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2016年10月

2016年10月31日 (月)

ハロウィンと土用

 ここ数年でこの時期の行事として認知された「ハロウィン」。クリスマスやバレンタインデーと同様に元々持っていた宗教的な意味合いとかけ離れた存在になっている。この国では「経済活動として商業ベースに乗せること」が、その後の文化や風俗になっていく。

Halloween ハロウィン(Wikipedia抜粋)…毎年10月31日に行われる。本来は秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味のある行事だったが、現代、特にアメリカで民間行事として定着した。子どもが仮装して近くの家を訪れ、お菓子をもらったりする。日本では馴染みがなかったが、イベント開催が増えたこと、菓子メーカーが相次いでハロウィン商戦に参入したことなどを契機に、SNSの普及にも後押しされ市場規模が拡大、日本式にアレンジされたハロウィンが行われている。

 この時期、日本の歳時記では霜降と立冬の間に当たる。そして、秋の土用の間でもある。「夏の土用の丑の日にウナギを食べること」は、盛夏の風物詩として受け継がれている。それならば、秋の土用、冬の土用、春の土用にも何か食べたらいい。

 土用(Wikipedia抜粋)…五行(春に木気、夏に火気、秋に金気、冬に水気を割り当て、残った土気は季節の変わり目に割り当てられ、これを土用と呼んだ)に由来する暦の雑節。1年のうち不連続な4つの期間で、四立(立夏・立秋・立冬・立春)の直前約18日間ずつ。夏の土用の丑の日に鰻を食べる習慣がある。土用の間は「土を掘り起こしてはいけない」とされる。

 土用。カタカナ表記のおしゃれ感がない。ハロウィンの次はイースター(復活祭:4月頃)だと言われている。復活祭…ハードルは高そうだ。

2016年10月30日 (日)

日曜版または週間新聞を

201402_hs_2 新聞がないことの幸福感と新聞を読まないことの爽快感は、経験者のみが知る新境地だと思う。しかし、日曜の朝などは、ゆっくりと新聞の文化面でも眺めたい気分になる。珈琲をおかわりして。

 外国には日曜版や週間新聞があると聞く。日本には日刊ゲンダイや夕刊フジのようなタブロイドの夕刊紙(地方ではごく少部数しか読まれていないが)があるのに、日曜新聞がない。「しんぶん赤旗」や「公明新聞」に日曜版はあるが、やはり政党機関紙では重くなりがちだし、敷居も高い。

 例えば、8枚刷り24ペーシで、1週間の出来事が曜日別に7ページ、週間ラテ欄が2ページ、記事7ページ、広告8ページ。記事は配信記事で良い。地方版もいらない。価格は1,080円/月程度。

 新聞社が自らの首を絞めることになる日曜版を発行するわけがなく、出版業あるいは流通業なら成り立ちそうな事業だと思うが。ネット配信の時代に古びた発想か。

2016年10月29日 (土)

東山ファミリーランド・キャンプ場(長岡市)

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 東山ファミリーランドのキャンプ場を下見に行った。市営スキー場や展望台には何度か来ているが、こうしてキャンプ場を歩くのは初めてだ。キャンプファイアー用のスペースからはスキーを見渡せる。緑の斜面は「グレステンスキー」のコース。ローラースキーの1種で、専用マットを敷いたゲレンデを滑る。冬スキーのブーツが使えるそう。

 キャンプエリアは“昭和のキャンプ場”という雰囲気。2つのテントを発見。テントサイトが270㎝×270㎝程度に区切られていて、大きめのテントの設営は難しい。何より平坦なサイトが少なく、ほとんどがなだらかな斜面上に設営することになる。段差、凹凸もあり、デイキャンプ向きかもしれない。但し、整備されたトイレ、炊事場・炊事炉も必要十分。利用申込書に記入するだけで利用料金は無料。近くの運動広場でテントを張っている人もいた。こちらの方は平坦で、駐車場に隣接し、大きなトイレもあるが、キャンプ利用が許可されているのかグレーな印象。

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2016年10月28日 (金)

南児童公園(見附市)

Dsc_0483 歴史を遡れば栃尾電鉄(~1960年)、越後交通長岡見附栃尾線(~1975年)の上見附駅、現在の越後交通バスの上見附車庫に隣接する見附市南児童公園。

 両養子で養父母のもとで暮らした叔父の家は、その小さな駅前で、間口二間ほどのたばこ屋を営んでいた。年の近い従姉妹と登ったY型の遊具。のぞき窓が開いた壁、階段状に石が埋められた築山、そして水飲み場。さすがにペンキは塗り替えられているが、すべて当時のまま。

2016年10月27日 (木)

息災に暮らす

Dsc_0461 息災に暮らす。人目を忍ぶ。難局に当たる。後塵を拝す。正鵠を射る。烏合の衆。今日、たまたま見聞きした言葉。会話で使うことはほぼないが、多様な言葉の中に美しい言葉や表現がたくさんある。

 花や木の名前を知らないように、見識、所作、品格など自分が身につけてこなかったことの多さに、ため息をつくことがある。

2016年10月26日 (水)

キャンプへ

Dsc_0516_2 最近は「グランピング」、「トレッキング」、「山ガール」、「高尾山登山」等々、アウトドア系が流行っている。

 子どもの頃、家族で檜原湖(福島県裏磐梯)や笹ヶ峰(新潟県妙高高原)にキャンプに行った。あいにく、どちらも雨にたたられ、快適なキャンプではなかったが、テント空間で過ごす秘密基地的な時間や外で作って、食べた食事などが楽しい思い出になっている。課外授業で「飯ごう炊さん」をしたこともあった。

 24~27歳ころ、アウトドア雑誌「BE-PAL」を読んでいた。“そっち側の趣味や生活”に憧れを持っていた。実際、バンガローに泊まったり、小型バーナーなどの調理器具や小物を揃えたりもしていた。本格的な登山の経験はないが、富士山、谷川岳、木曽駒ヶ岳、大雪山系黒岳など、「ロープウェイ+登山」の設備がある山には登ったことがある。

