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2016年11月

2016年11月30日 (水)

この世界の片隅に

Konosekainokatasumini 「映画の動員・興行成績を最も左右する要因は、公開前に振り分けられたスクリーン数である。『この世界の片隅に』のように、初週公開63スクリーンの作品が観客動員トップ10に入るのは極めて異例なこと」 

 このニュースがきっかけとなって「この世界の片隅に」を観た。今年、映画を観るのは初めてだった。「君の名は。」、「シン・ゴジラ」も観ていない。 

 戦争と女の子→「火垂るの墓」、広島と戦後→「NHKの朝ドラ的な懸命に生きる女性の物語」。そうならないことを願いつつ、そんな先入観を持って観に行った。念のためハンカチは持参した。

 今年、初めて映画を観た人間が批評もなにもない。アニメであるが、小・中学生では理解できないだろう。大人の映画だ。

 1.過去五指に入る良質な映画。映画である以上、空想的要素は排除できないが、おそらく、更に興行的成功を収めるのではないか。

 2.主役の声優を務めた能年玲奈は才能に溢れた女優。仮に実写版が制作されたとしても、「すず」は彼女が務めるべき。

 唯一の違和感。本作がクラウドファンディングによって制作された意味や価値を理解するが、最後の全氏名・社名テロップはどうか。急激に現実に引き戻される。

クラウドファンディング(Crowd Funding) 群衆(crowd)と資金調達(funding)を組合わせた造語。クリエイターや起業家等が製品やサービスの開発、アイデア実現のために、インターネットを通じ、不特定多数の人から資金の出資を募ること。

2016年11月29日 (火)

BOOK・OFF 2

 BOOK・OFFにも本屋と同じように色がある、と思う。商品である本を店頭に持ち込む客が色をつける。

 BOOK・OFFの価値・本領は「108円の棚」にあると信じて疑わない。108円の棚にはBOOK・OFFの色がより滲み出ている。

 「誰かのクラクション」 尾崎豊  32年前の本。持ち込んだのは40代後半から50代前半の人物だろう。これまで大切に保管していた青春の思い出。処分したのは本だけだろうか。尾崎豊にはタイトルと同名の曲があるが、その歌詞とは違う散文詩の強烈な印象が残っている。

 本所しぐれ町物語」 藤沢周平  30年前の本。文庫ではなく単行本。ところどころにシミが浮いている。ぱらぱらとページをめくると、少し畳のような匂いがした。70代老人の遺品整理で処分されたものだろうか。

 「愛の無常について」 亀井勝一郎  18年前の本(初版は67年前。作者は50年前に死去)。普遍的な本だと思うが、個人的にはこの本を女性が読むとは想像しない。読書家で真面目な男性。当時40~50歳。現在60代後半か。

 「国語辞典 明鏡」大修館書店  14年前発行。どのタイミングで買った辞書だろう。小学生なら就職した男性、中学生なら結婚した女性か。

 108円の棚には、冒険心(108円なら買ってみよう)、射幸心(108円でどんな時間が過ごせるだろう)、猜疑心(疑義の念、こんな変わった本、誰が読んでいたんだろう)、郷愁(読んだことがある。持っていたが手放した。読む機会を逸していた。高くて買えなかった)、怨念(思考や思想がかけ離れていたり、少しひねくれているが、時には作家の才能にも)等々。

 108円の棚には、人間の“業”のようなものが宿っている。商品である本を買う客もまた、色をつけているんだと思う。

2016年11月28日 (月)

BOOK・OFF 1

 「BOOK・OFF」がある風景は、コンビニやファーストフード、ファミレス、ドーナツショップ、牛丼屋、紳士服店、マンガ喫茶などと同様に、街や幹線道路によくある風景になった。

 BOOK・OFFは古本屋。古本屋が業態を変えながら、現在も存在するのは、古本屋には人間の根元的なニーズがあるからだと思う。昔あった八百屋、肉屋、電気店、本屋、スポーツ用品店などはほぼ無くなって、スーパーやチェーン等に取って代わられた。取って代わったチェーン店も、郊外型の大規模店舗やネット大手(Amazonや楽天など)に押され、特に本に関して言えば、書店がない町が珍しくないという。そのうちに、「BOOK・OFFはあるが本屋がない」ことにもなりかねない。 

Book_off 古本屋が持つ根元的なニーズとは、人が本に価値を置いていること。単なる消費物として捉えていないから、時を経ても取引が成立する。場合によっては刊行時の価格を上回ったりする。消費物はやがて廃棄物になるが、価値ある本はそうはならない。車と同じように中古市場が存在し続けている。買った本を一生本棚に並べておく人もいる。本には心が乗り移る。人の気持ち・思い入れが強い本が「いい本」ということもできる。

 本屋には色があった。置いてある本のジャンルや作家に偏りがあった。当然、店舗の立地に影響を受けるが、やはり偏りがあったのは、店主の好みに因るところが大きかったはずだ。同じようにBOOK・OFFにも色がある。BOOK・OFFに店主はいない。中古・古本なだけにシステマティックに売れ筋商品(今週のベストセラーは、しばらく時を経ないと入荷しない)を陳列するという訳にはいかない。そこで色をつけるのが、本を店頭に持ち込む客ということになる。(続く)

2016年11月27日 (日)

