2023年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ

« パソコンのこと | トップページ | 遺影の写真 »

2016年12月 5日 (月)

病院へ続く道

 見附市内、刈谷田川にかかる瑞祥橋の架け替え工事が始まった。市内から瑞祥橋を越え、耳取方面に左折する道は「病院へ続く道」だった。

 昭和49年3月に祖父、昭和52年2月に祖母が亡くなった。祖父母が通院、入院していた長岡中央病院には数えきれないほど通った。

 瑞祥橋から耳取方面、椿沢を通って、浦瀬を右折、永田で左折、東北中学校の前を通り、川崎で栖吉川を越え、ニチエー(現在はエヌ・シィ・ティ)の裏に出る。中央病院はすぐそこだ。バイパスがない時代、父はいつもこの道を使っていた。

 父は仕事を終え、夕飯を済ませると、「お前も行くか?」と聞く。必ずといっていいほど父についていった。観たいテレビ番組もあったが、父について行く方を選んだ。見舞う祖母が喜んだし、自分が同乗した方が、父は安全運転になるような気がした。子どもながらそう思っていた。

« パソコンのこと | トップページ | 遺影の写真 »

見附市」カテゴリの記事

1970年代」カテゴリの記事