ダイバーシティ
「同じ意味を持つ日本語があるのに、なぜ日本人は外来語を使うのか?」ということをよく見聞きする。随分と長い間、そう言われてきた。基本的にはその通りだと思う。できれば日本語を使いたいし、大事にしたい、守りたい気持ちがある。一方で、外来語の増加については、諦めざるを得ない状況にあることもわかっている。外来語に対応する日本語はあっても、本質を現していなかったり、その言葉や用語の持つ思想を表現していないことがある。もちろん反対のケースで、日本語表現の方が奥深い意味を持ち、適切な表現であることも少なくない。
ダイバーシティ(Diversity)は「多様性」と訳されている。最近の外来用語では、一番しっくりくる言葉だと思う。多様性という日本語はあったが、ダイバーシティが意味する考え方は、多様性よりもダイバーシティの方がしっくりくる。本来の意味は「多様性の受容 Diversity&Inclusion」というらしい。このダイバーシティ的な思考が、長い間、自分の中で上手く表現できない想いとしてあった。以下、「人事マネジメント 解体新書」から抜粋して引用。
人間は人種や性別、年齢、障害の有無などの外見的な違いだけでなく、宗教や価値観、社会的背景、生き方、考え方、性格、態度、嗜好など、内面も皆違っている。ダイバーシティとは、個々の違いを受け入れ、認め、活かしていくことを言う。そこでは、画一的なものを強要するのではなく、各自の個性を活かした能力を発揮できる風土を醸成していくことが求められる。それは、個人のみならず、組織にとっても多様性の受容は大きなプラスになるという考え方がベースにある。グローバル化が進む現在、世界のどこでも女性の登用、外国人の活用など、ダイバーシティの推進に力を入れている現実がある。一方、日本はというと、「経営者に多様性や異質性を活用する価値観が希薄」であり、「社会に多様性や個別性を前提とした考え方、システムが存在していない」。「男女の分業を基本とした日本の社会、企業、組織風土が根強く存在している」などの理由から、ダイバーシティという概念が形成されてこなかった。同質的な人材を求めることは組織マネジメント上、一見、効率的のように思われるかもしれないが、実はそうではない。均質な人材から構成される組織より、多様な人材がいる組織のほうが、さまざまな面でリスクを軽減できる。変化や混乱への対応力、無から有を生み出す力などが違ってくる。自然界の種の存続をみても分かるように“雑種”は強い。変化が激しく先の読みにくい時代にあって、スピーディに対応していくためにも、組織内部に多様な人材がいることが不可欠になってきている。ダイバーシティとは、異質や多様性を受け入れ、その違いを認め、活かしていくことである。
「バランス感覚」という言葉が嫌いだった。何のバランスか?バランス感覚を持つ人間が10人集まっても、出てくる答えはバランスに配慮された答え。マトリックス分析の四隅の存在は、最初から俎上に載らない。一方、多様な人間が10人集まり、バランスに配慮された答えが出されたとしよう。しかし、過程が違うのだ。四隅の存在を認めた上で、導かれた答えには「しなやかさ」がある。これは肌感覚でわかる。
アメリカ、日本、韓国。強く、しなやかな社会を持つ国はどこだろう。アメリカ→日本→韓国ではないか?これはそのまま、「ダイバーシティ=多様性の受容」が進んでいる順だと思うが、どうだろう。
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