2つの保健室

 献血に行った。成分献血が合わず、いつも400ml献血だ。平日の寒い日だったが、献血ルームには途切れることなく献血者がいた。採血用のベッドに座っていて思い出したことを書く。

 学校には保健室や医務室がある。そこにいるのは養護教諭の先生。小学校の保健室にいたT先生はニックネームがついていた。愛知県の蒲郡出身の彼女が発する言葉の方言から取ったものらしかったが、実際にその方言を聞いたことはなかった。何がきっかけだったのか、先生とは気軽に話しができるようになった。昼休みや放課後、保健室によく通った。土曜日の午後、児童会の用事でガリ版を作る作業があった。土曜の午後は教室に誰もいないから、保健室でガリガリやっていた。そんな時も「何で教室でやらないの」とは言わなかった。担任の先生や児童会の先生への愚痴・文句・不満をよく聞いてもらった。

 6年生の春に左足の第5中足骨を骨折して松葉杖をついていた。その年の冬休みには左すねに大ヤケドを負った。どちらもまあまあのケガだったが、その時は保健室に通わなかった。その理由は教室が校舎3階の東側、保健室は1階の西側にあり、距離があったこともあるが、自分にとっての保健室は、病気やケガの時に頼る場所ではなく、ココロの空気を入れ換える、そんな場所だったからだ。

Hokenshitsu 中学校の保健室にいたのはT先生。風貌も性格もサッパリとした先生だった。具合も悪くないのに座っている俺を見て「また来たの?」と言われた。だが、「(教室に)帰りなさい」とか「(具合が悪くないなら)出て行きなさい」とは1度も言われた記憶がない。まるで「飲み屋のママ」だ。さすがに「また来てね」とは言わなかったが。

 小学校でも中学校でも、カーテンで仕切られている休息用のベッドに横になったことはなかった。本当に頭痛がすることがあっても信じてもらえない。小学校では低学年の子ども、中学校では女子が寝ている時などは保健室を出て、それなりにマナーを守っていた。

 記憶に残る先生は何人もいる。担任の先生、叱ってくれた先生、言葉をかけてくれた先生。部活や習い事でも先生はたくさんいた。中でも感謝したいのは、何を語るでもなく、時間と空間を与えてくれた2人の養護教諭の先生だと思っている。

2016年11月26日 (土)

ダイバーシティ

 「同じ意味を持つ日本語があるのに、なぜ日本人は外来語を使うのか?」ということをよく見聞きする。随分と長い間、そう言われてきた。基本的にはその通りだと思う。できれば日本語を使いたいし、大事にしたい、守りたい気持ちがある。一方で、外来語の増加については、諦めざるを得ない状況にあることもわかっている。外来語に対応する日本語はあっても、本質を現していなかったり、その言葉や用語の持つ思想を表現していないことがある。もちろん反対のケースで、日本語表現の方が奥深い意味を持ち、適切な表現であることも少なくない。

Divercity ダイバーシティ(Diversity)は「多様性」と訳されている。最近の外来用語では、一番しっくりくる言葉だと思う。多様性という日本語はあったが、ダイバーシティが意味する考え方は、多様性よりもダイバーシティの方がしっくりくる。本来の意味は「多様性の受容  Diversity&Inclusion」というらしい。このダイバーシティ的な思考が、長い間、自分の中で上手く表現できない想いとしてあった。以下、「人事マネジメント 解体新書」から抜粋して引用。

人間は人種や性別、年齢、障害の有無などの外見的な違いだけでなく、宗教や価値観、社会的背景、生き方、考え方、性格、態度、嗜好など、内面も皆違っている。ダイバーシティとは、個々の違いを受け入れ、認め、活かしていくことを言う。そこでは、画一的なものを強要するのではなく、各自の個性を活かした能力を発揮できる風土を醸成していくことが求められる。それは、個人のみならず、組織にとっても多様性の受容は大きなプラスになるという考え方がベースにある。グローバル化が進む現在、世界のどこでも女性の登用、外国人の活用など、ダイバーシティの推進に力を入れている現実がある。一方、日本はというと、「経営者に多様性や異質性を活用する価値観が希薄」であり、「社会に多様性や個別性を前提とした考え方、システムが存在していない」。「男女の分業を基本とした日本の社会、企業、組織風土が根強く存在している」などの理由から、ダイバーシティという概念が形成されてこなかった。同質的な人材を求めることは組織マネジメント上、一見、効率的のように思われるかもしれないが、実はそうではない。均質な人材から構成される組織より、多様な人材がいる組織のほうが、さまざまな面でリスクを軽減できる。変化や混乱への対応力、無から有を生み出す力などが違ってくる。自然界の種の存続をみても分かるように“雑種”は強い。変化が激しく先の読みにくい時代にあって、スピーディに対応していくためにも、組織内部に多様な人材がいることが不可欠になってきている。ダイバーシティとは、異質や多様性を受け入れ、その違いを認め、活かしていくことである。

 「バランス感覚」という言葉が嫌いだった。何のバランスか?バランス感覚を持つ人間が10人集まっても、出てくる答えはバランスに配慮された答え。マトリックス分析の四隅の存在は、最初から俎上に載らない。一方、多様な人間が10人集まり、バランスに配慮された答えが出されたとしよう。しかし、過程が違うのだ。四隅の存在を認めた上で、導かれた答えには「しなやかさ」がある。これは肌感覚でわかる。

