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2017年1月

2017年1月31日 (火)

年度代表馬と日本最強馬

 昨日、2016年JRA賞授賞式が行われ、年度代表馬キタサンブラックとオーナー・北島三郎氏らが表彰された(net keiba news)。キタサンブラックはG1レース2勝(天皇賞・春とジャパンカップ)だが、G1の2着(有馬記念)、3着(宝塚記念)、G2の1着(京都大賞典)、2着(大阪杯)があり、G1レース2勝(菊花賞と有馬記念)のサトノダイヤモンド、G1レース3勝(天皇賞・秋と香港マイル、香港カップと海外レース2勝)のモーリスを抑えて年度代表馬に選出された。近年、日本競馬界が侵されている“凱旋門賞絶対主義”の下、海外レースを2勝し、距離延長して臨んだ天皇賞・秋を制したモーリスは特別賞でお茶を濁された感は拭えない。しかし、JRAの売上貢献度でキタサンブラックが選出されたことは妥当だし、異論はない。年度代表馬等の選出投票結果はJRAのHPで公開されている。過程が「公開されている」ことが素晴らしい。

 年度代表馬の一覧を眺めていると、納得の名馬ばかり。だが、自分が1番好きなスペシャルウィークは選出されていない。そして、以前、日本最強馬ってどの馬だろう?と、なんとなく考えたことがあり、その時に導き出した馬名も出てこない。

Fujikiseki 最強とする前提を「無敗で競走馬生活を終えていること」、「G1レースを勝利していること」と仮定してみた。無敗で競走馬生活を終えたG1馬は5頭。クリフジ(11戦11勝)は、1943年のダービー、オークス、菊花賞を勝利。牝馬でありながら牡馬混合のクラシックを2勝し、11勝のうち7勝で2着と10馬身以上の差をつけて勝利していたというから「日本最強牝馬」と言える。トキノミノル(10戦10勝)は、1950年の朝日杯を制し、翌年の皐月賞とダービーをともにレコード勝ちしている。マルゼンスキー(8戦8勝)は、1976年の朝日杯を勝利。歴史的名馬・ニジンスキー産駒の持込馬のため、クラシックには出走できなかった。フジキセキ(4戦4勝)は、サンデーサイレンスの初年度産駒。1994年の朝日杯、翌年の弥生賞で楽勝したが、皐月賞前に屈腱炎を発症し、引退した。アグネスタキオン(4戦4勝)は、2001年の皐月賞を勝った後、屈腱炎により引退。同期にジャングルポケット、クロフネ、マンハッタンカフェ等がいる黄金世代の一角を担った。

 無敗で競走馬生活を終えたG1馬は、1頭も年度代表場に選出されていない。「無事之名馬」の格言が示すとおりだ。最強とする仮説を覆す反証がないことから、◎フジキセキ(1992.4-2015.12)、○アグネスタキオン(1998.4-2009.6)。そして▲マルゼンスキー(1974.5-1997.8)が自分なりの答え。

 明日も続きを記す。

2017年1月30日 (月)

ギガバイトの単価

 月末が近くなり、「データ通信量のお知らせ」メールが届いた。通信量が過大となる動画再生を極力抑えても、だいたい月末になると「お知らせメール」が届く。スマートフォンの契約は3G。ネットの記事閲覧、メール・SNS、写真撮影をしているとちょうど3Gくらいになる。何度かこれを超過したことがあり、その場合、通信速度が著しく低下する。当月だけ追加料金を払うか、通信プランを変更すれば通信速度の低下を防げるが、3Gくらいが「ちょうどいい水準」と考えることにしている。速度低下はペナルティとして受け入れる。

 一般的に考えて、新聞購読料3,000円、放送受信料2,000円(衛星契約・クレジット12ヶ月前払24,770円)、自宅電話回線1,500円、インターネットプロバイダ料金3,000円、そしてスマートフォン5,000円、2人で10,000円と仮定すると、およそ20,000円程度は一般家庭の通信費として毎月支出されていることになる。

 ガスや水道は立方メートルあたり、電気はキロワットあたり、電話は秒(または分)あたりで課金される。通信料はギガバイトあたりになるわけだが、「1ギガバイトあたり」の単価が他のものに比べて高いように思う。

2017年1月29日 (日)

テント選びのネットサーフィン

 冬を越え、春になったらキャンプを始めようと、少しずつ道具を揃え始めている。日帰り(デイ・キャンプと言うらしい)から始めるつもりだが、テントなどキャンプ用品選びのためにパソコンを眺めていると、いくらでも時間が経ってしまう。

Tent_t2466 テント使用のシチュエーションは、1人または2人。季節は春GWから10月の6ヶ月。回数はデイ・キャンプを含めて6回(月に1回)できれば上出来だろう。コーヒーを煎れて飲む。簡便な料理をして食べる。秋には普段は飲まないウィスキーをホットで飲む。アクティブな趣味はないので、文庫本でも読む。テントの大きさは2~3人用(210㎝×150㎝程度)。高さがあり(140㎝前後)、ダブルウォール。そして、前室があり、入口はキャノピー仕様。予算は低額2万円だから、当然、ブランドテントである必要はなく、中国製品で構わない。ワンタッチ型など、1人で容易に設営できるもの(設営・撤収ともに10分以内が理想)。耐水圧は1000㎜程度あれば充分(雨天予報時はキャンプをしない)。通気・換気性に配慮され、軽量であれば尚可。「テント+タープ」はタープ設営が1人では難しいものが多く、持参・設営するアイテムが2つになるのは気が重い。今のところ大きめのツーリングテント(バイクで旅をする人向け)が選択肢にある。

 冬のオフシーズン。アウトドア用品は需要期ではないから、旧モデルのセール期なのかと思っていたが、やはり世の中ではアウトドアやキャンプがブームになっているせいか、むしろ値上がりしていたり、品数も減っているようだ。手元に用意できたのは20年前に使っていたガスバーナーとチェア、簡易テーブル、ランタンくらい。不足しているのはテント、グランドシート、マット、寝袋、テーブル、調理器具…。窓の外は雪。厳しい冬の間でも、キャンプ用品を眺めていれば、陽気に過ごせそうな気がする。