 冬を越えたら、キャンプを始めようと思う。遠くのキャンプ場である必要はない。泊まる必要もない。降水確率30%以下の日限定にしよう。テントを張って、コーヒーを入れ、本を読もう。普段は飲まないウィスキーをお湯割りで飲もうか。そして、昼寝も。

 「キャプテンスタッグ リクライニングラウンジチェア」 (Amazon 2,000円 2016.10.24)

2016年10月25日 (火)

陽が当たらない文学へ

 浜田省吾はデビュー曲「路地裏の少年」(1976年)の中で、“古ぼけたフォークギター 窓にもたれ覚えたての「風に吹かれて」 狭い部屋で仲間と夢描いた いつかはこの国 目を覚すと”と歌った。そして、30年経った「初恋」(2005年)では、歌詞として"Bob Dylan" "The Young Rascals" "The Beach Boys"と歌っている。

 彼に限らず、ソングライターに限らず、ボブ・ディランに影響を受けた人は無数にいる。ボブ・ディランが「新しい詩の表現を創造した」との理由で歌手として初めてノーベル文学賞を受賞した。ノーベルアカデミー(選考委員)は古代ギリシャの吟遊詩人・ホメーロスや女性詩人・サッポーに比肩するとも語っている。

Bob_dylan アルフレッド・ノーベルはダイナマイトを発明し「死の商人」と呼ばれた一面を持つ。彼の死後、残された莫大な遺産でノーベル賞が創設された。ノーベル賞のうち、化学賞、物理学賞、生理学医学賞は科学分野の最も権威ある賞として定着している。一方、平和賞、経済学賞、文学賞は選考するノーベルアカデミーの意向、思想・イデオロギーが反映される。

 賞には「授賞と受賞」2つの側面がある。更に授賞側には「受賞者の功績を讃える」という本質的な意味合いとともに、「賞の価値を高めること」という意味もある(これはノーベル賞に限ったことではない)。一方、受賞側は簡単。「欲しいか」「欲しくないか」。日本の叙勲制度のように“立候補”かどうか。

 今回、ノーベルアカデミーは、文学賞の環(対象者)の拡大に挑み、“ボブ・ディランの名前を借りて”そのことを高らかに宣言したように思える。反戦・反核、反権力の大詩人であるボブ・ディランが歓喜して受賞すると考えたのだろうか。

 これまでの文学賞の範疇で受賞者を選考した時、該当する文学者はいなかったのか。誰も選べなかったのか。その枠組を造り替えてでも、ボブ・ディランに授賞する意味は何なのか。彼の功績はすでに讃えられており、また、立候補するとは到底考えられない。文学賞の環を拡大したいとする「授賞側の論理」、選考委員のおごりが透けて見える気がする。

 陽の光が当たらない文学に光を照射することはできなかっただろうか。そのことが受賞側の名声と授賞側の権威を上げたのではないか。ボブ・ディランは、すでに金も名誉も得ている。30年以上「ネバー・エンディング・ツアー」を続ける彼は、この先もずっと歌い続けるだろう。本物の吟遊詩人だ。

 1964年、フランスの実存主義哲学者 ジャン・ポール・サルトルはノーベル文学賞を辞退している。現在、ボブ・ディランは受賞の意思を明らかにしていない。辞退するのか、受け取るのか。ありきたりだが、その「答えは風に吹かれている」ということになる。

【追記】ノーベル財団が10/28(日本時間10/29)発表。ボブ・ディラン氏はスウェーデン・アカデミーに賞を受け入れる意向を示し、「栄誉に感謝する」と伝えた。

2016年10月24日 (月)

霜の朝

Syuuhei_fujisawa_simonoasa 今朝、障子戸を開けると窓ガラスがうっすらと結露していた。昨日は二四節季の霜降(そうこう)。霜が降りるには、ひと月以上早いが、霜月・11月まで1週間になった。

 藤沢周平氏の短編集「霜の朝」。文庫本の初版は1987年となっている。掲載作品はそれ以前に書かれたもので30年以上経過しているが、古さを感じない。

 藤沢氏が1997年に逝去されてから、来年1月で20年になる。1年、1月、1日、1時間。時の刻みは変わらないのに、時の流れは加速しているように思える。

2016年10月23日 (日)

殺す会社

20161023 日本最大の広告代理店「電通」の女性新入社員が自殺(後に過労死と認定)したことがニュースで取り上げられている。(労基署は本社・支社・子会社に“抜き打ち調査”を実施したと報じられているが、抜き打ちでない調査などあるのか?)

 電通は1991年にも当時24歳の男性社員が過労自殺、2013年に当時30歳の男性社員が病死、そして2015年に当時24歳の新入女性社員が自殺。会社側の記録では、新入女性社員の10月の時間外労働は69.9時間、11月は69.5時間と、労組との間で取り決められた上限(70時間)ギリギリだったという。しかし、入館記録を調べたところ、新入社員が精神障害を発症したと認定された11月7日までの1カ月の時間外労働は131時間あったという。会社(=上司)から残業時間の過小申告を指示されていたのだろう。2015年には上場企業であるABCマートやJCBも労基法違反で書類送検されている。

 日本最大の広告代理店で起こったこの事件が注目されたのは、自殺した社員が「新入社員」、「女性」、「過労死(自死)」、そして「東大卒」だったから。過労自殺、過労病死、そしてそこに至る前段階で病に倒れたり、職を辞した「名も無き人々」は、一体どれくらいいるのだろう。

 殺す会社に手を貸していないだろうか?多くの社員は間接的に手を貸したことにならないだろうか。超一流大学出身者でなければ就職できない会社(別表:企業就職人気ランキング)なのに、硬直し、閉塞した社内文化を改革する人(簡単に言えば社長や役員等)を産み育てる風土を創造することができなかった。

2016年10月22日 (土)

なつかし☆ながおか

Nagaoka_kouseikaikan 自分は見附市生まれ。今は長岡市に住んでいる。ブログがたいていは昔話になるせいで、長岡に通学していた当時のことを調べる機会が増えた。

(写真はアオーレ長岡の場所にあった長岡市厚生会館)

