引かれて橋を渡った。当時から、西谷川の流れは速く、流れる水も冷たかったように思う。橋を渡る時、母が話す声は聞こえなくなったし、橋の上の空気はひんやりとしていた。今の時期は雪解け水が流れ、川の流れは更に速くなる。

 繊維産業の衰退とともに、町の活気は失せたが、代替わりに成功し、あるいは業態を変え、特色を持った店は生き残っている。

 星長豆腐店は濃厚で豊かな風味の「おぼろ豆腐」が有名。種類も豊富。黒蜜で食べる「おぼろプリン」や、もちろん油揚げもある。

 星長豆腐店 長岡市栃尾大野町1-2-27

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2017年3月12日 (日)

繊維の町・糸の匂い

Pixta_201703 繊維と書いて“せんい”と読む。子どもたちは読めるだろうか。繊維産業が日本を支えていた時代があった。そんな時代の末期に、繊維の町に産まれ育った。

 路地裏のあちこちで、糸繰り機が回る音がした。糸繰り機は「ガシャガシャガシャガシャ」という音を立てて回った。

 ある夏の日、短いブザーが鳴って機械の音が止んだ。急に蝉の鳴き声が聞こえてきた。しばらくすると、再び短いブザーが鳴って、機械が動き始めた。「休憩時間だったのか」と気づく。

 糸繰り機が動く側では、独特の“匂い”がしていた。繊維の匂い・糸の匂い。その匂いが好きだった。 

 新しい服を買ってくると、思い切りその服の匂いを嗅いでみる。あの匂いが糸繰り機や町工場や遊び回っていた路地裏の匂いに似ている。あれが見附の匂い、故郷の匂いだ。

【写真】糸繰り機(PIXTA素材写真から)

2017年3月11日 (土)

2017.3.11

Dsc_0592 「2011年3月11日」から6年。あの日、新潟市内にいた自分は、それまで経験したことがない波打つような横揺れが数分間続いたことで“かつてない大地震”であることを理解した。 

 記憶している中で最初の地震は、宮城県沖地震(1978年6月12日17時14分)だった。家のガラス窓が音をたてて揺れ、築100年を超えていた家が倒壊するのではないかという恐怖で、裸足のまま玄関を飛び出した。数日後の余震でも小学校の古い木造校舎の天井が軋んで音を立てた。

 秋田沖地震(日本海中部地震 1983年5月26日11時59分)では、地震が引き起こす津波の被害を知った。今、思い返せば多少の地震があっても何か行動するという意識はなかった。当時は学校も個人も、非難するとか頭を守るとか、防災意識は著しく低かったように思う。

 阪神大震災(1995年1月17日5時46分)は朝、起きてニュースで知った。倒壊した家屋、火災、そして道路や橋の崩落。よくできた映画のような光景が現実のものであることに震撼した。自然が、地球が引き起こす地震の前で、人の命など無力だと痛感した。しかし、2000年3月に神戸を旅行した際、「5年でここまで復興するのか」と驚いた。

 新潟県中越大震災(2004年10月23日17時56分)は、最も身近で、生活に支障を来した災害になった。本震は土曜の夕方だったが、数日後、最大の余震をビル7階で経験した際は腰が抜けたようになった。デスクワークでもヘルメットを被って仕事をした。しばらくの間、服装もスーツからジャージに変わった。

 新潟県中越沖地震(2007年7月16日10時13分)は海の日(休日)に起きた。柏崎刈羽原子力発電所から、わずか20キロほどの沖合を震源とする地震だった。

 そして、東日本大震災(2011年3月11日14時46分)。マグニチュード9.0。波高10m超、最大遡上高40mに上る巨大津波。福島第一原子力発電所における炉心溶融“メルトダウン”を伴うレベル7の原子力事故が起きた。

 この国に生まれた以上、地震とつきあっていかなければならないことは理解できる。選択の余地はない。しかし、この国に生まれたからといって、原子力発電とつきあっていかなければならないということはないだろう。ここは世界最大の原子力発電所から「22.3㌔」の場所にある。原子力発電のリスクは、電力の消費地ではなく、電力の供給地が負っていることを忘れてはならない。