2017年1月28日 (土)

WEST(三条市)

West_sanjo_2 三条市は社会人振り出しの場所なので土地勘もあり、なじみの店もある。しかし、アウトドアの専門店「WEST」は、長い間、その存在を認識していたが、キャンプ用品などを買い求めることもなかったため、立ち寄ったことがなかった。

 入店して驚いたのは、店内がとても洗練されていたこと。専門店の雰囲気を持っており、(失礼だが)とても田舎の小売店には思えない。よくある大規模スポーツ用品店とは明らかに一線を画す。このまま都内の商業地に移設してもいいくらい。ちょっとした異空間の雰囲気。クライミング体験施設が設置してあり、ガラス越しに見る“壁”も一見の価値がある。

 WESTはアウトドアブランド「CAPTAIN STAG」を展開するパール金属㈱の経営だが、店内はそれに縛られることなく、アウトドアブランドの商品を展示販売していた。HPによれば、鳥屋野潟のほとりにある新潟店が1995年、三条店が1998年、上越店が2011年から、それぞれ営業している。(写真もHPから)

 アウトドアライフストア WEST 三条店 三条市五明241 定休日:火曜

2017年1月27日 (金)

星は理系

Dsc_0595 昨日の夕方の空。冬至の頃と比べると、およそ30分、次第に日が長くなっている。日の入り時刻は、1日におよそ1分ずつ繰り下がっている。日の出時刻は1日に40秒程度繰り上がっている。

 国立天文台 暦計算室  http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/

 Keisan(生活や実務に役立つ計算サイト)  http://keisan.casio.jp/

 日の出時刻、日の入り時刻などは上記のサイトで確認する。国立天文台は国の運営、KeisanはCASIOが運営している。どちらのホームページも知性に溢れている。やはり、星や天体は理系なんだなと思う。

2017年1月26日 (木)

海坂藩/寒梅忌

Sfujisawa_2 今日、1月26日は寒梅忌。今年は藤沢周平没後20年の節目の年だ。

 最初に“海坂藩”を訪れたのは2003年(平成15年)の8月。

 1997年(平成 9年)  1月  藤沢周平氏死去

 代表作「蝉しぐれ」しか読んでいなかった。佐高信氏の書評をきっかけに藤沢氏の著作を読むようになった。

 2002年(平成14年) 11月  映画「たそがれ清兵衛」公開

 この作品が興行として成功し、これ以降、毎年のように藤沢作品が映像化されるようになった。

 2003年(平成15年)  8月  テレビドラマ「蝉しぐれ」放映

 初めて海坂藩を訪れた。庄内(荘内)、鶴岡・酒田には何度か来ていたが、この時は海坂藩として訪問した。昼は羽黒神社を参拝。夕刻、藤沢氏の生家跡(旧東田川郡黄金村)と黄金小学校を訪れた。青龍寺川という小川が流れていた。夏の休暇を利用していたせいか、偶然にもその日は「赤川花火大会」の日だった。テレビドラマは牧文四郎を演じた内野聖陽の出世作となったが、父・牧助左衛門を演じた勝野洋の武骨な演技は、突出した名演技だった。だだ茶豆と麦きりを食べた。

 2005年(平成17年)10月  映画「蝉しぐれ」公開

 8月に再訪。羽黒町にあった「蝉しぐれ」のオープンセットと松ヶ岡開墾記念館を見学。藩校致道館、荘内神社、大宝館、鶴岡天主堂、旧風間家丙申堂、旧別邸無量光苑釈迦堂などを見学した。映画「蝉しぐれ」の公開を控え、町のあちこちに、木村佳乃のポスターが掲示してあった。

 2006年(平成18年)11月  「藤沢周平の世界」(朝日新聞社)刊行開始

 この頃には、藤沢氏の代表作ほとんどを読んでいたが、週間のムック本として刊行(朝日ビジュアルシリーズ)され、写真・地図・イラストを多用した本シリーズで、自分の藤沢熱はピークに達した。

 2010年(平成22年) 4月 藤沢周平記念館開館

 8月に車を買った。最初のドライブで海坂藩を再々訪問。民田茄子を食べた。記念館に展示されている藤沢氏の句

           「 軒を出て 犬 寒月に 照らされる 」

 2012年(平成24年)10月 藤沢周平記念館再訪

 2014年(平成26年) 6月 藤沢周平記念館再々訪

 なお、氏の忌日である1月26日は、寒梅忌のほか、白梅忌と記すものもある。

2017年1月25日 (水)

ロンドレットバウム(長岡市)

 ロンドレットバウムがある千歳(せんざい)の防災公園付近(シビックコア※)は長岡市の中で変貌を遂げた地区のひとつ。宮原-千歳-南町-旭町と続く道は、1.5㎞程度で駅前につながる道であるにも関わらず、ほんの10年前までは消雪パイプもない閑散とした寂しい通りだった。

 開店当初、ロンドレットバウムは「バウムクーヘン専門店」のように顧客に浸透していたと思うが(もちろんそれがメインではあることに疑う余地がない)、ケーキのレベルも高く、小さな喫茶スペースもあり、ちょっとした高級感と品格を持っている。ショップカードや紙袋(写真)に記載があるとおり「オマージュ・ア・パリ(干場)」の姉妹店。

Dsc_0593 バウムクーヘンはいくつか種類があるが、全ての種類を食べたことはない。しかし、美味しさ・見た目・包装ともに間違いないため、最近は、土産や手土産にはここのバウムクーヘンかガトウ専科の「花火パイ」かに決めている。

 「シビックコア地区整備計画」に基づき、政府、行政、民間施設を都市計画に盛り込んで整備・形成された地域。整備計画が認可された都市を見ると、長岡市のほかでは、旭川市、鶴岡市、甲府市、高山市、浜松市、岡崎市など。一部県庁所在地を含むが、県内第2、第3の都市や県庁所在地と距離があり、地域の中核となっている都市名が並んでいる。