 アメリカ、日本、韓国。強く、しなやかな社会を持つ国はどこだろう。アメリカ→日本→韓国ではないか?これはそのまま、「ダイバーシティ=多様性の受容」が進んでいる順だと思うが、どうだろう。

2016年11月25日 (金)

安福亭(長岡市)

Dsc_0554 安福亭は長岡屈指のラーメン店。人気の盛衰があるラーメン業界で、少なくとも30年は人気店の座を守っている。ラーメン屋のことをたまに書く程度のブログで、どうこう語るのは恥ずかしくなる。

 この店に来ると30年前に、「お前はまだ学生だから(働いている)俺が出すよ」と排骨麺(パイクウメン)を奢ってくれた親友Sを思い出す。奢り返す機会もなく、彼は逝ってしまった。移転して、場所も建物も違うのに、やはり、思い出す。

 写真は老麺大盛(850円) 安福亭本店 長岡市柏町1丁目2-18 11:00~20:30 定休日:月曜・第3日曜

2016年11月24日 (木)

ドブ川が無くなった

 一昨日まで自転車のことを思い出しながら記していて、自分の少年時代が「自転車とともにあったこと」に気づかされた。どんな場面でも、自分の傍らに自転車があった。

Akichi 「ドラえもん」の中でキャラクター達が集う空き地の風景。コンクリートの土管をベンチ代わりして会話するシーンからエピソードが始まったりする。現在では様々な配慮から、公園の風景に変わっているかもしれない。それは仕方がない。安全に配慮した画づくりの必要があるのだろう。ムキだしの資材置場も見なくなった。そしてもうひとつ、見かけなくなったものがある。 

 自転車でバランスを崩して、ドブ川に落ちたことがあった。水は黒く、沈殿していた汚泥をかき回したため、強烈な臭いと泥に全身覆われた。泣いた記憶はない。むしろ冷静に考えた。自転車を置き去りにできず、引いたまま1㎞くらい歩いて帰宅した。道中、恥ずかしかったが、隠れることはできなかった。

 帰宅すると母は嫌な顔をして、玄関先の水道にホースを繋ぎ、そこで水をかけられた。冷たい感覚だったから、春か秋だったんだろう。夏なら気持ちいいし、冬なら自転車に乗っていないか、凍えた記憶があるはずだ。

 下水道が整備され、汚水が流れる側溝は道の下に隠された。水路やドブ川を見なくなった。あの頃、水が流れる音が聞こえるほど水量があった水路には、ほとんど水がない。自分が落ちたあのドブ川は「学校町2丁目のあの辺り」と記憶はあるが、今となっては見つけることはできないだろう。

2016年11月23日 (水)

雨の午後

Rain_pokemonn 傘を持ちたくない性分の人間は少なからずいる。少々の雨なら、少々の距離なら、雨に濡れる方を選択する。祝日の今日は、1日中ダラダラしていたので、スーパーへ買い物に徒歩で出掛けた。買い物時間を入れても30分と読んで、傘を持たずに。行きはポツポツとした雨だったが、帰りはまあまあ濡れて帰ってきた。

 柿川沿いの道を小さな子ども2人(男の子と女の子)とお母さん、3人が傘を傘をさして歩いていた。とてもゆっくりと。3人を追い抜きざま、お母さんが突然立ち止まった。小雨の中、スーパーの袋を持ったおじさんを警戒しているのかと思いきや…、「ポケモンいたよー♪」 

 雨の午後 親子で散歩 ポケモンGO       ※写真と本文は無関係

2016年11月22日 (火)

思い出の自転車 2

 便利な世の中になった。便利を2段、3段と飛び越えて、奇妙とさえ思う感覚がある。 

 書こうと思っていた自転車は、ドロップハンドルで12段変速の青い自転車なのだが、覚えていることはサドルに“DEKI”と刻印されていたことだけ。それだけを頼りにインターネットで検索すると…、一瞬で答えてくれた。

 出来鉄工所  高性能かつ高品質な実用自転車を安価で提供することで知られていた。部品メーカーの閑散期に部品を発注し調達単価を下げ、自社製フレームと組み合わせることで、高品質な自転車を低コストで生産していた。自転車生産の海外移転が進むと、この手法が裏目となった。部品メーカーとの取引を優先し、国産にこだわるあまり海外へ生産移転を進めることに遅れをとった。安価な輸入自転車との激しい価格競争に敗北してしまった。

 大人用でクリーム色の丸石自転車に何年か乗った後、母のママチャリ(ピンク)に乗ったりしていた。数年後に「ママチャリブーム」が起こったが、それよりも前の時代。自転車は相棒の域に達していたが、自分の自転車を買ってもらったことはなかった。

 中1の6月。13歳になった月に自転車を買ってもらえることになった。経緯は覚えていないが、「中学生になったら」とか「次の誕生日には」とか、淡い期待が先行していたのかもしれない。長岡駅前の長崎屋の折り込みチラシが入った。「変速機つき自転車」が4万円だったと思う。父と実物を見に行った。しかし、明らかに小さい。小学生低学年向けの自転車だった。落胆していると、すぐ隣に“ドロップハンドル”で“12段変速”の“青い自転車”があった。衝撃だった。「こんなの誰も乗っていない」。少年の心は自転車に撃ち抜かれていた。この時ばかりは「これが欲しい」と、明確に意思表示したと思う。価格は6万円だったと思う。予算の1.5倍だ。 

