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2016年10月 5日 (水)

サヨナラの前に

Dsc_0480_2 同居の祖父は俺が5歳の時に、祖母は俺が9歳の時に亡くなった。母方の祖父は長い間寝たきりで話したことはなく、母の実家に訪ねていくと、決まって病床から握手することが決まりになっていた。母方の祖母は、明るく優しさに満ち、慈悲深い観音様のような人だった。100歳を超える長命だったせいか、亡くした時に悲しいという感情は僅かなものだった。葬儀では「お疲れさまでした」という気持ちで見送った。

 親友Sは2000年7月に自死した。突然の訃報が届いた。彼を失ったことで、自分の一部も剥がれ落ちた。これから長い年月をかけて積み重ねたであろう、友と過ごす幸福な時間を喪失した。

 叔父は2009年10月に病死した。両親とともに最も尊敬する人物だった。亡くなる1週間ほど前に見舞いに行った。最後に交わした言葉は「もういいから」。その意味を考える時、胸が痛む。

 サヨナラの前に交わす言葉とは何だろう。感謝の言葉を伝えたかったが、それはできないことだと知った。言葉など自己満足に過ぎない。

 父の親友が亡くなった。81歳。

 ひと月ほど前に見舞ったのが最後だったと聞いた。突然の訃報。最晩年は痴呆の症状があった。「俺が来たことをわかっていた。俺の声がわかったんだろう。涙を流したから」と父はつぶやいた。

 70年を超える時間を親友として歩んだ2人に、言葉など出る幕もない。

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