ロンドレットバウム 長岡市 千歳 3-2-3 防災公園向かい・英國屋並び

2017年1月24日 (火)

3軒の駄菓子屋

 昨日の「バンカースとモノポリー」からのインスパイア。

 保育園で覚えているのはかくれんぼ。ピアノ(アップライト・ピアノ)の下がお得意の隠れ場所だった。あの頃、ピアノにはカバーがかけられていた。表が黒いサテン生地、裏が赤のフェルト生地のカバー。小学校低学年の頃は内気な子どもだった(今も内気だが)。小学校の中庭にあった遊具で遊んだりしていた。当時、誰と遊んでいたのかも思い出せない。断片的な記憶すらもない。母親は幼い弟に手がかかっていた。家は祖父と祖母の看病に追われていた。

 「子どもらしい子ども」としてデビューしたのは小学校3年生頃から。3年のクラス替えで、たくさんの陽気な友達が増えた。やはり友達の影響というのは大きい。放課後のドッヂボール、ビー玉、助け鬼、校庭で十字路という遊びもやった。町内全域を使った缶蹴りは3時間でも終わらなかった。冬の間はトランプの貧民(大富豪)。昨日、記したバンカースとモノポリー。そして…。

 1970年代、見附市内には3件の駄菓子屋があった。学校町1丁目の「正木屋」、新町1丁目の「おばちゃんち」、本町1丁目の「よろずや」(本町3丁目、南本町3丁目にも駄菓子屋があったように思うが、クジを引かせたり、玩具を売っていたのは3軒との認識)。

 家から歩いて100㍍、近所の正木屋によく通った。4畳半ほどの土間に所狭しと駄菓子や玩具、クジが並んでいた。仮面ライダーのカードや銀玉鉄砲が懐かしい。しかし、後ろめたくもあった。子ども心にも「駄菓子屋は浪費」と感じていたし、実際、親からも行かないように釘を刺されていた。近所であることも落ち着かない原因だった。その意味では新町1丁目の「おばちゃんち」は路地裏で車が通らない場所、絶好の立地にあった。横長で間口二間、奥行一間程度。子どもたちは道路上にいた。いつも白い割烹着を着た“おばちゃん”と呼ばれるおばあさんが店をやっていた。正式な店の名は何といったのだろう。放課後になるといつも10人くらいの子どもが店の前を囲んでいた。本町1丁目の「よろずや」。駄菓子屋というよりオモチャ屋に近かった。店舗は古い木造で、天井まで吹き抜けになっていた。他の店とは佇まいが違っていた。よろずやまで来ると、自分が「よそ者」であると実感した。店にいる子どもたちのメンツが違い、見たこともない子どもがいた。「よろずや」という店の名前から、得体の知れない、つかみ所のない、ミステリアスな印象を持っていた。

 やがて時間が経過し、成長とともに、駄菓子屋から離れていった。1980年頃になると、田舎町にもゲームセンターが出来た。5つ年下の弟が駄菓子屋通いしていた記憶はない。自分の次の世代である、団塊ジュニア世代はファミコンが家にあった。当時から子どもの数は3分の1に減り、子どもの遊び方は10倍になったとすれば、駄菓子屋の客は30分の1。駄菓子屋は成り立つ商売ではなくなった。駄菓子屋は、少ない小遣いを持ち、親の監視の目がない環境で、自分の意志で買い物をする。貴重な社会の入り口だったように思う。

【追記】昨年末、商店街の布団店と古くからあった薬局が店を閉めたと聞いた。当時、とても繁盛していた商店だった。高度成長期、バブル期、デフレ期…長い間、市民の生活を支えてきた役割を終えた。それは、役割を果たしたということ。

2017年1月23日 (月)

バンカースとモノポリー

 第45代のアメリカ大統領に就任したトランプ氏は、ホテルやゴルフ場などの不動産業を経営する「トランプ・オーガナイゼーション」のCEO。アメリカと不動産からの連想で、もうひとつ思い浮かぶものがある。それは、「モノポリー」。

Monopoly モノポリー(Monopoly)は20世紀初頭にアメリカで生まれたボードゲーム。プレイヤーは盤上のコマを周回しながら、プレイヤーと盤上の不動産を取引する。そこに家やホテルを建設し、他のプレイヤーからレンタル料等を徴収して自らの資産を増やし、最終的に他のプレイヤーを全て破産させることを目的とする。モノポリーとは英語で独占を意味する。(説明文はWikipedia、写真はタカラトミーHPから引用)

 モノポリーで遊んでいたのは小学校4年生頃。「全てのプレイヤーを破産させる」という目的でゲームを楽しんでいたかはわからない。ルールブックは確かにあったが、子ども仕様にアレンジして遊んでいたように思う。

 モノポリーを買うまでには伏線があった。それは「バンカース」というモノポリーの日本仕様ともいえるボードゲームを友達が持っていたこと。マスの地名が日本橋、銀座などであるのに、紙幣の単位がドルだった。バンカースの魅力にはまり、毎日、ゲームを楽しみたいという気持ちでいた。しかし、毎日バンカースで遊びたいとはさすがに言い出せなかった。クリスマスの頃だったか、偶然、オモチャ屋で見つけたモノポリーを買ったのは、バンカースで遊んだ経験があったこととバンカースの魅力を知っていたから。現在ではボードゲームの王様のような扱いをされているが、当時(昭和52~53年頃)、10歳前後の子どもがモノポリーに飛びつくことは考えられなかったと思う。実際、他の友達でバンカースやモノポリーで遊んでいる子どもはいなかった。

 記憶が曖昧だが、持っていたモノポリーは現在販売されているものや、ネットに出ている画像とは違うモノだった。最大の違いは、その形状だ。販売されているモノポリーは、ゲームの盤面が2つ折りになっており、それを広げてゲームをする。持っていたモノポリーは盤面が2つ折りではなく、中央にルーレット(「人生ゲーム」のような)が設置(固定)されていた。バンカースではサイコロを振っていたが、モノポリーでは“プッシュ式”のルーレットを“押して”いた。 