Deki_byc_2 その時の父の言葉は思い出せないが、要約すれば「話が違う。出直そう。買うのは中止。」ということだった。その後、なぜそんな行動に出たのか不思議だが、俺はすぐ脇にあった階段をかけ降りていた。感情を抑えられなかった。ダダをこねた記憶はないが、5つ下の弟はたくさんオモチャを持っていた(笑)「ガマンしてきた」という想いが爆発したのかもしれない。

 長崎屋の階段をかけ下りた後、見附まで15キロの道を歩いて帰った。道は祖父母の見舞いに何度となく通った中央病院に続く道を反対に遡れば良かった。道の心配はしなかった。いつもの道を歩いたら父に見つかる。通ったことがない農道を歩いた。方向だけ合っていれば帰れるという自信もあった。そして、その日なのか、翌日なのか、翌週なのか、父は自転車を買ってくれた。

 その自転車には22歳まで乗っていた。高校生になると長岡駅から長生橋を越えて4.5キロ、往復9キロをそれに乗って通った。大学入学後も関東まで持っていって通学に使っていた。パンクはしたが、故障したり部品が壊れたりすることはなかった。「高性能かつ高品質な実用自転車を安価で提供することで知られていた」という評価に偽りなかった。最高の相棒だった。

2016年11月21日 (月)

思い出の自転車 1

 近年、いくつかの町で見かけるようになった「サイクルベースあさひ」という店。気になってホームページを確認してみた。どうやら、「丸石自転車」の流れをくむ会社らしいことがわかった。いつものように、昔のことを思い出した。

 自転車は自転車屋で買うものだったが、今は量販店で買うものになった。自分自身、折りたたみ自転車をホームセンターで買ったし、15年ほど前にディスカウントストアで買った自転車は、会社の駐輪場で2度盗まれた(2回とも戻ってきたが、交番に迎えに行った時には、面影がないくらい傷んでいた)。傘と自転車は盗まれることが前提のような時代になった。

Maruishi 幼い頃、家には自転車が何台かあった。赤いフレームの自転車とクリーム色の自転車。赤いフレームの自転車がミヤタ自転車。クリーム色の自転車が丸石自転車のものだった。MARUISHIというロゴと飛び跳ねるカンガルーのマークがあった。自転車は町内の早川輪店で買ったものだと思う。パンクした時、空気が抜けた時によく通った。店内は自転車でギュウギュウだった。奥の椅子に主人が腰掛けていて、主人の作業服はいつも油で汚れていた。

 自転車には保育園の年中組の頃には乗れるようになっていた。たぶん姉のものだったと思うが、子供用というより幼児用の自転車があり、見附小学校の西門を入ったところの校庭で補助輪をつけて練習した。幼児用の自転車を卒業した後、栃尾の親戚から子ども用の自転車をもらった。この自転車の記憶が薄いのは、乗っていた年数が短かったから。やがて、体が成長し、その自転車も小さくなった。当時の少年の間では「変速機つきの黒い自転車」が流行ったが、うちでは買ってもらえなかった。欲しいという意志表示をしたこともなかった。そこで、クリーム色の自転車に乗って遊びに行くようになった。立派な大人用の自転車だ。小学校3年頃の話。26インチ(たぶん)の自転車は走行時、サドルに尻がつくことがなく、停止時さえも足先が地面に着かなかった。

 当時は子供がそんな自転車に乗っていても、違和感がなかった。安全上の注意もされた覚えがない。「変速機つきの黒い自転車」に、みんながみんな乗っていたわけではなかったし、自転車や持ち物でどうこうというのは無かった。多少、金持ちの子はいたが、みんな田舎でささやかに暮らす庶民の子ともたちだった。 

 あの頃の自転車屋はもう存在しない。バイク好きな跡継ぎがいて、バイクを柱に事業を継続している店もあるが、それも少子化の影響(というより打撃)を受けているはずだ。思い出話は尽きないので、また、続きを記す。

2016年11月20日 (日)

冬支度

Dsc_0555 街では植栽の冬囲いや消雪パイプの点検、タイヤ交換を待つ車の列など冬支度の風景がみられる。自分の冬支度は、タイヤをスタッドレスに交換するくらいか。

 小学校を卒業する頃まで、母が毎年のようにアノラックを買い与えてくれた。子どもは身長が伸びるから毎年の買い換えが必要だった。今はアノラックとは言わなくなった。父がする玄関脇と裏庭の冬囲いを手伝い、アノラックを買ってもらう。それが冬を迎える準備だった。

 アノラック(Anorak) … ウインドブレーカーの一種。防寒性に優れたフード付きの上着。アラスカ先住民イヌイットがアザラシの皮で作ったものが発祥。

2016年11月19日 (土)

