孝太郎焼き(見附市)
見附郵便局(旧局舎)は昭和53年(1983年)まで本町にあった。その前に市ノ坪屋というお菓子屋があった。祖父も祖母も、父も母も、市ノ坪屋のおやきが大好きだった。おやきが食べたくて、親にねだったこともあった。そんな時は一人で買いに出掛けた。1個60円とか70円。そんな時代だったと思う。買ってきたおやきは、掘りごたつの中で保温するのがお決まりだった。家から店までは300メートル。八百富士から先は雁木(がんぎ)があった。店の前にはバス停があり、バスを待つ人はそこでおやきを買って帰宅した。少し怖い顔をしたおばあさんが、作っていた。いつも白い割烹着を着ていた。ガラス越しにおばあさんが作るおやきは「孝太郎焼き」といった。
今川焼きの呼称は各地で異なり、様々な名前がついている。このことは身をもって知ることになった。見附の町を出て、「孝太郎焼き」の文字を見かけることはなくなったからだ。おやき=孝太郎焼き=大判焼き=今川焼き。
写真はgoogleマップから。名残りのテント看板が写っていた。
今川焼き(wikipedia抜粋) 小麦粉、玉子、砂糖を水で溶いた生地を鉄や銅製の焼き型へ流し込み、餡を包んで、円筒形ないしは円盤状に焼成したもの。全国各地で同様な食品が様々に呼称(大判焼き、おやき、回転焼き等々)され、常設店舗だけではなく祭りの露天等で販売される場合も多い。日本人になじみ深い菓子である。
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