 モノポリーで遊んでいると「権利証」、「抵当権」、「競売」などの用語が出てくる。それらはこのゲームの核心になる。それらのルールを理解し、活用することがゲームの勝利に直結した。すごろくの要領で盤面のマスを周回し、定期的に給料をもらう。思いもよらない災難に遭ったり、様々なイベントを経験しながら資産を増やしていく。その様は、凝縮した人生を疑似体験するような、ワクワク感があった。

 モノポリーやバンカースはボードゲームと呼ばれる(最もポピュラーなのは「人生ゲーム」かもしれない)。4人前後で盤面を囲み、天気の日は屋外でもゲームをした。ゲーム盤が入った箱を抱え、空き地や軒先、車庫の中、工場の非常階段の下、どこでも遊んだ。

 ボードゲームの時代。それはオモチャが電気機器化していく“夜明け前”の時代だった。不動産王・トランプ大統領の時代。それはどんな時代になるだろう。

2017年1月22日 (日)

ババ抜きを繰り返す銀行

 先週の毎日新聞から抜粋して引用(斜体部) 「高齢者を狙い撃ちする外貨建て保険」

 国内の低金利状態を背景に、高利回りの「外貨建て保険商品」が個人向けの売れ筋商品※1となっています。一方で「そんな話は事前に聞いていなかった」という苦情が、特に高齢者の親族からのクレームが広がっている。外貨建て保険は変額保険の一種で貯蓄型商品。生命保険ではあるが、返戻金が為替相場で増減する。複雑な金融商品を販売する際は、80歳以上なら原則、上司の事前承認※2を受けたうえで勧誘し、受注は翌日以降に上司が行うなどのルールが適用される。銀行が支店窓口で保険を販売する「窓販」ルート※3で苦情が増加している。金融庁への苦情は2016年4月から10月までの7カ月間で、前年1年間の2倍を超えている。外貨建て保険を購入したことを知った親族の苦情は「高齢者が株取引の経験もないのに、為替リスクのある保険を販売された。商品内容を理解していたとは思えない」という内容である。解約に独特のルールがあるが、それを理解していなかったという相談もある。外貨建て保険は為替相場によって返戻金が変動するリスクを伴っており、「金融知識が乏しい高齢者が理解するのは容易ではない」と銀行関係者も指摘している。「理解できた」と顧客が言っても※4、あいまいな状態であるというケースは決して少なくない。
 運用資産を保有しているのは高齢者であり、金融機関は高齢者が重要なセールス先になっている。販売する側は、販売額や販売件数などを目標化している※5。商品説明に費やす時間は限られているため、ある意味、顧客に理解してもらえたという見切りが必要になっているのが実情※6だ。「高齢者に販売する際は親族の同席を求めよと社内でも言われるが、若い世代は仕事などで日中には不在であり、結局、高齢者一人に説明するしかない」。銀行員は、こうぼやくが、その結果が苦情だとすれば、責任は販売した銀行員にある※7。「最近の行員は困ったものだ」と経営者は渋面を作るが、経営者が立てた目標が、現場の銀行員を追い立てている※8。今後、この手の商品販売に目標設定することが妥当なのかどうかという点も問われかねないだろう※9。

 ※1 売る側が売れ筋商品(推奨販売)しているだけ。

 ※2 同じ穴の狢(むじな)であり、契約獲得を指示している上司の承認に何の意味があるのか?

 ※3 支店窓口で販売していると誤認しがち。窓口販売しているが、その割合は10%以下ではないか?ほとんどは営業・渉外・お客様係等々と呼ばれる営業員が訪問して販売している。

 ※4 顧客との面談内容を記録した書類が作成される。顧客が商品内容、特に元本割れリスクがあることを理解したと記入される。

 ※5 販売額、販売手数料、販売件数等で過度なノルマ設定が行われている。

 ※6 手数料率の高い特定商品を“推奨販売”が絶え間なく行われている。

 ※7 ケースによっては訴訟に巻き込まれ、退職を余儀なくされる行員もいるが、言い訳にはならない。一方、金融商品の販売に「手を染めない層」も存在する。本部行員、融資関連部署や融資課行員などはそのドロ沼に踏み込まない。

 ※8 低金利・低成長、金融機関の収益環境が改善しない中、目先の手数料稼ぎで利ざや低下による収益減少を補完している。一方で、給与水準は高止まりのまま。

 ※9 現状のノルマ水準を続けるならば、①顧客面談記録書に顧客の署名・捺印を求める ②顧客面談記録書の写しを交付する ③高齢者には親族の同席または同意を義務化する。などの改善が必要。 

 外貨建て保険商品の販売は「顧客の資産運用・資産活用に資するため」等と言うことではなく、銀行の利益確保のため、手数料獲得のため「そのためだけにやっている」といっても過言ではない。

 誰も皆、勝つことだけを信じて賭けを続ける。運が悪いヤツは誰だ。悲劇が起こるまで、その賭けは続く。銀行はババ抜きを繰り返す。

2017年1月21日 (土)

大統領就任式

20170120_usa 深夜だったが、多くのテレビ局が中継で伝えた「アメリカ合衆国大統領就任式」。1月20日午前11時半(日本時間21日午前1時半)からの就任式を、しっかりと、じっくりと視聴した。多民族国家・アメリカの大統領、世界最大の権力者・アメリカの大統領。その権力継承の儀式。

 就任式は大統領選挙翌年の1月20日、場所は合衆国議会議事堂西正面と決まっている。就任式当日は4年に1度の祝日になるのだという。ホワイトハウスの引継では前大統領夫妻から新たに入居する新大統領夫妻にプレゼントが贈られる(ターコイズブルーのラッピングはティファニーの包装紙のようだった)。就任式には大統領経験者が夫妻で参加する。退任した前大統領は議会からヘリコプターに乗って去り、新大統領は聖書に手を置き、宣誓する。

 アメリカ合衆国第45代大統領 ドナルド・ジョン・トランプ(Donald John Trump 1946.6.14-)は歴史に名を遺す大統領になるだろう。それは、功と罪。「4年後、再任するのであれば功が、4年後、退任となれば罪が勝る」。そんな大統領になると思うが…。彼は70歳、そして偉大なビジネスマン。はなから1期4年で勝負か。となれば、やはり功。