【写真】柏崎刈羽原発からの距離を示す標識。近所の家の壁に貼ってある。

2017年3月10日 (金)

ストレスという悪友 2 絶職

 自分には2つのストレス解消法があった。没頭することと絶職すること。

 就職した当初から、仕事はやりがいのある仕事だった。しかし、会社が持つ、企業文化・風土にずっと違和感を持ちながら働いていた。社会的に当たり前のことが当たり前ではなく、組織で引き継がれる暗黙のルールや行動様式が正解とされていた。そのストレスは半端ではなかった。

 そんな頃のストレス解消法は、会社と仕事から「絶職」することだった。極端な表現になるが「浄化・解毒しないと悪魔に冒され、精神的な病気になってしまう」というような気持ちでいた。

 給料が出た週末は、決まって本屋に通った。東坂之上にあった目黒書店が好きだった。新刊本などのラインナップに独特の色があった。本を選択する時間が至福の時間だった。気に入った本を買い求めると、その後は悠久山スキー場(市営スキー場とは違う)まで車を走らせ、そこの駐車場で本を読んだ。車の通りがなく、訪れる人もまばら。そんな静かな自然の図書館で、本の3分の1から半分を読んだ。 

 この25年間で好んで読んだのは、学生時代から好きだった元・朝日新聞の本多勝一氏、経済評論家の佐高信氏、「金融腐蝕列島」の高杉良氏、「落日燃ゆ」、「官僚たちの夏」、「黄金の日日」、「指揮官たちの特攻」の城山三郎氏、「蝉しぐれ」、「風の果て」、「三屋清左衛門残日録」の藤沢周平氏、「誘拐」の本田靖晴氏、「愛と名誉のために」、「約束の地」、「初秋」のロバート.B.パーカー氏、「タクシードライバー」、「血と骨」の梁石日(ヤン・ソギル)氏、「匠の時代」の内橋克人氏、「火車」、「理由」の宮部みゆき氏、「汐のなごり」、「夜明けの橋」の北重人氏、「ラブレス」、「ホテルローヤル」の桜木紫乃氏など。

 『働くということはキズを負いながら生きていくことだ』と断言できる。何かに没頭する時間を作ることで、そのキズを癒していた。ストレスという悪友と上手くつきあいながら。いつかそのストレスが戦友となるかもしれない。

2017年3月 9日 (木)

ストレスという悪友 1 没頭

Dsc_0428 いじめのニュースを見聞きしていると、なんで不登校しないんだと思う。いじめの構造とパワハラ、過労死、過労自死の構造はそっくりなのに、不出社は推奨されない、応援されない。

 ストレスはあるもの。ストレスの源を根本的に断ち切ることは不可能に近い。「ストレス解消の方法を見つけ、上手くつきあいながら暮らしていくしかない」。様々なところでそんなふうに書かれているが、全くそのとおりだと思う。

 解消法の王道は、寝ること・食べること・飲むこと・話すこと。これに、運動することや趣味に時間を割くこともストレス解消法になる。

 自分には2つのストレス解消法があった。没頭することと絶職すること。

 就職した当初から、仕事はやりがいのある仕事だった。しかし、会社が持つ、企業文化・風土にずっと違和感を持ちながら働いていた。社会的に当たり前のことが当たり前ではなく、組織で引き継がれる暗黙のルールや行動様式が正解とされていた。そのストレスは半端ではなかった。

 そんな頃のストレス解消法は、「没頭する時間を作ること」だった。入社から5年ほど経った頃、1人の役員と話す機会があった。「君の趣味は何だ」と問われ、まさか「競馬です」とは答えられず、「読書です」と答えた。それに対する反応は「読書は趣味ではない。本は誰でも読む」というものだった。