 そこで 「なつかし☆ながおか」というサイトにたどり着いた。懐かしさを感じながらも、記憶の曖昧さに驚くこともある。

 「なつかし☆ながおか」  http://www.nomeshi.net/

 史跡などをわかりやすく解説してくれる「ながおかWeb再発見」というサイトもためになる。

 「ながおかWeb再発見」 http://www.e-net.city.nagaoka.niigata.jp/hakken/index.html

2016年10月21日 (金)

備忘録

 昨日はプロ野球ドラフト会議だった。明日からは日本シリーズが開幕する。DeNAベイスターズの三浦大輔投手の引退に続き、広島カープの黒田博樹投手も現役を退くことが発表された。2人はともに所属球団が低迷した時期のエースだった。技術もさることながら、気概を持った野球選手という点でも共通していた。以下は自分への備忘録として掲載。全文が日刊スポーツからの引用・抜粋。

 小谷正勝(こたに・ただかつ)1945年(昭和20年)兵庫生まれ。67年ドラフト1位で大洋入団。通算10年で24勝27敗6セーブ。79年からコーチ業に専念し、11年まで在京セ・リーグ3球団で投手コーチを務め、13年からロッテ2軍投手コーチ。 

2016.10.12 小谷2軍投手コーチ(71)が、今季限りでの退団を申し入れた。投手の育成、技術指導に定評のある同コーチはプロ意識が強く、1軍に送り込めなかった即戦力投手や、伸びしろのある好素材を育てられなかったことにけじめをつけたい気持ちが強いという。 

2016.9.21 現役引退を表明したDeNA三浦大輔投手が手記を寄せた。横浜一筋25年。「ハマの番長」の哲学。 

<手記> 愛称で呼ばれ、みんなに覚えてもらえる選手は少ない。大差で負けていても、ずっと応援してくれる方がいる。18番のユニホームを着ている方がいる。引退会見を終えてスタジアムに戻ると、土砂降りの中で待っていてくれる方がいる。どれだけ助けられたことか。いっぱい支えてもらった。(中略)どうしたら横浜が強くなるか。アマチュア選手が「横浜に行きたい」と思ってくれるか。08年、取得したFA権を行使した。金額は最初に話しただけ。半分は球団批判のような、疑問点を全部ぶつけた。「行使=出る」ではなかったが、残りたいと思える気持ちにならなかった。気持ちは50%ずつ。残るからにはいいチームにしようと誓った。横浜の25年間は人生に似ている。打たれたことの方が圧倒的に多い。本当にうれしいことって、何回かしかない。それ以外はしんどくて、悔しい。弱い自分を認めて、武器を増やそうと練習した。ファンはもがく姿も受け入れ、背中を押してくれた。たくさんの出会いと別れにも人生を感じ、その縁が自分を支えた。盛田幸妃さん(15年10月、転移性悪性腺腫のため死去。享年45)のシュートから強気を学んだ。肝機能障害に肘と肩の故障。横浜南共済病院の山田勝久院長に何度も助けてもらった。病を押して最後の最後までチームを支えてくれた浅利光博さん(チーム統括本部GM補佐を務めていた今年9月、胃がんのため死去。享年61)。いつも優しい笑顔だった小山昭晴さん(00年までコーチ。05年白血病で死去。享年45)。コントロールが抜群で、引退後も打撃投手として黙々と仕事をしてくれた石田文樹さん(08年直腸がんのため死去。享年41)。全員にお礼を言いたい。恩人とも出会った。プロ1年目に小谷正勝コーチと出会えたから、ここまでやってこられた。軸足にじっくり体重を乗せたい理由で、2段モーションのフォームをやってみたいと伝えた。コーチには、自分の意見に耳を傾け、一緒に技術を追求してくれる懐があった。ピンチの時、マウンド上で言われた。「己を知りなさい。自分はどういうピッチャーなんだ。力んでも150キロは出ないだろ」。己を知る。この言葉が自分の幹となり、いつも謙虚な気持ちにさせてくれた。(中略)裏を返せば「勝てなかったらやめなさい」と言っている。勝負の世界の引き際を、教えてくれたのだと受け止めた。「いい時期だな」と思えたのは、後輩たちのおかげでもあった。若い投手が出てきた。「いいチームになった」と感じた。野球教室で子どもに教える以上、うそはつけない。自分は弱い。だからこそ、決めたことを貫く。しんどくなってもやる。半端なことはしない。それが三浦大輔の筋だ。ファン。先輩、仲間。弱い自分を導いてくれた。スタジアムに来てくれた子どもたちにグラブをプレゼントしている。13年間で4,800個ほどになった。自分を応援し、プレーから何かを感じてくれた子がグラブをはめて練習し、プロ野球選手になり、横浜スタジアムで再会できたら、こんなにうれしいことはない。 

 以下の引用記事(2016.8)は宮下敬至記者の署名コラム。

2016.8.8  ロッテ2軍投手コーチを務める小谷正勝氏の自宅に通い、投球について学んだ。在京セ・リーグ3球団で、33年間も休まず投手コーチ一筋という職人。12年の1年だけが指導歴の空白で、月に1回、「投げる」という行為全般について座学を受けさせてもらうことになった。小谷氏の自宅は、投球について研究する工房さながらだった。授業は居間で行われた。奥には10畳ほどの部屋がある。中央の床がくぼんでいた。練習を終えた若い投手が訪れ、シャドーピッチングをしてできたくぼみだという。厳かな空間でペンを走らせた。原理原則を大事にし、妥協を許さない人である。一足跳びに事を運ばない姿勢は私に対しても同じ。丸1年かかるのも無理はなかった。知識の積み上げを怠らず、絶えず引き出しを蓄えているから指導者を続けられるのだと思った。知識が豊富なだけではプロの投手はついてこない。小谷コーチが名伯楽と呼ばれる理由は、もっと他にある。 →「投球フォームの10項目」は省略。 