バブルの泡

Tower_mantion 非常に自制的で、慎みに満ちた記事だ。時事通信から引用。

 日銀は銀行等による不動産業向けの新規融資額が、今年度上半期に前年同期比14.7%増の7兆706億円に達したと公表した。バブル期を含め上半期として過去最高を2年連続で更新。マイナス金利政策の影響で、不動産関連企業の借入が活発化しているため。日銀は不動産市場の過熱につながらないか警戒している。新規融資額は、銀行139行と265信金の合算。銀行は16.8%増の5兆8943億円、信金は5.4%増の1兆1763億円。東京五輪・パラリンピックに向けた再開発や、不動産投資ファンドに対する融資が伸びたほか、節税目的で賃貸住宅を建設する個人への貸出も増加した。企業の設備投資が勢いを欠く中、地価上昇などを背景に資金需要が伸びている不動産業界は、金融機関の数少ない有望な貸出先になっている。ただ、「積極的な融資が不動産への過剰投資を後押ししている」と、バブル発生を懸念する声も出ている。

 記事は非常に自制的で、慎みに満ちている。

 日銀は不動産向け融資が「過熱と(供給過剰による)調整と両方向の動きがある」と認識した上で、「大都市圏の一部で投資利回りが低水準となる高値取引がみられ、REIT投信の物件取得が地方圏に広がる動きを見せている」(10.24金融システムリポート)と指摘しているが、「行き過ぎたリスクテイクや信用量の増加といった過熱感は窺われない」としている。

 低金利政策が産み出した不動産バブルを同リポートで総括する日が来るだろう。バブルの泡は“かき混ぜた終わった後”に発生する。

2016年11月18日 (金)

操作される世論

Yoron_gazou 高齢者事故と言えば、高齢者が被害者になった事故を指していた。高齢者が加害者となる重大事故が相次いでいることから、高齢者加害事故に対する報道が絶えない。連日だ。

 高齢者加害事故が急激に増加しているとは到底思えない。報道する側の潮目が変わったから報道されているだけ。ニーズや関心があるから報道されている。事故はずっと起きている。

 週末あたりにはデータで示された報道が出てくるだろうか。高齢化の進行度、年代別事故率の推移、重大事故における高齢者占有率、地域別(報道されている高齢者事故は都市部が多い気がするが)…。

 同時にインフラ整備の速度についても検証されなければならない。高齢化は30年前から言われている国家最大の社会課題。高齢者だけに背負わせてはいけない。そして、高齢者を一括りにしてはいけない。免許返納を加速させる?過疎地の高齢者に軽トラック以上の生活の足はないと断言できる。

 一方、「医療保険で医療費負担に上限を設ける高額療養費制度で70歳以上の現役並み高所得者で特例(月4万4千円)を廃止。入院も含めた上限額(月8万円)を70歳未満の人並みに引き上げ、約100億円を捻出する」という医療保険改革が示された。70歳以上の“現役並み高所得者”に100億円優遇していたことになる。金持ち優遇政策を行っていたことへの批判も報じられるべき。

2016年11月17日 (木)

東山芝生公園(長岡市)

Dsc_0543_2 紅葉は峠を越して、色づいた葉の色が抜け始めている。葉は風もないのにカサカサと音を立てて散っていた。枝から蜘蛛が降りて来た。足を登って来たのも蜘蛛だった。そういう訳で、写真の佇まいほど、ゆっくりさせてはくれないベンチだった。

 落葉した範囲だけ、周囲とは違う色をしていた。葉は土に還り、やがて養分となって未来の自分を作る。

2016年11月16日 (水)

泉翠池(長岡市)

Dsc_0553 悠久山公園の大きな池は泉翠池(7,600㎡)というらしい。小さい方は瓢箪池(1,800㎡)。確かにひょうたんの形をしている。

2016年11月15日 (火)

三貫梨の乳銀杏(長岡市)

 マンションに住んでいると、多くの利便性に恵まれるが、いくつかの不便も受け入れなければならない。そのうちのひとつが洗車スペースがないこと。普段は洗車機にかけて終わりにしているが、年に数回はワックスがけをする。ここ2~3年、「ナノ粒子・鏡面&コート仕上げ」(ウィルソン)を使用。使用後は見た目も美しく、雨の日の撥水も段違い。相応の効果はあると思っている。

 一昨日の日曜日、悠久山市営駐車場までワックスがけに出掛けた。七五三が近く、蒼紫神社に向かう家族連れを見かけた。駐車場は悠久山公園に訪れた人ばかりではなく、子どもに自転車の練習をさせている家族、スケボーに乗っている人(若くない)、座り込んで何かを食べている家族、車内で話しているカップル、車の中で昼寝している人、そして俺と同じように車周りを掃除している人等々に有効活用されていた。

 帰り道、悠久山の池から御山町を抜けて行くと、見事なイチョウの木を見つけた。美しいイチョウの木の下でワックスがけの成果を撮影。すると、このイチョウの木が名木であることが記されていた。

Dsc_0550「三貫梨の乳銀杏」(さんがんなしのちちいちょう)  長岡市指定文化財、天然記念物。にいがた巨樹・名木100選。三貫梨は栖吉地区の地名だろう。乳銀杏とは、気根(植物が大気から水分を摂取するため、土に触れていない幹や枝から発生する根)が乳房の形に似ているところから、乳の出ない婦人の信仰を集めている銀杏の老木や、それにまつわる伝説をさすとのこと。イチョウの木の脇には祠(ほこら)があった。信仰の名木。

