「保育園落ちた」を擁護する
「保育園落ちた日本死ね」という投稿ブログ。これが発端となって待機児童問題がクローズアップされた。この言葉が新語・流行語大賞トップ10に入ると、全く別の論点で議論が再燃した。大まかな流れは下記の6点。特に5の論調があまりに本質を逸脱していて驚いた。
1.「保育園落ちた~」が新語・流行語大賞トップ10に選出される → 2.1に体する批判 →タレントらによる「とても悲しい気持ちになった」等の批判 →3.2に対する協賛社の見解 →「協賛という立場である弊社は、審査員の選定やワードに関して意見を申し上げる立場ではございません」 →4.2.に対する審査員の見解「死ね(という言葉)が、いい言葉だなんて私も思わない。でも、その毒が、ハチの一刺しのように効いて、問題の深刻さを投げかけた」 →5.3と4に対する主に2側の反論(原文を引用)「web署名を用いる。法的効果はないことはご存じの方も多いと思うが、対民間企業であるX社(協賛企業)の場合は、法的な効果はあまり関係ない。狙いは、投資家に対して数の証明を行うことにある。企業に対しては株主の発言力が異常に強力である以上、ここが弱点だ。」 →6.5に対する反論 →「言論の自由」等
「(新語・流行語大賞トップ10の)協賛企業X社に圧力をかけよう」という暴挙。勝手にやればいいこと。徒党を組む必要はない。
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「保育園落ちた~」を擁護する。類い希なキャッチコピー。社会が抱え、優先度・緊急度が高いにもかかわらず、着手されない、あるいは解決されない課題。直面した当事者であるからこそ、日本(国や行政、社会や世論)に対し発せられた怒り。ブログ主は弱者であり、公正でないものに怒っていたのだと思う。“公平な抽選”で落ちたのは保育園への入園許可。しかし、公正ではないものによって、自分自身と子どもが落とされたと考えても不思議には思わない。国会で取り上げられ、論争を広げ、保育士の劣後した待遇改善も喫緊の課題として浮き彫りになる等、放置されてきた様々な問題がようやく改善される方向に動き出した。社会は告発者を擁護すべきだろう。
その上で。苦言を1つ。
小学校2年の夏から秋、そして冬にかけてのおよそ半年間、俺は4歳の弟を保育園に迎えに行っていた。家と小学校と保育園は近所にあり、距離的にはそれほど大げさなことではない。家から小学校の西門を入るまで100メートル、ひとつ信号がある。西門から保育園に近い東門までは前庭をぐるっと廻って300メートル。東門から保育園まで100メートル。
夏の前庭には真っ赤なサルビアの花が咲き、花心をつまんでは蜜を吸った。秋の前庭にいた悪ガキに、輪ゴムを飛ばされたと言って弟は泣いた。冬の前庭は雪に覆われ、除雪された歩きやすい道を外れ、積み上げられた雪山の上を歩いた。
保育園の玄関には、たくさんのお母さん達が集まっていた。その中に入っていくのが、恥ずかしかった。3人姉弟の末っ子で、早生まれの弟は、まだ幼かった。次の春から弟は近隣の幼稚園に転入した。保育園は「迎えが小学校2年生では好ましくない」と判断した。延長保育も限度があった。“子育て支援”などという言葉もなく、行政の施策など望むべくもなかった。
40年が経過し、世の中は進歩した。今の子育て世代が恵まれているとは思わない。行政の施策が後手に回っていることも事実だろう(行政とはそういうもの)。企業の制度も支援も不足だし、不十分。しかし、10歳、8歳、4歳の子育て、祖父母の医療費負担で経済的負担が大きかったにも関わらず、看護・介護のために幼稚園の学費捻出を余儀なくされていた父と母。あの頃の親たちほど必死な状況にないことも、知るべきだろう。赤ちゃんを背負って働いた母親が、あなたのお祖母ちゃん世代までにはいたことを知るべきだし、大人たちはそのことを教えるべき。「保育園落ちた」は、切迫した想い、切実な願い。「日本死ね」は、前段の修飾語や接頭語に過ぎないと解釈している。
自分自身、父と母を尊敬する理由はいくつもあるわけではない。ひとつ、あるいは、ふたつ。父と母が、「必死で育ててくれたこと」に感謝。
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