2016.8.15 小谷氏の自宅に1年間通い、投球について学んだ。指導を受けた投手が着実に伸びていくのには理由がある。コーチと出会ったのは巨人担当1年目。キャンプ中、2軍選手たちは予定より早い6時ごろからロビーに下りてくる。1番乗りはいつも小谷コーチ。10日ほどたって、何をしているのか分かった。1人1人、朝一番の表情を洞察していた。「新人の投手は、最低でも3カ月を観察期間とする。能力を持ってプロに入ってきた。性格を含め、個性を把握するのには時間がかかる。親御さんから預かった以上、責任がある」。(中略) 「昨日の日刊スポーツに『捕手を座らせて50球』という記述があったが、ピッチャーが『座らせて』と言ったのか」、「いいえ」、「あんちゃんが書いたのか。もしピッチャーが言ったのなら、注意しなくてはいけない。若い選手にとっては誰もが先輩。勘違いされたら困るからな」、「…」、世間の常識が正しいとは限らない。人の側に立って考え、自分の考えとの間を何回も往復させる習慣をつけることで、複眼の思考を持つことができる。濃厚な1年間は、最終的に「小谷の投球指導論」という書籍になる。あとがきを転載する。(中略)コーチを始めたのは昭和54年だった。頭ごなしに叱ったり、今思えば正しいのかも分からない考えを押し付けたり。激流の川の中におんぼろのボートを出し、いくらカイをこいでも進まないような日々だった。1軍の晴れ舞台に送り込めなかった投手たちから教えてもらった事は非常に多い。出会った縁にお礼を言いたい。「この子が世に出るためにどうすればいいかを、とことん考えること」と、コーチ業を定義している。選手がいるから指導者がいる。この順番を決して間違えてはいけない。動作の原理を理解して、正しい順番で投げる。原理から逸脱していなければ、短所には目をつむり、長所を最大限に伸ばす。訴えてきたこの2点を、指導の道しるべとしていただければ幸いである。小谷コーチの土台には、利己的の対極をいく人間観がある。響くから、選手は伸びていくのだと思う。縁を生かして羽ばたいた野球人は、いつまでも感謝の気持ちを忘れない。 

2016.8.22  自宅を訪れ、盛田幸妃さんと同席した。鋭利なシュートで、当時の落合博満が苦手としていた盛田さん。「盛田は気が強い上に投手として頭が良くて、納得できないと人の言うことを聞かない節があった。『面倒くさいヤツ』と見られがちだった。私はそうは思わなかった。ピッチャーは、闘争心がなくてはいけない」と言った。盛田さんが続けて「このお父さんはね、人を色眼鏡で見ない。やんちゃだったオレをちゃんと見てくれた。見てくれているのが分かって、納得できたから、言われた通りにやった。そしたら、1軍でプレーできた。言うことは何でも聞くと決めた。迷ってる子は多いだろうね。自分は幸せだった」「小谷の投球指導論」から盛田さんの項を抜粋する。(前略)横浜ベイスターズ元年、93年。盛田は右膝靱帯を断裂、人工靭帯で補う大手術をした。リハビリを克服して以後も、変わらぬスタイルでカムバックを果たしひと安心していた。バファローズに移籍した後、98年に「小谷さん、足首が思うように動かなくて、足の筋肉がけいれんする回数が増えてきたのです」と言う。私は痛めた靭帯の影響とばかりと思っていた。だが、検査の結果「脳に腫瘍があり、他の神経を圧迫して足のしびれの症状が起きる」というものだった。手術は成功し、盛田はカムバックを果たしてみせた。膝の手術といい、脳の手術といい、とてつもない大手術を行い、マウンドに戻ってきた。その精神力には敬意を表するしかない。2度も1軍の舞台に復帰した盛田に、もう1つだけ注文を出したい。もう1度ユニホームを着て、後輩の指導に当たってほしい。あのシュートを投げられる人材と出会うかどうかは分からないが、盛田2世の育成にトライしてほしい。技術はもちろん、諦めない強い気持ちを、野球界の後輩たちにも伝えてもらいたい。小谷氏は、この文章を12年の年初には書き終えていた。昨年10月16日、盛田さんは死去した。45歳だった。がんの転移が認められても屈せず、病気に立ち向かっていた。小谷氏は盛田さんの体調が楽観はできないと知り、心配していた。その上で最後まで普段と変わらずに接し、よき父のまま送り出した。

 人を「育てる」とはこういうことなんだろう。育てられた人もまた、感謝する心を持ち、正しく・前向きな連鎖を繰り返す。

2016年10月20日 (木)

ラミーの季節

Dsc_0503 スーパーやコンビニに洋酒入りのチョコレート「ラミー」や「バッカス」が並び始めた。冬季限定の理由は「夏場は気温の上昇でチョコレートが溶け、本来の味が落ちるから」だそう。毎年、“冬季限定”のデザインが変わっている。今年は雪の結晶がモチーフ。

2016年10月19日 (水)

父の免許

 父が自動車免許を取得したのは、38歳前後だと思う。昭和49年頃で俺が小学校2年生だった。小学校3年の時に亡くなった祖母の入院中、見舞いや付き添いのため、福住の中央病院まで車で通っていた。それ以前は、長岡へ買い物に出る時には電車で出掛けていたし、お盆の墓参りはバスで出掛けていた。夏休みの海水浴にタクシーで出掛けた記憶もある。そうやって記憶を辿っていくと、昭和49年頃に行き当たる。

 免許を取って数日後の仕事帰り、父は友達に借りたのシビックかファミリアに乗ってきて近場をドライブした。あいにく大雨の日で、運転に慣れていない緊張感が子供にも伝わってきた。父はいろんな所へ連れて行ってくれた。ドライブやレジャー、旅行に限らず、仕事や用事で出掛ける時も、よく声をかけてくれた。俺は目的の場所だけでなく、町と町をつなぐ道と風景、見知らぬ町並みなどに興味があった。社会人になって「よく道を知ってるね」と言われるようになったのは、父の教育があったせいだ。 

 12歳の夏休みに佐渡旅行に行った。夏の大佐渡スカイラインで長く続く坂道で「ブレーキが効かなくなった」といって、サイドブレーキをギィギィと鳴らして坂道を下ったことがあった。スキーに行った帰り、雪の高速道路でスリップし、1回転したこともあった。父の仕事について行ったこともあった。