2017年1月20日 (金)

両苑(長岡市)

Dsc_0591 ずっとあの場所にあって、いつか入ってみようと思っていたが、なかなか訪問することがなかった「御食事処 両苑」に初めて行ってみた。店内は比較的広く、カウンター席、テーブル席、小上がり席が左右にある。メニューもラーメン、定食、チャーハン等、ひと通り揃っていて、食べたいものが食べられる店。お昼時で、サラリーマンや近所の高齢者などで繁盛していた。数少なくなった“活気ある食堂”という雰囲気。少し距離はあるが、移転した立川病院の帰り道にお昼を食べるのにちょうどいいかもしれない。停めやすい駐車場もある。食べたのは本日のサービス「カツカレー」(750円→600円)。普通に美味い、優しい味だ。

 御食事処 両苑 長岡市豊田町11-18 沢田跨線橋からバイパス方面。曙町交差点

2017年1月19日 (木)

遙かなる信濃

 作家・藤沢周平(1997年没)が1971年頃に書いたとみられる未発表小説「遙かなる信濃」の草稿が見つかったという。江戸時代の俳人・小林一茶を題材としているが、彼が遺した小説「一茶」と異なり創作性が強い内容で、草稿の一部は今月の「オール読物」に掲載され、創作ノートの一部は6月末から藤沢周平記念館(鶴岡市)で展示されるとのこと。

 彼の生家跡や近所の小学校を訪れたのは15年以上前の夏の夕方だった。早いもので没後20年が経つ。来週26日で20年(21回忌)。

【1/20追記】今年、映画「一茶」の公開を控えているという。未発表小説の草稿が「見つかった」というのは少し違うようだ。少なくとも「偶然見つかった」ということではなさそうだ。

【1/29追記】1/10発売の雑誌「サライ」(小学館)で、「“平凡でいい。ひたむきに生きよう” 没後20年 藤沢周平」という特集が組まれている。行きつけのブックオフでは藤沢氏の文庫が並ぶ棚に本が溢れるようになった。没後20年経ったことを実感する。

2017年1月18日 (水)

冬の晴れ間/雪消し日和

Dsc_0589  2017年1月18日 天候:晴れ

 「梅雨の晴れ間」ならぬ「冬の晴れ間」になった。そんな言葉があるのかどうかわからないが、少なくとも雪国ではそんな日がある。10日の夜から続いた寒波は、丸々1週間居座った。冷凍庫の中で過ごしたようなものだ。8日ぶりの晴天、町のあちこちで玄関前の雪消しをする姿があった。

 雪国に住む人々は、雪のない冬を望んではいない。雪は降って当たり前のものという覚悟がある。冬を迎える準備、越冬の準備をしている。降雪があることで成り立つ商売もある。みんなが望んでいるのは、適度に降って欲しいということ。降雪が続き、積雪すると「根雪」になる。根雪は道路の通行を妨げ、車線が減少する。除雪されていない舗道が多く、歩行者は苦労する。消雪パイプが敷かれた道はシャーベット状の道(ちょっとした水路状態)になり、足首やそれ以上にまで水に浸かることも珍しくない。

 消雪パイプが敷設された雪国の道は、中央が高く、端にいくほど低くなる“高低差”がついている。また、経年劣化した消雪パイプのサビや地下水を使用していること等から、茶色に変色している道路も多い。身体障がい者用の黄色い誘導ブロックも雪国では現実的ではない。

 今日は晴れたが、雪を消すために有効なのは太陽ではなく雨だ。2日間雨が降れば、天然の消雪パイプとなって道路や屋根の雪も消える。雪国では恵みの雨は冬に降る。今晩は雨。明日からはまた寒気に覆われる。雪国の冬はまだ、折り返し地点まで来ていない。

2017年1月17日 (火)

おやつ休憩のすすめ

Cofeebreak_2 同じことを考えている人っているんだなと、ひと安心する記事を見た。それは「喫煙者のタバコ休憩」について。

 「タバコを吸う人は、所定の休憩時間以外に喫煙のために席を外し、休憩すること」への怒りや抗議。

 タバコ休憩を年間換算した調査があり、横浜市議会でタバコ休憩が問題になった際、「約4,000人の職員が移動時間を含め、1日35分のたばこ休憩をとると、年間で19日間休んだことになり、15億4千万円の損失になる」と試算された。

 「非喫煙者にもコーヒー休憩やおやつ休憩を下さい」という批判や反論が、至極まっとうなものに思える。

 喫煙はマナーの問題と言われたりするが、喫煙者にも非喫煙者にもマナーの良い人も悪い人もいる。タバコを吸う・吸わないで2分した議論は上滑りになりがちだ。合意点が難しい。

 喫煙者が非喫煙者に近づくこと(配慮する行為や禁煙・分煙の仕組みを含む)ばかりが対策とされている。非喫煙者が喫煙者に近づくことは難しい訳だから、非喫煙者が喫煙的な行為をすることで、均衡が図られるのではないか。非喫煙者は、コーヒー休憩やおやつ休憩を積極的にとろう。

2017年1月16日 (月)

脱原発国家

 東日本大震災から5年10ヶ月が経った2017年1月11日、台湾(中華民国)では「2025年に原子力発電を廃止する」と決定した。原発を廃止することによって不足する電力は、再生エネルギーを開発、供給することで補うという。

 昨年、蔡英文氏が「非核家園」(原発のない郷土)を政策に掲げて総統に就任した。福島第1原発事故に衝撃を受け、脱原発を望んだ国民が今回の政治決断を後押しした背景がある。世界ではドイツが2022年までの全原発閉鎖を、スイスは2034年までに原発運転を停止する方針を示している。一方、アジアでは中国やインドで新たな原発建設を進めている。

 福島第1原発事故の当事者である日本。世論調査では「原発依存から脱却」が多数を占めている。しかし、脱原発ではなく、正反対の原発再稼働に向けての環境整備が着々と、粛々と進んでいる。原発輸出を成長戦略の一つとしてインドなどへの輸出を目論んでいる。

