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2016年11月21日 (月)

思い出の自転車 1

 近年、いくつかの町で見かけるようになった「サイクルベースあさひ」という店。気になってホームページを確認してみた。どうやら、「丸石自転車」の流れをくむ会社らしいことがわかった。いつものように、昔のことを思い出した。

 自転車は自転車屋で買うものだったが、今は量販店で買うものになった。自分自身、折りたたみ自転車をホームセンターで買ったし、15年ほど前にディスカウントストアで買った自転車は、会社の駐輪場で2度盗まれた(2回とも戻ってきたが、交番に迎えに行った時には、面影がないくらい傷んでいた)。傘と自転車は盗まれることが前提のような時代になった。

Maruishi 幼い頃、家には自転車が何台かあった。赤いフレームの自転車とクリーム色の自転車。赤いフレームの自転車がミヤタ自転車。クリーム色の自転車が丸石自転車のものだった。MARUISHIというロゴと飛び跳ねるカンガルーのマークがあった。自転車は町内の早川輪店で買ったものだと思う。パンクした時、空気が抜けた時によく通った。店内は自転車でギュウギュウだった。奥の椅子に主人が腰掛けていて、主人の作業服はいつも油で汚れていた。

 自転車には保育園の年中組の頃には乗れるようになっていた。たぶん姉のものだったと思うが、子供用というより幼児用の自転車があり、見附小学校の西門を入ったところの校庭で補助輪をつけて練習した。幼児用の自転車を卒業した後、栃尾の親戚から子ども用の自転車をもらった。この自転車の記憶が薄いのは、乗っていた年数が短かったから。やがて、体が成長し、その自転車も小さくなった。当時の少年の間では「変速機つきの黒い自転車」が流行ったが、うちでは買ってもらえなかった。欲しいという意志表示をしたこともなかった。そこで、クリーム色の自転車に乗って遊びに行くようになった。立派な大人用の自転車だ。小学校3年頃の話。26インチ(たぶん)の自転車は走行時、サドルに尻がつくことがなく、停止時さえも足先が地面に着かなかった。

 当時は子供がそんな自転車に乗っていても、違和感がなかった。安全上の注意もされた覚えがない。「変速機つきの黒い自転車」に、みんながみんな乗っていたわけではなかったし、自転車や持ち物でどうこうというのは無かった。多少、金持ちの子はいたが、みんな田舎でささやかに暮らす庶民の子ともたちだった。 

 あの頃の自転車屋はもう存在しない。バイク好きな跡継ぎがいて、バイクを柱に事業を継続している店もあるが、それも少子化の影響(というより打撃)を受けているはずだ。思い出話は尽きないので、また、続きを記す。

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