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2017年3月11日 (土)

2017.3.11

Dsc_0592 「2011年3月11日」から6年。あの日、新潟市内にいた自分は、それまで経験したことがない波打つような横揺れが数分間続いたことで“かつてない大地震”であることを理解した。 

 記憶している中で最初の地震は、宮城県沖地震(1978年6月12日17時14分)だった。家のガラス窓が音をたてて揺れ、築100年を超えていた家が倒壊するのではないかという恐怖で、裸足のまま玄関を飛び出した。数日後の余震でも小学校の古い木造校舎の天井が軋んで音を立てた。

 秋田沖地震(日本海中部地震 1983年5月26日11時59分)では、地震が引き起こす津波の被害を知った。今、思い返せば多少の地震があっても何か行動するという意識はなかった。当時は学校も個人も、非難するとか頭を守るとか、防災意識は著しく低かったように思う。

 阪神大震災(1995年1月17日5時46分)は朝、起きてニュースで知った。倒壊した家屋、火災、そして道路や橋の崩落。よくできた映画のような光景が現実のものであることに震撼した。自然が、地球が引き起こす地震の前で、人の命など無力だと痛感した。しかし、2000年3月に神戸を旅行した際、「5年でここまで復興するのか」と驚いた。

 新潟県中越大震災(2004年10月23日17時56分)は、最も身近で、生活に支障を来した災害になった。本震は土曜の夕方だったが、数日後、最大の余震をビル7階で経験した際は腰が抜けたようになった。デスクワークでもヘルメットを被って仕事をした。しばらくの間、服装もスーツからジャージに変わった。

 新潟県中越沖地震(2007年7月16日10時13分)は海の日(休日)に起きた。柏崎刈羽原子力発電所から、わずか20キロほどの沖合を震源とする地震だった。

 そして、東日本大震災(2011年3月11日14時46分)。マグニチュード9.0。波高10m超、最大遡上高40mに上る巨大津波。福島第一原子力発電所における炉心溶融“メルトダウン”を伴うレベル7の原子力事故が起きた。

 この国に生まれた以上、地震とつきあっていかなければならないことは理解できる。選択の余地はない。しかし、この国に生まれたからといって、原子力発電とつきあっていかなければならないということはないだろう。ここは世界最大の原子力発電所から「22.3㌔」の場所にある。原子力発電のリスクは、電力の消費地ではなく、電力の供給地が負っていることを忘れてはならない。

【写真】柏崎刈羽原発からの距離を示す標識。近所の家の壁に貼ってある。

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