 脱原発を決めた台湾で建設中止となった第4原発の原子炉は日本から輸出されたものだった。台湾は電力の16%を原子力に頼り、太陽光・風力などの再生可能エネルギー比率は4%にすぎないという。再生エネルギーを開発し、それらに転換し、供給する道筋は確実なものではない。当然、電力供給の不安定化や電気代の高騰を懸念する声が上がっているという。それでも、台湾は脱原発を決定した。

2017年1月15日 (日)

厳冬に一変

Dsc_0588 2017年1月15日 天候:曇り時々雪

 1月10日のブログに「今のところ暖冬」と記したが、その日からの寒波で、暖冬傾向に終止符が打たれ、厳冬に一変した。

 1月15日といえばひと昔前までは「成人の日」の祝日だった。現在は平成11年、1999年に施行された「国民の祝日に関する法律(ハッピーマンデー制度)」により、1月の第2月曜日に充てられるようになった。このハッピーマンデー制度は、それまでの文化や風習を一変させた一面を持っている。

 昨日、今日は「センター試験」が行われている。近年、センター試験の日になると全国的に天候が荒れることが多い。試験開始時間を遅らせて対応したというニュースは毎年恒例だ。祝日「成人の日」が移行したことが影響していないだろうか。

 今となっては「共通一次試験」という言葉がテレビのクイズ番組の問題になっているくらいだが、現在のセンター試験も数年後の廃止が決まっている。世の中は変化し続けている。

2017年1月14日 (土)

龍馬からの手紙

 今から150年前の1867年。坂本龍馬は京都・近江屋で中岡慎太郎らとともに暗殺された。その近江屋事件の5日前に記した龍馬直筆の書簡が発見されたという。徳川慶喜による大政奉還を受け、福井藩の重臣に宛てた書簡で、新政府の財政担当者への出仕を懇願している内容と報じられた。 

 一筆啓上仕候、此度越前老侯 御上京相被成候段 千万の兵を得たる心中に御座候、先生ニも諸事御尽力御察申上候、然るに先頃御直ニ申上置キ三岡八郎兄の御上京御出仕の一件ハ急を用する事に存候得ハ、何卒早々御裁可あるへく奉願候、三岡兄の御上京が一日先に相成候得ハ新国家の御家計御成立が一日先に相成候と奉存候、唯此所一向ニ御尽力 

奉願候 誠恐謹言 十一月十日 龍馬 中根先生 左右  

追白 今日永井玄蕃 頭方ニ罷出候得とも御面会相不叶候、談したき天下の議論数々在之候ニテ明日又罷出候所存ニ御座候得ハ大兄御同行相叶候ハヽ実ニ大幸の事ニ奉存候 再拝  越前御藩邸 中根雪江様 才谷楳太郎 御直披

 坂本龍馬は新暦で1836年1月3日に生まれ、1867年12月10日に殺された。31歳だった。2017年は没後150年ということになる。150年前といえば、自分の曽祖父が生きていた時代。ほんの150年前の手紙なのに、言葉は現在とかなり異なっている。言葉はたった150年の時間で大きく変化している。所々の漢字などから想像することはできるが、詳細な意味が通じない。もちろん、学問があり、識者がいるから、現代語に訳してくれるが。

 これから、150年後。日本語を日本語に翻訳するソフトやアプリがあるのだろうか。幕末どころでなく、平安時代の古今和歌集や江戸時代の随筆も、わずかな操作で見聞きできる環境になっているだろうか。そうなった時、150年後の未来は、300年前の時代とは150年前の現在よりも近い場所にいるのかもしれない。そうなると、300年前の坂本龍馬より、1300年前の紀貫之や紀友則の方が人気があるかもしれない。

 技術革新とは長い時間をかけてタイムマシーンを作っているようなもの。龍馬の手紙を見て、そう思った。

2017年1月13日 (金)

日本の女優 この世界の片隅に 2

Non_konosekainokatasmini 去年11月のブログでアニメ映画「この世界の片隅に」について「過去五指に入る良質な映画。更に興行的成功を収めるのではないか」と記した。

   http://kasa.air-nifty.com/blog/2016/11/post-4ad4.html

 興行的成功は収めたが、まだまだ途上。作品の評価も、第90回キネマ旬報ベスト・テンで第1位と監督賞をW受賞(アニメ作品の第1位選出は1988年度の「となりのトトロ」以来28年ぶり2度目、監督賞にアニメ作品の監督が選出されるのは、片渕氏が初)したが、こちらも途上だろう。

 原作者・こうの史代、監督・片渕須直、主演(声)・能年玲奈、そして、この映画の価値を高めることになったクラウドファンディングによる出資者。この映画に関わった人々は、この映画をまるで植物を育てるようにして開花させた。土に種を蒔いた人、水をやり、肥料を与えた人。どの役割も素晴らしいが、やはり、この歴史的アニメーション映画の“心臓”は能年玲奈と言わざるをえない。

 「過去五指に入る傑出した女優」と評価したい。声優としての出演ではあるが、各賞の演技賞での選出が検討されているようだ。

 優れた俳優・女優、アーティストは、自らの作品で既存の枠組やルールを突破する。

2017年1月12日 (木)

米国の女優 大統領vs女優

Merylstreep 弱者 障がい者 < 女優 < 大統領 強者

 弱者 ジャーナリスト = 政治活動家 = 実業家 強者

 ゴールデン・グローブ賞功労賞受賞の挨拶で、アメリカを代表する女優メリル・ストリープがトランプ次期大統領を批判して反響を呼んだ。

 事の発端はトランプ氏が障がいを持つ記者を笑いものにした演説を行ったこと。メリル・ストリープは「心が砕ける思いがしました。今だに頭を離れません。これは映画ではなく、現実の話だからです。権力者が公の場で人を侮辱する見本を示したら、国民はどう思うでしょう。侮辱は侮辱の仕返しを呼び、暴力は暴力を呼びます。権力者がその立場を利用して弱い者いじめをする社会には勝ちも負けもありません。全員が敗者です」。