 俺と弟を新潟の万代で降ろし、2時間後に会う約束をして別れた。携帯電話などない時代。なかなか約束の時間に父は現れず、人通りの多い万代の道端で弟は泣き出してしまった。30分ほど遅れて父は現れた。その日、新潟県には万代にしかなかったマクドナルドのハンバーガーを初めて食べた。「世の中にこんなに美味しいものがあるのか」という思いと、「何だこのしょっぱい“きゅうり”は?」という思いが入り交じった。そして、初めて飲んだシェイクの甘さに度肝を抜かれた。

Sunny 父は日産のサニー(“三角窓”がついていたから2代目)、4代目サニーのバン、2代目のカローラⅡ、8サニー4WD、ティーダラティオ(サニーの後継車)などを乗り継いでいる。日産サニーは父の車と言っていい。よく父が車のボンネットを開けて、エンジンルームの手入れをしていた。青みがかった、緑がかったような色をした日産のA型キャブレターエンジンを思い出す。

 話を振り出しに戻す。父が40歳手前で免許を取得したのはなぜだろう。自動車が1家に1台の時代になったこと。祖母(父にとっては母)の見舞い・付き添いのため。それだけだろうか。父は40歳から50歳の10年間、自分で商売をしていた。仕事上の転機、人生の転機を考えての行動だったと思う。ドライブ好きな父は、最近めっきり遠出しなくなった。つい去年、一昨年まで、仙台だ、飛騨高山だというのも困っていたが、そんな心配は不要になった。それはそれで寂しい気もする。

 思い出話を書くと長くなる。

2016年10月18日 (火)

10万㎞

 2010年8月に走行距離1万3千㎞で買った車が走行距離10万㎞を超えた。2016年10月までの6年2ヶ月で8万7千㎞。1月あたり1,175㎞、1日あたり39㎞。地球の赤道周囲はほぼ4万㎞だから、地球3周目。燃費計は平均10㎞と表示されている。

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 10万㎞というのは、やはり1つの区切り。前の車も、その前の車も、10万㎞を超えると、次の車の購入を検討した。海外では20万㎞もざらで、30万㎞も珍しくないという。確かにそうだ。本州・竜飛岬から九州・佐多岬までで約2,000㎞。ロサンゼルスとニューヨークが約4,000㎞。感覚的に20万㎞なんてあっという間だろう。

2016年10月17日 (月)

宮澤栗農園(上越市三和区)

 昨日は、以前居住していた上越市に出掛けた。三和区(旧中頸城郡三和村)の宮澤栗農園で焼栗、市内のあるるん畑で野菜やリンゴ、当時は無かった直江津のブーランジェ・エム(Boulanger M)でパンを買い、船見公園に寄って帰宅した。

 宮澤栗農園は農村部の細い道沿いにあり、買い物の後、Uターンするために進んで行くと、「大間城入口」と書かれた案内板が立っていた。帰宅して調べてみると春日山城と直峰城(直江兼続の父・樋口兼豊が居城)を繋ぐ支城とのこと。この周辺には「森のレストラン フォレスタ」や雪中梅で有名な丸山酒造場などもある。

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 宮澤栗農園 上越市三和区北代(県道43号)

2016年10月16日 (日)

民の意志

Dsc_0509 今日の上越市・船見公園。

 拾った流木の枝で、子どもが描いたのは「うさぎ」。母親は「上手に描いたね」と言って、スマホで写真を撮っていた。

 この海岸沿い50㎞の場所に“世界最大の原子力発電所”があるとは想像つかない。風評を助長するつもりはないが、事実を確認したい。「福島県の海岸でこんな風景は見られるのだろうか?」

 新潟県知事選挙では明確な民意が反映された。選挙結果で興奮したのは、田中角栄元首相の“22万票”以来。昭和58年のこと。有権者ではなかったが。

2016年10月15日 (土)

アメリカ大統領選挙

2016_president アメリカ大統領選挙は、先週、候補者による2回目のテレビ討論会が行われた。メディアは悪口レベルともいえる非難の応酬となった討論会を「記憶に残る不快な見苦しい討論会」と酷評した。

 アメリカ大統領は、世界一の権力者を選ぶ選挙でもある。権力者が人格者である必要はなく、むしろ権力者が人格者であることは少ないが、相応に思慮深くなければ、世界中が振り回されることにもなりかねない。

 アメリカの大統領選挙ほど、勝者と敗者に格差が生じる選挙はないだろう。勝者は世界情勢の主導権を握り、歴史に名を刻む。一方、敗者は忘却される。しかし、共和党候補者のトランプ氏は、例え敗者となっても名を残す人物といえる。女性蔑視発言の録音記録が暴露される等、過去の言動が取りざたされ、大統領選から撤退かとも報道された。合法的な節税も、額が巨大なだけに非難を受けている。ここに来てオバマ大統領の支持率が上昇しているように「ヒラリーは嫌だが、トランプはダメ」という流れが強まり、大勢は民主党のヒラリー候補に傾いたようだ。有力紙であるワシントン・ポストもヒラリー候補支持を表明している。

 しかし、どうだろう。8年前、当時47歳のオバマに“チェンジ”を期待したアメリカは、今回の選挙で安定した政治(=ヒラリー候補)を選択するのだろうか。品格面では自身も夫も、いくつかの失敗を経験している。ずっとビジネスの世界でのしてきたトランプ氏と、政治、大統領の妻としてキャリアを積み上げてきたヒラリー氏とでは、矢面に立つ機会も違うだろう。

 今年は“Brexit(ブレグジット)”も起きた。トランプ氏は大富豪でありながら、既成政治に不満を持つ層の受け皿だ。スキャンダルと汚名にまみれても、あえてなお、既存の枠組みを“チェンジ”できるのはトランプ氏だろう。2期8年ではなく、1期4年務めさせる価値はないだろうか。

2016年10月14日 (金)

