病院へ続く道
見附市内、刈谷田川にかかる瑞祥橋の架け替え工事が始まった。市内から瑞祥橋を越え、耳取方面に左折する道は「病院へ続く道」だった。
昭和49年3月に祖父、昭和52年2月に祖母が亡くなった。祖父母が通院、入院していた長岡中央病院には数えきれないほど通った。
瑞祥橋から耳取方面、椿沢を通って、浦瀬を右折、永田で左折、東北中学校の前を通り、川崎で栖吉川を越え、ニチエー(現在はエヌ・シィ・ティ)の裏に出る。中央病院はすぐそこだ。バイパスがない時代、父はいつもこの道を使っていた。
父は仕事を終え、夕飯を済ませると、「お前も行くか?」と聞く。必ずといっていいほど父についていった。観たいテレビ番組もあったが、父について行く方を選んだ。見舞う祖母が喜んだし、自分が同乗した方が、父は安全運転になるような気がした。子どもながらそう思っていた。
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