 記者は障がい者なのかジャーナリストなのか。トランプは実業家なのか政治家なのか。彼女は女優なのか政治的活動家なのか。

 同じ挨拶で彼女は、9人か10人の俳優・女優ら、ハリウッドのサクセス・ストーリーを語った後、トランプ氏の愚行を問いただした。しかし、「振る舞いが下品だ」ということになると、彼女はアメリカ国民の半数をみくびっているように思う。サクセス・ストーリーを夢見る「非エスタブリッシュメント」が、トランプ氏を支持した。トランプに投票した人々はこう考えたのだ。「下品でも構わない。もう、エスタブリッシュメントが作る社会はまっぴらだ」。

2017年1月11日 (水)

マルシャン工場売店(長岡市)

Dsc_0582 マルシャンは長岡市や近隣住民にとっては馴染みのパン・洋菓子店。

 30年以上前の話。高校入試を終えた後、おふくろにワガママを言った。「マルシャンのシュークリームを1箱(10個)丸ごと食べたい」と。

 おふくろがくれた硬貨を握りしめ、近所にあったマルシャンに買いに行った。テレビの高校入試解答速報を見ながら、全部たいらげた。マルシャンのシュークリームは生クリームとカスタードクリームが入った“ツイン・シュークリーム”が特徴。それは今も変わらない。

 前島にあるマルシャンの工場売店が金曜と土曜限定で営業している。シュークリームは売っていないが、市価よりも安くパンを売っていて、つい買いすぎてしまう。流行っているベーカリーのパンもいいが、マルシャンのパンが持っている安心感・安定感はなんだろう。

 マルシャン工場売店 長岡市上前島町36(長岡免許センターすぐ) 毎週金曜・土曜のみ営業 

 【追記】 毎年2月第1週末の「マルシャン大感謝祭」ではシュークリームが売られる。ブログ記事にアクセスが増えるので追記。

 2017年 2月4日(金) 5日(土) 9:00~16:00

 2018年 2月2日(金) 3日(土) 9:00~16:00

2017年1月10日 (火)

今のところ暖冬

Dsc_0587 2017年1月10日 天候:晴れ

 関東の冬の空のように、真冬の長岡とは思えない青空が広がった。この冬はうっすらと雪化粧したことはあったが、雪道を踏みしめて歩くこともない。冬の3分の1を終えたところでは暖冬。しかし、強い寒気が速い動きで近づいている。今晩から週末にかけて雪となる見込。

2017年1月 9日 (月)

住宅街の水力発電所

Dsc_0583 福島江沿いを歩いていると、そこだけひときわ水が流れる音がする場所がある。川に段差が施され、その手前には用水路を跨ぐように小屋が建っている。小屋の脇に「水利使用許可」を表示した看板があった。

 「水利使用許可」は小水力発電のために要する国土交通省の登録制度のこと。使用者欄を見ると、そこにはJR東日本と記載されている。「堰設置式発電施設」のようだ。国鉄時代からの設備だろうか。

 用水路の水流を利して発電に供するとは、先人のアイデアの着想と、それを実現する力に感嘆。

 ここは長岡駅から300メートル、線路まで直線で200メートルほどの住宅街であるものの、福島江、柿川伏越工(柿川サイフォン)、そして小さな水力発電所と土木の実験場のような地域でもある。

    http://kasa.air-nifty.com/blog/2016/07/post-a34b.html

2017年1月 8日 (日)

ローカル路線バス乗り継ぎの旅 3 感謝

Tx170102 年末年始のテレビ番組で楽しみにしていたのが「ローカル路線バス乗り継ぎの 第25弾」(1月2日 テレビ東京)。とはいっても新潟はテレビ東京系列のネット局がないため、YouTubeで視聴した。5日はBSジャパンで「ローカル路線バス乗り継ぎの旅 The Movie」の放送もあった。  

 既報のとおり、第25弾をもって太川・蛭子のコンビはこの番組を“卒業”する。2人にとって最終回となる今回のコース設定が福島県・会津若松から秋田県・由利本荘というのもこの番組らしく、ブレがない。テレビ東京新社屋をゴールするとか、妥協・馴れ合いがない。設定コースや様々な出会い、マドンナと呼ばれる女性タレントにも大きく左右されるが、やはり、何度も記しているとおり“ロードムービーに駄作なし”。

 卒業回は苦戦となったが、この番組は日本でバス路線が衰退・減少していること(特に県境越え路線は壊滅状態)、乗客は高齢者か学生であり、彼らにとっては貴重な(ほぼ唯一の)生活の足となっていることを全シリーズをもってドキュメントしてみせた。そういった功績もあったのではないか。

 また、この番組で知った名所旧跡も数多い。村上水軍城(広島県尾道市因島)、湯村温泉(兵庫県美方郡)、チキウ岬(北海道室蘭市)などはいつか訪れてみたいと思っている。

2017年1月 7日 (土)

孝太郎焼き(見附市)

Ichinotsuboya 見附郵便局(旧局舎)は昭和53年(1983年)まで本町にあった。その前に市ノ坪屋というお菓子屋があった。祖父も祖母も、父も母も、市ノ坪屋のおやきが大好きだった。おやきが食べたくて、親にねだったこともあった。そんな時は一人で買いに出掛けた。1個60円とか70円。そんな時代だったと思う。買ってきたおやきは、掘りごたつの中で保温するのがお決まりだった。家から店までは300メートル。八百富士から先は雁木(がんぎ)があった。店の前にはバス停があり、バスを待つ人はそこでおやきを買って帰宅した。少し怖い顔をしたおばあさんが、作っていた。いつも白い割烹着を着ていた。ガラス越しにおばあさんが作るおやきは「孝太郎焼き」といった。

 今川焼きの呼称は各地で異なり、様々な名前がついている。このことは身をもって知ることになった。見附の町を出て、「孝太郎焼き」の文字を見かけることはなくなったからだ。おやき=孝太郎焼き=大判焼き=今川焼き。

