龍馬からの手紙
今から150年前の1867年。坂本龍馬は京都・近江屋で中岡慎太郎らとともに暗殺された。その近江屋事件の5日前に記した龍馬直筆の書簡が発見されたという。徳川慶喜による大政奉還を受け、福井藩の重臣に宛てた書簡で、新政府の財政担当者への出仕を懇願している内容と報じられた。
一筆啓上仕候、此度越前老侯 御上京相被成候段 千万の兵を得たる心中に御座候、先生ニも諸事御尽力御察申上候、然るに先頃御直ニ申上置キ三岡八郎兄の御上京御出仕の一件ハ急を用する事に存候得ハ、何卒早々御裁可あるへく奉願候、三岡兄の御上京が一日先に相成候得ハ新国家の御家計御成立が一日先に相成候と奉存候、唯此所一向ニ御尽力
奉願候 誠恐謹言 十一月十日 龍馬 中根先生 左右
追白 今日永井玄蕃 頭方ニ罷出候得とも御面会相不叶候、談したき天下の議論数々在之候ニテ明日又罷出候所存ニ御座候得ハ大兄御同行相叶候ハヽ実ニ大幸の事ニ奉存候 再拝 越前御藩邸 中根雪江様 才谷楳太郎 御直披
坂本龍馬は新暦で1836年1月3日に生まれ、1867年12月10日に殺された。31歳だった。2017年は没後150年ということになる。150年前といえば、自分の曽祖父が生きていた時代。ほんの150年前の手紙なのに、言葉は現在とかなり異なっている。言葉はたった150年の時間で大きく変化している。所々の漢字などから想像することはできるが、詳細な意味が通じない。もちろん、学問があり、識者がいるから、現代語に訳してくれるが。
これから、150年後。日本語を日本語に翻訳するソフトやアプリがあるのだろうか。幕末どころでなく、平安時代の古今和歌集や江戸時代の随筆も、わずかな操作で見聞きできる環境になっているだろうか。そうなった時、150年後の未来は、300年前の時代とは150年前の現在よりも近い場所にいるのかもしれない。そうなると、300年前の坂本龍馬より、1300年前の紀貫之や紀友則の方が人気があるかもしれない。
技術革新とは長い時間をかけてタイムマシーンを作っているようなもの。龍馬の手紙を見て、そう思った。
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