新潟県知事選・長岡市長選

Kk_genpatu 新潟県知事選挙の立候補者は4人。年齢順に元団体職員70歳、前市長67歳、行政書士55歳、医師49歳。現職知事は54歳。

 長岡市長選挙の立候補者は3人。元市議66歳、前副市長65歳、元市議38歳。現職市長は67歳。

 最有力とされる“長岡市ライン”の候補者は、ともに行政手腕、経験、中央とのパイプが強みだが、既存の枠組みに取り込まれていないか。知事・市長ともに「世代と原発」を基準にしたい。 

 福島第一原子力発電所事故は、1号機:メルトダウン(炉心溶融)、同2号機:メルトダウン、同3号機:メルトダウン、同4号機:メルトダウン。国際原子力機関(IAEA)による“レベル7”の事故は、福島とチェルノブイリ原発事故だけだ。

 現代の科学は地震と津波の前に原子力発電システムを制御できなかった。柏崎刈羽原子力発電所(1号機~7号機)で発電される電力は、東京を初めとした首都圏で使われる。

 知事・市長選ともに世代は巻き戻す可能性が高い。しかし、争点である原発再稼働は、決して巻き戻してはならない。「検証を徹底致します」とする人物ではなく、「再稼働反対・原発からの撤退」を主張する人物に票を投じたい。

2016年10月13日 (木)

アトリエ ル・クール(村上市)

 フランス語で「心」を意味する「Le Coeur(ル・クール)」。長岡には同じ名前で美容室がある。新潟にはパン屋がある。今時の業種にピッタリな名前かもしれない。

 №1スィーツ店は?と問われたら、村上市にある洋菓子店「アトリエ ル・クール」と答える。とにかく丁寧に創られている。どのケーキを食べても、あるいはケーキ以外でも期待を裏切らないし、期待を超えてくる。ショーケースは色とりどりの花が描かれたキャンバスのようで、「アトリエ」という名に偽りない。店主は和菓子屋の息子と聞いたことがある。繊細な創造精神はそこから来ているのかも。

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 左:ショーケース写真は同店HPから  右:3月に訪問した時の写真。移転後の新店舗にはイートインコーナーが出来た。

 アトリエ ル・クール 村上市山居町 (村上駅と村上インターの中間あたり)

2016年10月12日 (水)

中村屋(見附市)

 東華飯店と紅龍飯店で育った自分は、見附に、天山、飛雄馬、碧空麺舗、そして中村屋と評判のラーメン店が揃っていることに隔世の感がある。下調べなしで行った中村屋。「塩とんこつ味玉」あたりがイチオシのようだが、いつも初めての店は、その店の基本になるラーメンを頼む。背油ラーメン730円。普通に旨い。

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 見附市福島町 国道8号線 上新田北または上新田南交差点から見附市内方面

  【追記】その後、再訪。ラーメンが進化している。「すべて開店当初のまま」ということはないはず。研究、改良されているように感じた。

2016年10月11日 (火)

早戸温泉つるの湯(福島県三島町)

 3連休の中日、両親を連れて国道252号 只見川沿いの「早戸温泉・つるの湯」へ。

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 湯治場の生活文化を伝える貴重な宿。露天写真はHPから。風情ある建物、露天から眺める只見川の景色にも癒される。飲泉所があり、飲んでみると少ししょっぱい(ナトリウム泉)。休日中日ということもあって、各地から温泉好きが集結していたのか、露天風呂では温泉談義に花が咲いていた。湯舟の画像を見て、長野県松代町の加賀井温泉・一陽館と似た印象を持っていたが、泉質は温度も含めかなり違った。

 早戸温泉・つるの湯 http://www.turunoyu.sakuma-ci.com/index.html

2016年10月10日 (月)

GB Guitar Book

Gb198309_2 「GB」(Guitar book)という雑誌を定期購読していた。中学2年の途中から高校卒業まで約5年間(1982~1987)。定期購読は現在のようにメール便の配達ではなく、発売日になると近所の本屋が配達してくれる仕組み。

 アイドル雑誌の「平凡」や「明星」(現在も発行されている)のニューミュージック、シンガーソングライター版で、シンガーの近況などが掲載されていた。ポスターとギターやピアノのコード進行表がついた歌本が付録だった。今はインターネットが普及し、雑誌媒体の需要は少ないが、当時のファンは好きなシンガーの情報に飢えていた。ニューミュージック系シンガーソングライターの多くが、テレビ出演しなかったこともあって、「GB」はシンガー、ファンの双方にとって必要性があった。

 中学3年の冬、卒業間近の3学期に「レコードジャケットを作る」という美術の課題があった。俺は「GB」の写真を切り貼りして、コラージュ作品を作った。美術の授業時間では足らず、家のコタツでも作業した。好きなシンガーへの思い入れもあったが、受験を目前に控え、勉強の息抜きを兼ねて、その作業に没頭した。

 美術の先生は、少し気難しく、折り合いの悪い先生だったが、その作品をとても誉めてくれた。そのせいか、その古いオリジナルのレコードジャケットは、33年経った今も本棚の奥にしまってある。

2016年10月 9日 (日)

ガンバレ!ウオロク! 2

 「長岡市のスーパーマーケットは寡占状態」 http://kasa.air-nifty.com/blog/2016/08/post-5e4c.html ウオロク長岡店の改装工事が長期間に渡っていて、日々の買い物にストレスを感じる。   

 テナント(スポーツクラブJOYFIT長岡店)のオープンが年明けとの情報を聞いた。ウオロク長岡店も同時オープンとしたら、あと3ヶ月?! 