 写真はgoogleマップから。名残りのテント看板が写っていた。

 今川焼き(wikipedia抜粋) 小麦粉、玉子、砂糖を水で溶いた生地を鉄や銅製の焼き型へ流し込み、餡を包んで、円筒形ないしは円盤状に焼成したもの。全国各地で同様な食品が様々に呼称(大判焼き、おやき、回転焼き等々)され、常設店舗だけではなく祭りの露天等で販売される場合も多い。日本人になじみ深い菓子である。

2017年1月 6日 (金)

ホタル焼き(長岡市)

Hotaruyaki_2 ホタル焼き。あんことクリームの2種類があるのではなく、あんことクリームが入っている。旧越路町の塚野山地区等では初夏にホタルが舞う。ホタルのキャラクターを模していて、かわいらしい見た目をしている。今川焼きとか大判焼きと呼ばれ、その土地土地で呼び名や愛称が違っている。

 自分の原点は「孝太郎焼き」。明日、記す。

 岡鶴堂菓子舗(コウカクドウと読むらしい) 長岡市沢下条488-2(旧越路町。国道404号から岩塚製菓沢下条工場方面へ。同工場の前)

2017年1月 5日 (木)

2016年のカレンダー

2016_calender_2 昨日、今年のカレンダーについて記したが、去年のカレンダーはお気に入りだった。「新潟競馬場開設50年」で無料配布された卓上カレンダー。そこには13頭の競走馬が掲載されている。

 1月:オルフェーヴル 2月:ギャロップダイナ 3月:ジャスタウェイ 4月:アドラーブル 5月:メジロドーベル 6月:ドリームジャーニー 7月:ノースフライト 8月:ショウナンパントル 9月※:ビリーヴ/スノードラゴン 10月:ライスシャワー 11月:シンボリルドルフ 12月:フジキセキ

 新潟競馬場でデビューした11頭(9月は新潟で行われたG1スプリンターズステークスの勝馬)はそうそうたる顔ぶれ。このうち3頭~4頭は日本競馬のベスト10にも入るだろう。

2017年1月 4日 (水)

2017年のカレンダー

201701calender_2 以前、「死ぬまでに行きたい!世界の絶景」という本がベストセラーになった。そのシリーズの「2017年版カレンダー 日本編」に表紙を含めて次の13景が掲載されている。

 表紙:御射鹿池(長野県)  1月:ラピュタの道(熊本県)  2月:知床の流氷と夕日(北海道)  3月:いなべ市の梅林公園(三重県)  4月:横浜町の菜の花畑(青森県)  5月:モネの池(岐阜県)  6月:青ヶ島(東京都)  7月:慶良間諸島(沖縄県)  8月:名寄のひまわり(北海道)  9月:元乃隅稲荷神社(山口県)  10月:大井川鐵道レインボーブリッジ(静岡県)  11月:渋峠から見た芳ヶ平(群馬県)  12月:星野村(福岡県)

 いつか訪れてみたい場所ばかり。まずは、東日本(北海道を除く)。今年、行けるとしたら、御射鹿池(長野県)、横浜町(青森県)、モネの池(岐阜県)、渋峠(群馬県)のうち、いくつだろうか。

2017年1月 3日 (火)

ショップカード

Shopcard 若い頃、日記をつけていたことがあった。ブログは2008年7月まで、2年くらいやっていた。このブログは始めてから半年。

 日記は自分の内面と向き合い、心洗われる思いでつけていた。ブログは日記のようなものだが、インターネットに繋がっている以上、社会と繋がっている。「西向きの窓辺」というタイトルは気に入っていて、このタイトルには外気と内側の空気を入れ替えるようなイメージもある。

 趣味が多いわけではないが、パンが好きでパン屋やベーカリーのレジ脇に置いてある「ショップカード」は必ずもらってくる。新たな年を迎えたので、「パン屋・ベーカリー」のカテゴリーを追加した。月に2軒載せたら1年で24軒。手元のショップカードはそれ以上ありそうだ。

2017年1月 2日 (月)

数え年

 西暦2016年が西暦2017年になり、平成28年が平成29年に変わった。

 平成の元号改定(改元)から29年が経ち、2000年の“ミレニアム”、2001年に21世紀になってからも長い年数を経過した。

 「数え年」は年齢の数え方のひとつ。生まれた時を1歳と数える。暦年が変わるごとに1歳年をとる。現代では満年齢表記(誕生日で加齢する数え方「周年」)が一般的になっている。

 数え年の考え方は数字ゼロ「0」の考え方の違いにあるようだ。確かに、中学0年生はいない。

 満年齢では48歳。西暦2017年、平成29年は数え年で50歳。数え年は残酷だ。

2017年1月 1日 (日)

元旦休業の企業を支持したい

2016 新年の初売りを元旦から行わない企業が増えつつある。

 元旦営業を継続する企業は、消費者の利便性確保や休暇のレジャー施設としての役割を担っていると説明するが、売上・利益優先であることは隠せない事実だろう。そのことを責める気持ちはない。ある程度の集客はあるのだろうが、福袋などは「元旦に売っているから買いに行く」面がある。2日からであれば2日に出掛けていくだろう。

 例えば、元旦営業のスーパーに勤める人がいる家庭は、どんな大晦日や元旦を過ごしただろう。旦那さんが酔い潰れても、明日、お母さんが仕事ならば、気持ちも切り替えなければならない。公共交通機関の運転手やタクシードライバーがいる家庭は、どんな大晦日や元旦を過ごしただろう。今日、すれ違ったバスの乗客は1名だった。いくら代休がある、交替で休みがあるといっても、大晦日は大晦日、元旦は元旦だ。家族と過ごす大晦日や元旦は、かけがえのないもののように思う。

 そんなことで、2018年は元旦を休日とした企業を支持したい。

 家電量販店では、ヤマダ電機、ケーズデンキなど。ドラッグストアでは、カワチ薬品など。ホームセンターでは、コメリ、ムサシなど。食品スーパーでは、ウオロク、チャレンジャー、ベイシアなど。

【写真】初日の出、とみせかけておいて夕日。それも、秋の夕日。

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