2023年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

« 年賀状産業を縮小しよう | トップページ | 母の断捨離 »

2016年12月30日 (金)

ミニマリストとシンプリスト

 先日、74歳の母の断捨離に駆り出された。そのことは明日に回して、少し記す。

 断捨離という言葉が一般的になりつつあった時期、「ミニマリスト」、「シンプリスト」という言葉も目にした。ミニマリストやシンプリストが語られる時、ほぼ100%、「ミニマリストの部屋」、「シンプリストの部屋」という具合に部屋の写真が添付される。写真を見ると、確かに部屋の有り様は両者の特徴を現している。両者には明らかな違いがある。更に、両者と一般的な部屋との間にも大きな違いがある。

 自分の居場所である部屋(巣みたいなものか)の雰囲気、デザインや家具などに考え方が現れるというのはその通りだと思う。自分は「ミニマリストの部屋」の写真を見て違和感を感じるし、憧れることはない。「シンプリストの部屋」の写真を見れば、少し憧れるし、自分の部屋に近いものがあるなぁと思う。

 では、思想としてのミニマリズム、思想としてのシンプリズムはあるだろうか。例えば、ミニマリズムやシンプリズムの人は「小さな政府」を志向するだろうか。そう短絡的には直結しないだろう(割合は多いかもしれないが)。 

 先週、“年金カット法案”とも言われている「年金制度改革法案」が可決・成立した。「時代に合わない」とか「設計が古い」とか、様々な理由で行われる制度改革、制度改定を見て、「シンプルな仕組みでないこと」に嫌悪感を覚える。

 自分は自国に、充実した福祉国家であって欲しいと思っている。その考え方から「小さな政府」には異を唱えたい。しかし、一方で「シンプルな仕組み」であることを願っている。そして、政府や行政が行う仕組みづくりにおいて、最大かつ最重要な仕事は『所得(富)の再分配』だと考えている。

 個人の断捨離には、相応の勇気がいる。制度の断捨離、そして、シンプルな仕組みの再構築が必要だと、絡まった糸のような制度改定を見ていて思う。

« 年賀状産業を縮小しよう | トップページ | 母の断捨離 »

西向きの窓辺」カテゴリの記事