2016年11月14日 (月)

スーパームーン

Cimg0114 今夜は「スーパームーン」。地球を楕円軌道している月が、1年で最も地球に接近した日と満月の夜が重なる現象をそう呼ぶらしい。

 今年は68年ぶりの近さとなるため、月夜が期待されたが、一部の地域以外では天候に恵まれなかった。

 今回よりも満月が近づく機会は、18年後の2034年11月だという。その頃、66歳の晩秋に何を想っているだろう。

 22時20分頃、長岡市上空。雨雲の隙間から。

2016年11月13日 (日)

ザ・シンプソンズ

 「ザ・シンプソンズ」は、アメリカ・FOXテレビのコメディ・アニメ番組。アメリカの典型的な中産階級の日常をブラックユーモアを交え「シンプソン一家」に表現させている。

 今週、アメリカ大統領選挙で共和党のドナルド・トランプ氏が次期大統領になることが決定した(正式就任は2017年1月)。「ザ・シンプソンズ」のホーマー・シンプソン一家のような人々が政治経験を持たない異色な新大統領を誕生させたのだろう。

 社宅にケーブルテレビ回線が繋がっていた頃、「ザ・シンプソンズ」を楽しみに視聴していた。サントリー・CCレモンのCMに“出演”していたシンプソン家族を、最初は「黄色い顔をした変なキャラクター」くらいにしか思っていなかった。しかし、その魅力に取りつかれ、社宅を離れた頃にはDVDを買って観ていた。

 「ザ・シンプソンズ」は1989年から現在まで27シーズン、計600話近く放送されている。「スタジオ・ジブリ」の映画も大好きだが、決してお上品ではない「ザ・シンプソンズ」を長期に渡って製作するマット・グローニング氏、FOXという会社(経営層と組織)、そして視聴者とアメリカ社会の懐の深さ(寛容さと多様性を併せ持つ社会)には感心するばかりだ。

Simpsons(Wikipedia抜粋) シンプソン一家はアメリカにある架空の街・スプリングフィールドに住む典型的な中産階級の一家。主人公・ホーマーは原子力発電所の安全検査官をしている。愚鈍で少しおかしいところもあるが、冗談好きな性格。口癖は“D'on!”。妻・マージはアメリカにおけるステレオタイプな主婦像を具現化したかのような女性。2人には、トラブルメーカーの男の子・バート、8歳で早熟な女の子・リサ、おしゃぶりを咥えているマギーの3人の子供がいる。一家は犬のサンタズ・リトルヘルパーと猫のスノーボール2世というペットを飼っている。彼ら一家を通してアメリカ中産階級(労働者階級)の文化や社会状況を風刺的かつ強調して描き出したものになっている。

2016年11月12日 (土)

大衆焼肉きらく(見附市)

 見附市というのは説明に困る町。繊維(せんい)の町、織物の町といっても通じないし、現在は繊維産業の町とは言えない実態もある。

 「大衆焼肉きらく」(今町)、「アイスの谷信」(新町)などは知名度が高く、近隣市町村でも知られていることが多い。「きらく」のようなスタイルの大衆焼肉店は、その土地土地にある。

 長岡市大島の「スタミナ苑」、同要町の「焼肉ジュージュー」、小千谷市片貝の「あおきや」、上越市中郷区の「豊岡精肉焼肉店」、村上市田端町の「しらさぎ食堂」、魚沼市小出の「やまに」等。それらの店が、その土地土地で愛されているように、「きらく」もまた、地元民に深く愛されている。

Dsc_0534   Dsc_0535

 「大衆焼肉きらく」 見附市今町1-15-7 国道8号線から500㍍ 見附市立今町中学校近く

2016年11月11日 (金)

急性声帯炎を案じる

Mainimg13_2 1週間前の金曜日にメール配信された「浜田省吾ツアー 公演延期のお知らせ」に驚いた。「11月5日(土)、6日(日) マリンメッセ福岡にて予定しておりました『ON THE ROAD 2016 “Journey of a Songwriter” since 1976 』は、本人の急性声帯炎、急性咽頭喉頭炎の為、公演を延期させていただくこととなりました」というもの。

 彼は1952年12月生まれ。来月には64歳になる。ライブ・ツアーを活動の根幹とし、少々のことではライブに穴を空けない。そのことは40年のキャリアが証明している。だからこそ、長年のファンは心配する。

 彼が「ライブは一期一会」と口癖のように言うこと。昨年、“Journey of a Songwriter”のリリースがオリジナルアルバムとしては前作“MY FIRST LOVE”から10年経過していたことについて、「自分の音楽を記録するために必要な時間だった」と語ったこと。ファンに対し「僕の歌を人生のバックグラウンドミュージックに選んでくれてありがとう」と話すこと。「千里の馬」(下記リンク)のようなエピソードを記していること。

 枚挙にいとまがないが、つまり、彼は“誠実”なのだ。

 これまで、人生の様々なシーンで、彼と彼の歌に励まされたり、癒されたり、気づかされたりしてきたのは、彼がシンガーソングライターであり、詩人であり、更には“ジャーナリスティックな視線”を持っているから。

 多くのファンが彼を想い、慕い、信じてきた。来週、横浜アリーナでのライブが予定されている。横浜で、あるいは次の名古屋で復帰することを願っています。しかし、「声帯、咽頭、喉頭」それぞれの炎症を軽く扱わないで欲しい。