 自分はノンフィクションとかドキュメンタリーとかルポルタージュと呼ばれるものが好きだったが、時代小説や推理小説、恋愛小説、SF、サスペンス、ホラー、ファンタジー、経済小説…。これを趣味ではないと切り捨てたら、世の中から、大半の趣味は無くなるのではないかと思った。

 競馬は寛容な趣味だ。接し方次第では、一切の金銭的支出を伴わなくとも趣味にすることができる。

 競馬を予想する時間は、予想だけに没頭した。時には快晴の芝生の上で、時にはひなびた場末の地方競馬場で。いくら残業続きの週末でも、仕事で使った脳と、競馬予想の脳とでは使う場所が違うのだろう。

 没頭した後は、頭の中がスッキリとした。馬券が当たらないというストレスは常にあったが、その全責任は自分にあった。つまり、心が納得していた。仕事とは雲泥の差、天と地ほどの差があった。

【写真】彼(彼女?)にもストレスはあるだろうか。あるとしたら、ストレス解消法は何だろう。

2017年3月 8日 (水)

IKEA 三郷店(埼玉県三郷市)

Sofa_2 IKEA/イケアはスウェーデン発祥の家具チェーン店。世界各地に出店しており、低価格と北欧デザイン、そしてアフターサービス等で人気の家具ブランドになっている。

 リビングのソファを探して5年あまり。ようやくリビングに座る場所ができた。デザイン、価格などから、これまでもイケアのソファに購入意欲をそそられていた。イケアの家具に対する思想に共感するし、顧客志向のとても良い会社だと思う。しかし、ネックとなっていたのが遠方への配送だった。

 IKEAの配送サービスは 1.宅配サービス…店舗からの距離でゾーン1・ゾーン2・ゾーン3に区分。 2.ワンパッケージ配送サービス…長さ、重量に制限あり、大型商品は適用外。 3.手ぶらdeボックス…既定の配送ボックスを利用する。通常の宅急便の感覚。 ここまではHPでもすぐに見つけることができるが、店舗のない地域への「遠方配送」についての案内が不足している。

 今回、購入店である新三郷店から新潟県宛ての配送は、重量50㌔-100㌔は11,880円、100㌔-150㌔は15,210円。ゾーン3向けの配送料が150㌔まで7,490円だから、決して高い配送料とは言えない。インターネットの口コミに「イケアの配送料金が高い」という類のものがあるが、それは的外れだと思う。むしろ良心的な料金設定だ。「IKEAの家具は日本全国に配送できます」と明示するだけで、多数のIKEA難民が救われると思う。 【写真】IKEAのHPから

2017年3月 7日 (火)

特権階級の子

 1週間ほど前、人気アイドルグループに属しながらもニュ-ス番組のキャスターを務める男性と民放キー局の女性アナウンサーが交際しているというゴシップがあった。そのこと自体に興味はない。

 各々がキャスターを務めるニュース番組は、それぞれの局を代表する報道番組だ。男性の父は、中央省庁の事務次官経験者。女性の父は、有名私大の医学部教授兼大学病院部長だという。

 エリートとしての出自と華麗な経歴を持つ2人が、互いに引かれ合うのは必然のことなのだろうか。人それぞれの感覚の違いだろうが、自分は不自然さを感じる。特権階級の人たちには彼らなりの嗅覚というのがあるのだろうか。ゲスな言い方になるが、瞬時にして「貧乏人と金持ち」を見分け、「中流以下と上流」を嗅ぎ分ける嗅覚があるわうに思う。まあ、それも能力か…。

2017年3月 6日 (月)

煙突職人の子

 卒業式シーズンを迎え、公立中学校卒業式のニュースを見た。国公立の大学入試は前期日程の合格発表、今週末は後期日程の試験。企業は人事異動が社内発表される時期。慌ただしい。

 中世ヨーロッパでは、「煙突職人の子は煙突職人になった」という。ヨーロッパの話を持ち出すまでもなく、日本でも職人の子は職人に、商人の子は商人になっていた時代があった。古い時代を持ち出すまでもなく、現在でも教師の子が教師に、科学者の子が科学者になることが珍しくない。