 以前に比べて要町店も混んでいる。「ウオロクファン」は確実にいる。

【追記 2016.10.31】 2016.11.3 長岡店改装オープン

2016年10月 8日 (土)

信濃川夕景

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 信濃川右岸 八千代橋たもとから昭和大橋方面 八千代橋たもとから万代橋方面

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 水鳥。ならよかったが、カラス。身体を洗っているように見えたが…。 夏期限定の「サンセットカフェ」。かなり酔ってフラフラの人もいた。こういう風景は新潟が都会的であることを実感させる。「都会的であること」とは、選択肢があること。

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 NST社屋の向こうに「いわし雲」(巻積雲・けんせきうん)。 NSTテラスでは公開生放送の本番前。この風景も都会的選択肢のひとつ。

2016年10月 7日 (金)

永井食堂(渋川市)

Dsc_0090_2 多くのテレビ番組で取り上げられている「もつ煮」の永井食堂(群馬県渋川市)。地元の有名店とかソウルフード、B級グルメといった取り上げ方をされるが、本当に旨い。店舗が国道17号沿いなので新潟県民のファンも多い。

 お土産に「もつっ子」をもらったので、思い出したように以前の写真を掲載することにした。やはりこういう庶民の味が好き。「もつ煮定食」590円。

 永井食堂 渋川市上白井4477-1 関越自動車道赤城インターから5分 国道17号沿い 営業時間:9時~18時 定休日:日曜・祭日

2016年10月 6日 (木)

喜怒哀楽

Dsc_0465 喜怒哀楽。喜び・怒り・哀しみ、そこまでは簡単。楽とは何だろう。楽しみと読んだのでは喜びと区別がつかなくなる。

 楽を検索すると、「心身に苦痛がなく、快く、安らかなこと。気が楽になる、楽な姿勢。生計が豊かなこと。たやすいこと、簡単なこと」 つまり、楽とは“安らぎ”という意味だろう。喜怒哀楽の中で唯一、心が平らな状態を表しているようだ。

 感情に序列をつけたらどうなるだろう。喜び・怒り・哀しみ・安らぎだけではなく、寂しさ、虚しさ、驚きなどもある。

 俺にとって最も強い感情は、怒り。そして、虚しさと哀しみ。

 喜びや安らぎはずっと下の方だ。感情の序列は心理テストのようになってしまう。

2016年10月 5日 (水)

サヨナラの前に

Dsc_0480_2 同居の祖父は俺が5歳の時に、祖母は俺が9歳の時に亡くなった。母方の祖父は長い間寝たきりで話したことはなく、母の実家に訪ねていくと、決まって病床から握手することが決まりになっていた。母方の祖母は、明るく優しさに満ち、慈悲深い観音様のような人だった。100歳を超える長命だったせいか、亡くした時に悲しいという感情は僅かなものだった。葬儀では「お疲れさまでした」という気持ちで見送った。

 親友Sは2000年7月に自死した。突然の訃報が届いた。彼を失ったことで、自分の一部も剥がれ落ちた。これから長い年月をかけて積み重ねたであろう、友と過ごす幸福な時間を喪失した。

 叔父は2009年10月に病死した。両親とともに最も尊敬する人物だった。亡くなる1週間ほど前に見舞いに行った。最後に交わした言葉は「もういいから」。その意味を考える時、胸が痛む。

 サヨナラの前に交わす言葉とは何だろう。感謝の言葉を伝えたかったが、それはできないことだと知った。言葉など自己満足に過ぎない。

 父の親友が亡くなった。81歳。

 ひと月ほど前に見舞ったのが最後だったと聞いた。突然の訃報。最晩年は痴呆の症状があった。「俺が来たことをわかっていた。俺の声がわかったんだろう。涙を流したから」と父はつぶやいた。

 70年を超える時間を親友として歩んだ2人に、言葉など出る幕もない。

2016年10月 4日 (火)

2016年 凱旋門賞

Prix_niel 今年は日本競馬界にとって歴史的な年。2016年第95回凱旋門賞(フランス)から、海外レースの馬券購入が可能になった(独立プール方式=日本国内独自オッズによる)。しかも42億円に迫る売上だったというから、凱旋門賞神話が日本のファンに浸透していることがわかる。しかし、このことは将来的に、自らの首を絞めることになるかもしれない。馬券の日本発売により、凱旋門賞主催者の収入は増加する。そのことが、レース賞金の増額と出走馬のレベル向上につながって行くだろう。日本競馬界の悲願である凱旋門賞制覇が遠のいていくようにも思える。

 凱旋門賞に挑戦した今年の日本ダービー馬 マカヒキ(父:ディープインパクト)は14着。これで日本調教馬の成績は20頭が挑戦し、2着4回。3歳馬、ダービー馬で臨んでも凱旋門賞の壁は高く、厚い。

 掲載写真はシャンティイ競馬場 凱旋門賞ではありません

2016年10月 3日 (月)

郵政、農協、そして銀行

 農協とは縁もゆかりもないが、農協改革(ある意味、弱体化)の本丸はTPP(環太平洋経済連携協定)導入による自由貿易。下表のとおり、農協組合員はおよそ1,000万人。ほとんどが地方在住だろう。補助金漬けの農政改革は政治課題であるものの、地方・弱者切り捨てに繋がる側面を見逃したくない。自民党が圧勝した7月の参議院選挙で、北海道・東北・甲信越10県の改選議席12のうち、獲得議席数は自民党3、野党系9。自民党は戦後の自民党政治を支えてきた農民票から離れ、議員定数是正(地方議員減・都市部議員増)を足掛かりにした都市政党指向があるように思う。そして、この人には注意したい。

 【時事通信から引用】小泉氏、全農を批判=JA幹部、手数料下げ慎重

 自民党の小泉進次郎農林部会長は29日、党の農業改革会合で、全農が組合員から得ている手数料収入に関し、「全農の認識は誤っている」と批判した。手数料の引き下げを求める声は農家の一部にもあるが、全農専務は「手数料は従業員や家族を養う財源。経営者としては簡単に切ることに即賛成はできない」と語った。小泉氏は「全農の皆さんを支えているのは農家だ」と発言。会合終了後、手数料の引き下げに慎重な姿勢を示す全農について、「根本的な発想を変えなければいけない」と述べ、JAグループに意識改革を求めた。Noukyou_3 

 “成否と正否”  小泉純一郎元首相は「行政改革の本丸」と位置づけた郵政民営化を成し遂げた(“成否”は別として)。小泉進次郎氏は農協をより民主的・より開かれた組織に変えようとしている(“正否”は別として)。