 私と同じように、多くのファンの人生の傍らには、常に、彼のレコードやCDがあった。これからもずっと、彼に存在し続けて欲しいから。

   http://kasa.air-nifty.com/blog/2016/09/post-b87c.html

【追記】本日、延期された福岡公演の開催日程がメール配信された。「横浜で復帰」に前進している証拠と受けとめたい。

2016年11月10日 (木)

J.BOY 30th Anniversary

W002 浜田省吾「J.BOY 30th Anniversary Box/Edition」がリリースされた。奇しくも、11月9日にリリースされたことで、再び、強く記憶に残ることになった。

 「J.BOY」には“国”という言葉が出て来る。そして、「AMERICA」という曲もある。アメリカ合衆国の新たな大統領に、評論家・学者・ジャーナリスト・アナリスト等、識者のほとんどが予想できなかった人物が就任することが決まった日。

 「J.BOY」が発売された1986年9月4日。俺は高校3年生だった。夏休みが終わってすぐ。あの頃、「J.BOY」を聴いて育った世代が、社会で影響力を持ち、組織で決定権を持つような世代になった。

 世の中では、「山のような仕事を抱え“逝った彼女”」が、社会の病巣をあぶり出した。「頼りなく豊かなこの国」の本質は、何も変わっていない。「J.BOY」のメッセージを、次の世代にも繋げていきたいと思う。

 ※今日のブログ内容は一部変更して“Journey of a Songwriter” since 1976 ツアーサイトのAfter Showに11/10投稿

2016年11月 9日 (水)

第45代アメリカ合衆国大統領

Trump_in_simpsons アメリカのテレビアニメ「ザ・シンプソンズ」は16年前(2000年3月)に“トランプ大統領”を実名のキャラクターとして登場させていた。“D'on!” 

 第45代アメリカ合衆国大統領に共和党のドナルド・トランプ氏(Donald・John・Trump)が就任することになった。民主党・クリントン氏との史上稀に見る泥試合は、史上稀に見る激戦となった(獲得選挙人数はトランプ氏が勝ったが、獲得投票数はクリントン氏が多数だった)。今年が波乱続きの年であること、アメリカ国民は既成政治に不満を持っていること等から、例えスキャンダルと汚名にまみれても、“チェンジ”する人物=トランプ氏だろうと推測していた。  http://kasa.air-nifty.com/blog/2016/11/2016-b825.html

 トランプ氏も凄いが、やはり彼に民主主義の多数(選出ルール上の)を与えた国民が凄い。自由を掲げる国、夢を支援する国、変化に挑む国。政治を含めた社会の閉塞感・手詰まり感。そこからのブレイク・スルーを望む国民がトランプ氏を後押しした。

 それにしても、評論家、学者、マスコミ、アナリストら、識者のクリントン偏向には呆れた。“既成”を支え、その中に取り込まれた人たちは、仕事としてコメントし、報道しているだけ。決して民衆・大衆・庶民の声なき声を代弁してはいないのだ。

2016年11月 8日 (火)

波乱が続く2016年

 2016年5月1日、イングランド・プレミアリーグの2015-16シーズンを制したのはレスター・シティだった。奇跡のリーグ優勝と言われ、戦前、ブックメーカーの賭け率は5000倍を超えていたという。

 2016年6月23日、イギリスのEU離脱を問う国民投票で、投票前の世論調査とは逆に、離脱支持が残留支持を上回り、イギリスがEUから離脱(Brexit)することが決定された。

 2016年10月16日、新潟県知事選挙では“柏崎刈羽原発再稼働に慎重姿勢を続けてきた前知事の路線を継承する”と訴え、共産党、自由党、社民党等から推薦を受けた新人が、前全国市長会々長で自民党、公明党、そして連合新潟から推薦を受けた有力候補を破って当選した。

 2016年11月2日、アメリカMLBは、シカゴ・カブスが1908年以来、108年ぶりにワールドシリーズを制した。北米スポーツ史上最長となる107年間のブランクは“ヤギの呪い=ビリー・ゴートの呪い”と言われていた。

 2016年11月8日、第45代アメリカ合衆国大統領選挙の投票日を迎えた。選挙戦を常に優位に進めた民主党・クリントン氏が、最新の支持率調査でも優勢を保ち、共和党・トランプ氏は劣性と伝えられている。トランプ氏は既成政治に不満を持つ層の受け皿。スキャンダルと汚名にまみれても、あえてなお、既存の枠組みを“チェンジ”できるのはトランプ氏だろう。

  http://kasa.air-nifty.com/blog/2016/10/post-ccc8.html

2016年11月 7日 (月)

晩秋 2

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2016年11月 6日 (日)

晩秋 1

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2016年11月 5日 (土)

ガンバレ!ウオロク! 3

Dsc_0533  ウオロク長岡店が改装オープンした。長岡のスーパーマーケットは寡占状態なので、ウオロクの存在は大切だ。改装中は、イオン、アピタは近所ではないし、ヨーカドーは駐車場が難。学校町のマルイや喜多町の良食生活館、ダイレックス、青葉台のひらせいなどにも出掛けていた。