 無数の選択肢がある時代。子が親と同じ職業に就くことに選択の余地がなかった時代ではない。父と同じ職業を選ぼうと、父と違う職業を選ぼうと、人生は違う道。そのことは選択肢が無かった時代でも変わりない。

 そうだとすれば、煙突職人になるかならないかは、それほど意味を持たないことになる。「煙突職人としてどう生きるか」。問われるとすればそこだろう。

2017年3月 5日 (日)

儚(はかな)い命

Dsc_0612 訃報はいつも突然に届く。

 ひと回り年上の先輩。小柄な体型にボブヘア。仕事のパートナーとして最も長い時間(2000年4月~2006年3月)を過ごした。昼休みから戻ると、いつも電気ポットからコーヒーカップにお湯を注ぎ、薬を服用していた。「孫が生まれたから面倒をみる」と退職したのが、4年ほど前だった。日本人の平均寿命は「男性が80.75歳、女性が86.99歳となり、過去最高を更新した」と記したばかり。女性で61歳の死は早すぎる。

 安らかにご永眠されますように。心からご冥福をお祈り申し上げます。

2017年3月 4日 (土)

宅配便から見えるもの 2

 佐川急便の“駐車違反身代わり出頭事件”は、54件・計106人が犯人隠避容疑などで書類送検された。社員等は「免許に傷をつけたくなかった」、「会社の評価が下がるのが嫌だった」などと話しているという。佐川急便は「(同様の事案が発生しないよう)従業員教育の再徹底をはかる」とのコメントを発表した。

 昨日、ヤマトを褒めて、今日、佐川を痛めつけるようなことはしない。組織は頭から腐り、人は腰やひざ、足首から弱る。ヤマト運輸や佐川急便が生業とする流通・物流は、この国の下半身であり、足腰と言える。その足腰から悲鳴が上がっている。

1.佐川急便の教育は徹底されていた/配達の路上駐車の問題

 従業員管理が徹底していたからこそ、ドライバーたちは家族を巻き込んだ身代わり出頭を多発させた。流通・物流は、生活していく上で欠かせないインフラ(基盤・構造)。個人の私的なオーダーが物流業者の駐車違反を誘発している背景があり、物流量の増大は社会構造の変化だ。1企業が企業努力で乗り越えるような課題のレベルではないだろう。不在配達に何らかのペナルティを設けるとか、大きな川の流れを変える仕組みとするために、大きな器(社会全体)で受けとめる必要がある。

2.「免許に傷をつけたくなかった」という悲劇・「会社の評価が下がるのが嫌だった」という惨劇

 「免許停止になれば、稼ぐ術を失ってしまうから」、「営業所の目標や上司の成績に傷をつけるとになると思ったから」。そう言えないドライバーたち。そして、ドライバーたちに促され、懇願され、身代わり出頭したその家族たち。そして、それを書かないマスコミ…。

 宅配便から見える景色は、この国の悲劇と惨状をよく現している。

2017年3月 3日 (金)

宅配便から見えるもの 1

 2月15日に「まともな会社・ましな会社」というタイトルでブログを書いた。

  http://kasa.air-nifty.com/blog/2017/02/post-5bd2.html

 もう20年近く前、「小倉昌男経営学」という本を読んだことがある。小倉昌男氏はヤマト運輸株式会社の社長・会長を務め、「クロネコヤマトの宅急便」の生みの親だ。宅配便を巡る規制緩和を求めて運輸省・郵政省と闘い、事業を再構築する際には、松下電器、三越との取引解消を決断した。決断できない経営者が蔓延(はびこ)る中、経営判断し、実行し、成功させた経営者。ヤマト運輸に対して、いいイメージを持っていたのは、この本を読んだことがあるからだった。