 全く同じ構造の業界がある。それが銀行。手っ取り早く儲けるために女性・若年層の行員を使って“生保の下請け”をやっている。「一時払終身保険代理店手数料」は1,000万の契約で100万近い。その改革は必要ないだろうか。進次郎氏のご子息の時代の仕事だろうか。

2016年10月 2日 (日)

金融腐蝕列島

  •  高杉良氏の「金融腐蝕列島」は自分が触れてきた経済小説の中で、最も衝撃を受けた作品。読んでいる間に、微かに唇が震え、指先は冷たくなった。「金融腐蝕列島」は結果的にシリーズとなり、長い年月を掛けて下記の5作品が描かれた。
  •     金融腐蝕列島
  •     呪縛-金融腐蝕列島2
  •     再生-続・金融腐蝕列島
  •     混沌-新・金融腐蝕列島
  •     消失-金融腐蝕列島・完結編
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  •  身震いするような衝撃を受けた小説だが、この小説について、先輩同僚と話したことは1度もなかった。なぜなら、先輩も、同僚も、誰もこの本も読んでいなかったから。高杉氏を責めている訳ではない。真逆。
  •  【時事通信から引用】元会長に37億円賠償命令 債権買い取りで振興銀に損害
  •  2010年に経営破綻した日本振興銀行(解散)の経営陣が、商工ローン大手SFCG(旧商工ファンド=破産手続中)からの債権購入をめぐって銀行に損害を与えたとして、同行から債権を譲り受けた整理回収機構が木村元会長に50億円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は29日、約37億5700万円の支払いを命じた。裁判長は「SFCGの経営状況が極めて危険な状態だったことは元会長も十分認識していた」と指摘し、取締役会で債権買い取りを承認した元会長に注意義務違反があったと認めた。元会長と共に提訴された元役員ら6人については、既に和解が成立するなどしている。
  • Nihon_sinkouginkou 金融界の寵児。43歳で日本振興銀行社長、その後、会長。銀行が不良債権処理にあえいでいた時代、中小零細企業への資金供給が難しい時代(中小企業への貸し渋り)があった。新銀行の設立構想(中小企業専門銀行)はもてはやされ、日本振興銀行は行政の後押しと後ろ盾を得て、速やかに設立された。不良債権を持たない銀行が身軽なのは当たり前だった。

     後ろ盾となった人物は竹中平蔵氏。併せて同時期の石原慎太郎氏(新銀行東京への東京都の出資額は1,000億円、追加出資額は400億円)を考える時、所詮、木村氏は実行犯に過ぎないと感じる。トカゲの尻尾。

     小説・金融腐蝕列島は完結したが、現在も金融腐蝕列島であることに変わりはない。

  •  高杉良氏の「破戒者たち 小説・新銀行崩壊」を再読。
  • 2016年10月 1日 (土)

    JT、寒気(さむけ)がする

    【毎日新聞から引用】受動喫煙:国立がんセンター異例の反論文 JTの肺がんリスク疑問視に対し

     他人のたばこの煙を吸う受動喫煙を巡り、国立がんセンターが28日、ウェブサイトで「肺がんのリスクを高める」との研究結果を疑問視するコメントを出したJTに対して「リスクは科学的に明確な結論」とする見解を公表。国の研究機関が一企業のコメントに反論するのは異例。研究結果は同センターが公表。国内の9本の論文を統合して解析し、家庭内で受動喫煙がある人は、ない人に比べて肺がんになるリスクが1.3倍高いという内容で、受動喫煙の肺がんに対するリスクは「確実」と結論づけた。これに対し、JTは「いずれの研究も統計学的に有意でない結果を統合したもの」「科学的に説得力のある形で結論づけられていない」とするコメントを載せた。同センターはこれに反論する形で長文の見解をサイトに掲載し「科学的アプローチに十分な理解がされていない」「リスクは明確に立証されており、世界共通の問題」などと指摘。「たばこの煙にさらされることは、人々の健康に危害を与えることだと、社会全体に強く認識されるべきだ」と主張した。

    Mevius 事の発端はJTが受動喫煙のリスクを疑問視するコメントを出したこと。

     自分は非喫煙者。喫煙についてはたばこが嗜好品と言われるとおり、個人の嗜好であり、喫煙の自由を謳歌して欲しい。但し、喫煙マナーを守ることが大前提。年齢ではなく、「喫煙免許制」にしても良いくらい。

     世界のたばこ会社のシェアは、CNT(中国国営専売公社)を入れたデータで記すと、CNTが1位。PMI(フィリップ・モリス)が2位。BAT(ブリティッシュ・アメリカン)が3位。積極的なM&Aを進めているJTは世界4位のたばこ会社。

     PMIのウェブサイトはトップページのメニューボタンに「たばこ規制」を配置。喫煙と健康、環境中たばこ煙、喫煙と妊娠、依存性と禁煙といったコンテンツを掲載している。BATのウェブサイトはトップページのメニューボタンに「たばこについて」を配置。健康リスク、受動喫煙といったコンテンツを掲載している。JTのウェブサイトはトップページ「たばこ」から入っていくと、分煙の取り組み、マナーの取り組み等のコンテンツに限られる。

     PMIのウェブサイトは「たばことは健康被害を与える商品」と宣言しているようなもの。それでも、「マナーを守りながら、たばこを楽しみましょう」という姿勢が感じられる。紳士的だ。

     「受動喫煙リスクを疑問視するコメントをウェブサイトに掲載すること」が、PMIやBATの社内でも通った(決裁された)だろうか。

     受動喫煙が健康に害を与えるか否かについて、議論があるのかもしれない。しかし、いくらたばこ会社といえども、非喫煙者がたばこの煙にまみれても有害ではない、研究成果に疑義があるとは言えないだろう。非喫煙者などというから回りくどくなる。非喫煙者とは、「赤ちゃん、幼児、子供、妊婦、及び一般人」のこと。

     たばこ会社だからこそ、衿を正すべき場面。社内決裁を通過したことに寒気を覚える。フィリップ・モリスやブリティッシュ・アメリカンを見習わなくてはいけない。

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