2019年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
フォト
無料ブログはココログ

« 霜の朝 | トップページ | キャンプへ »

2016年10月25日 (火)

陽が当たらない文学へ

 浜田省吾はデビュー曲「路地裏の少年」(1976年)の中で、“古ぼけたフォークギター 窓にもたれ覚えたての「風に吹かれて」 狭い部屋で仲間と夢描いた いつかはこの国 目を覚すと”と歌った。そして、30年経った「初恋」(2005年)では、歌詞として"Bob Dylan" "The Young Rascals" "The Beach Boys"と歌っている。

 彼に限らず、ソングライターに限らず、ボブ・ディランに影響を受けた人は無数にいる。ボブ・ディランが「新しい詩の表現を創造した」との理由で歌手として初めてノーベル文学賞を受賞した。ノーベルアカデミー(選考委員)は古代ギリシャの吟遊詩人・ホメーロスや女性詩人・サッポーに比肩するとも語っている。

Bob_dylan アルフレッド・ノーベルはダイナマイトを発明し「死の商人」と呼ばれた一面を持つ。彼の死後、残された莫大な遺産でノーベル賞が創設された。ノーベル賞のうち、化学賞、物理学賞、生理学医学賞は科学分野の最も権威ある賞として定着している。一方、平和賞、経済学賞、文学賞は選考するノーベルアカデミーの意向、思想・イデオロギーが反映される。

 賞には「授賞と受賞」2つの側面がある。更に授賞側には「受賞者の功績を讃える」という本質的な意味合いとともに、「賞の価値を高めること」という意味もある(これはノーベル賞に限ったことではない)。一方、受賞側は簡単。「欲しいか」「欲しくないか」。日本の叙勲制度のように“立候補”かどうか。

 今回、ノーベルアカデミーは、文学賞の環(対象者)の拡大に挑み、“ボブ・ディランの名前を借りて”そのことを高らかに宣言したように思える。反戦・反核、反権力の大詩人であるボブ・ディランが歓喜して受賞すると考えたのだろうか。

 これまでの文学賞の範疇で受賞者を選考した時、該当する文学者はいなかったのか。誰も選べなかったのか。その枠組を造り替えてでも、ボブ・ディランに授賞する意味は何なのか。彼の功績はすでに讃えられており、また、立候補するとは到底考えられない。文学賞の環を拡大したいとする「授賞側の論理」、選考委員のおごりが透けて見える気がする。

 陽の光が当たらない文学に光を照射することはできなかっただろうか。そのことが受賞側の名声と授賞側の権威を上げたのではないか。ボブ・ディランは、すでに金も名誉も得ている。30年以上「ネバー・エンディング・ツアー」を続ける彼は、この先もずっと歌い続けるだろう。本物の吟遊詩人だ。

 1964年、フランスの実存主義哲学者 ジャン・ポール・サルトルはノーベル文学賞を辞退している。現在、ボブ・ディランは受賞の意思を明らかにしていない。辞退するのか、受け取るのか。ありきたりだが、その「答えは風に吹かれている」ということになる。

【追記】ノーベル財団が10/28(日本時間10/29)発表。ボブ・ディラン氏はスウェーデン・アカデミーに賞を受け入れる意向を示し、「栄誉に感謝する」と伝えた。

« 霜の朝 | トップページ | キャンプへ »

浜田省吾」カテゴリの記事

柏町9階」カテゴリの記事