 2ヶ月と10日かけて改装した店内には、ドラッグストアと100円ショップ、そしてスポーツクラブがテナント入居した。確かに駅前から信濃川にかけてのエリアに無かった施設ばかりだから集客力は上がったかもしれない。ただ、スーパーマーケットとしての魅力は半減した印象だ。商品配置が入口方向から横向きなのはかなり違和感があるし、酒類販売のスペースも戸惑うほど広い。

2016年11月 4日 (金)

拡がる住宅地 3

 30年前、長岡東バイパスの道路工事が進んでいる頃、友人Sは「この道が近い」といって、まだ開通前の橋を渡って帰ったことがある。栖吉川と福島江を越える橋はつながったばかりで、おっかなびっくりで渡った。

 その時に見た風景とそっくりだなと思ったのが槇山町亀貝線・稲葉立体交差工事。国道8号の福島交差点または亀貝ICから信越本線の稲葉踏切を跨ぎ、城岡橋に抜ける道路工事が行われている。県のHPによれば「渋滞解消や信越線の稲葉踏切をなくすことを目的に、跨線橋整備と道路拡幅を行っている」とのこと。平成29年の春に供用開始される予定。

 ひと足先に道路整備を終えた川西地区の「左岸バイパス」のロードサイドは、商業開発のスピードが速い。その変貌ぶりは目を見張るものがある。レクサス長岡店を初め、自動車ディーラーが続々と店舗を構え、小売業、飲食業、スーパー等の計画もあるようだ。道が町を作り、人や車の流れを変える。生活利便性が向上し、雇用も産むだろう。

 道路が作られ、住宅地が造られ、ロードサイド店が増えていく。一方で、少子高齢化の速度は上がっており、人口は減少している。街は拡大しているが、成長してはいないのだ。

2016年11月 3日 (木)

拡がる住宅地 2

 部屋の前を通る道は、旧国道17号。県道498号。“南中央通り”というらしい。

 宮内方面に少し歩くと「売地」の看板が目立つ。比較的、駅や市街地(とは言っても旧市街地だが)に近く、通学にも便利な場所。造成地の坪単価を調べると、15万/坪前後。一概には言えないが、大差ない価格の土地もある。

Dsc_0520 もちろん住宅を選ぶ際の要素は価格だけではない。既存の住宅街にとけ込んで行くのはたいへんだし、町内会も面倒そうだ。そんな理由からも、仮に同じ価格であれば新興住宅地を選ぶのだろう。

 幹線道路に近く、整備された新興住宅地と町中に点在する空き地。どこか、サラリーマンの姿と重なって見えてくる。そう考えると、新興住宅地を選ぶ理由がわかる気がする。

2016年11月 2日 (水)

拡がる住宅地 1

 長岡市では住宅地が拡がっている。宅地開発は、北からパークタウン稲保、グリーンヒルズ東栄、悠タウン花園南、クロスタウン旭岡、ドリームタウン前川東、川西地区はララコート喜多町。まだ他にもあるかもしれない。長岡市は合併後も人口減少が続いている。周辺市町村や山間部からの転入需要もあるようだが、建物を見る限りほとんどが若い世代の家だ。経済対策としての住宅施策、低金利ローン等の効果と前向きな捉え方も可能だが、違和感もある。

 銀行による不動産業向けの新規貸出額がバブル期を超え、26年ぶりに過去最高となっている。低金利を背景に住宅・オフィスビル等の需要が底堅く、日銀の異次元緩和マネーが不動産市場に流れ込んでいる。地方経済が建設業に依存していた時代から表面的には脱却したのかもしれない。だが、建設業は裾野が広く、公共事業に限らず、住宅や小売店舗の建設は経済対策として手っ取り早い。喚起された需要こそ、バブルではないのかと疑ってしまう。

Dsc_0521_2 バブル期、土地神話を後ろ盾にした経済が崩壊していても、バブルの火種はくすぶり続けていた。下降期であっても、停滞期の大底と比べたら需要はあった。バブル期に計画されたリゾートマンションやゴルフ場開発は、バブル破綻後に傷を拡げた。攪拌(かくはん)され、泡立ち始めた泡を止めることは容易ではない。

 宅地造成には多額の開発資金が必要だ。緩和マネーが市中銀行を通じて田舎の田畑を宅地に変えていく。全ての造成事業が成功に終わるわけではない。拡がる宅地の行く末が、少し心配になる。造成地では今日も槌音が響いていた。降雪前の入居を目指し、新年を新しい家で迎えるために。

2016年11月 1日 (火)

八珍柿

201611_kaki_kiku_5 八珍柿(はっちんがき)。新潟で柿といえばこれ。新潟県産の“種なし渋柿”で、これを焼酎などのアルコールや炭酸ガス等で渋抜きをする。甘柿よりも濃厚な甘みになる。柿は高い栄養価を持っていることから、見直されている果物。

 中学2年のマラソン大会のコース途中、柿があまりにもだいだい色に輝き、手が届く所に実っていた。柿が「ひと手間かけて」美味しく食べられることを知らなかった俺は、手を伸ばしてそのままガブリ。口の中が一瞬にして渋で覆われ、マラソンどころではなくなった。

 八珍柿は人の手を借りて、甘柿よりも美味しくなる。

 手をかけてやれば、渋柿が甘柿を超えるのだ。

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