 10年くらい前、年の瀬の駅前で、クラクションを鳴らして信号無視してきたトラックがいた。危うく轢かれそうになった。トラックはヤマト運輸の宅配便りものだった。お歳暮やクリスマスプレゼント、ボーナスが出た後で、ネット通販の取扱量も急増していた頃だった。ドライバーは次の配達を急いでいたのだろう。気持ちはわかる。その時、生まれて初めて(後にも先にもそれ1回きり)の苦情電話をかけた。小倉昌男の思想を汚すなという気持ちがあった。

 先般、こんな報道があった(要約)。

 宅配便最大手ヤマト運輸が、労働組合からの要求に応じ、荷物取扱量を抑制する見通しになった。ネット通販量の拡大と人員不足が労働環境の悪化を招いていることが背景にある。労働環境の悪化は運送業界共通の課題で、同様の動きが他社に広がる可能性があるとともに、時間指定サービスなどの見直しにつながる可能性もある。

 労働組合の要求に応じる形であるものの、経営側も同じ認識でいたということだろう。インターネット販売の拡大による取扱荷物の増加と、運送業界の労働環境悪化は、同社に限らず、業界一致の課題であり、社会の課題でもある。業界最大手となった現在、見事な経営判断だと思う。組合と対話し、世の中とも対話し、問いかける会社だ。“やっぱりクロネコヤマト”小倉氏のDNAを感じる。「まともな会社」どころではなく、「まっとうな会社」と言えるだろう。

 翌日配達などという過剰サービスや過剰包装も、今回投じられた一石を機に見直されるといい。もちろん、オプションサービスとして存在するのはいい。その場合、送料や梱包資材代金が購入商品の金額を上回ることもあるだろう。

2017年3月 2日 (木)

築地市場の移転

 昨日、記した文。「築地市場は生鮮市場としての機能もさることながら、日本有数の観光地としての面を持っている。特に訪日外国人の多さに驚く。2人に1人は中国・台湾・韓国などアジア系観光客ではないかと思うくらいだ。」

 日本橋北詰に「日本橋魚市場発祥地碑」が建っているという。日本橋から北に魚河岸が広がっていたことの証だ。この魚市場は大正時代まで300年余り続いたが、関東大震災により築地への移転を余儀なくされた。築地市場(中央区築地)は、1935(昭和10)年に、日本橋魚市場と京橋青物市場が移転して開場した。広さは約23㌶(東京ドーム五つ分)。東京都は現在地での市場再整備が困難と判断し、2001年に江東区豊洲(40㌶)への移転を決定した。2008年に予定地の土壌から環境基準を超過するベンゼンやシアン化合物が検出され問題となった。移転予定地は東京ガスの工場跡地だった。都は762億円を投じ土壌汚染対策を実施、豊洲新市場を2016年11月に開場すると決めた。

 築地市場の豊洲移転に賛成する。河岸や市場は人々の暮らしを支える存在。時代の要請に応え、移転を繰り返して来た。役人がガス工場跡地を移転先に選定するようなズサンな行政も、残念ながらいくらでも繰り返されて来た。あるいは、影で利益誘導する企業や我田引水する人物が関わることも、幾度と無く繰り返してきた国だ。驚くことではない。

 日本有数の市場として、観光地としても、立派に整備されるべきだと思う。現在の設備・施設は、市場としても観光地としても標準的ではない。「救護所すらない」というのは不味い。

2017年3月 1日 (水)

らーめん井上(築地場外)

Tsukiji_inoue 築地市場は生鮮市場としての機能もさることながら、日本有数の観光地としての面を持っている。特に訪日外国人の多さに驚く。2人に1人は中国・台湾・韓国などアジア系観光客ではないかと思うくらいだ。

 築地場外の人気店「らーめん井上」。1日に1,000杯出ると何かで見たことがある。人気を裏切らない旨いラーメンであるのは間違いないが、それ以上にこの店が果たしている役割があるように思う。

 それは、この“観光地”で、日本の食文化とともに、日本人の仕事を見せていることだ。行列に並ぶ外国人観光客は、その仕事ぶりに魅せられている。

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