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2016年9月

2016年9月30日 (金)

道の駅 きらら289(南会津町)

 昨夜は夜霧が出て、信号機の色もかすれて見えた。二十四節季の寒露には1週間ほど早いが、今年は冬が早いかもしれない。

 福島県南会津にある「道の駅きらら289」。日帰りで六十里越往復(長岡から往復220キロ http://kasa.air-nifty.com/blog/2016/08/post-ad67.html )は少しハードだが、温泉(山口温泉)に入り、名物の「トマトラーメン」または「わらじソースカツ丼」を食べ、南会津の農産物を土産に。

 長岡→南会津2時間半 温泉・食事2時間半 南会津→長岡2時間半

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「トマトラーメン」は優しい味で万人向け。「わらじソースカツ丼」は男性若者向け。好みが分かれるソース味。わらじ1枚の丼もある。(補足 たまたまテレビの旅番組で知ったのだが、この地方はソースカツ丼が定番らしい)

  道の駅 きらら289  http://www.kirara289.jp/

2016年9月29日 (木)

100分で名著「苦界浄土」/パワハラという公害

 NHK、Eテレの「100分で名著」。9月は石牟礼道子さんの「苦界浄土」が取り上げられていた。「苦界浄土」を知るきっかけは30年近く前、本多勝一氏の 「貧困なる精神」。優れたノンフィクションやルポルタージュを紹介する内容だったと思う。

 「苦界浄土」は水俣病とその被害者たちの惨状に光を当て、声なき声を聴き、その事実を世の中に知らしめた本。石牟礼さんの真の想いは、淡々とした“聞き書き”の中にあるが、やはりこの1文が最も力を持っている。

 「銭は1銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に、水銀母液ば飲んでもらおう。上から順々に、42人死んでもらう。奥さんがたにも飲んでもらう。胎児性の生まれるように。そのあと順々に69人、水俣病になってもらう。あと100人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか。

201609_100meicyo_3 公害とは「経済合理性の追求を目的とした社会・経済活動によって、環境が破壊されることにより生じる社会的災害」とされる。この定義を読んで、「パワハラは現代の公害ではないか?」と考えた。

 パワハラは「経済合理性の追求を目的とした社会・経済活動によって、労働環境が破壊されることにより生じる社会的災害」と定義できないか。

 「見ていても見ないふり。知っているがやり過ごす。わかっているが手を差し伸べない。公益よりも自己を重んずる。みんなでやれば怖くない。みんなやっていた。」これが、取り返しがつかなくなるまで続く。

 およそ60年前、NHKや新聞、マスコミはどのように報道したのだろう。60年の時を経て、NHKや新聞、マスコミはどのように報道しているだろう。行政は常に後追いでしかなく、そして、我々は…。

 石牟礼さんが60年前に記した告発。世の中へ問いかけたこと。

 公害を生んだ経済合理性の追求と過度な利益至上主義への批判。それらを無抵抗に支え、補完し、見て見ぬふりをしてきた自分たち一人一人の罪。

 その本質は、まとう衣装を変えただけで、堂々と巾を効かせたまま、営々と現代企業にも受け継がれている。

 水俣病  1956(昭和31)年熊本県水俣湾周辺で、1965(昭和40)年新潟県阿賀野川流域で発見された四肢末端の感覚障害、運動失調、視野狭窄、聴力障害等を症状とする中毒性の中枢神経系疾患。それぞれチッソ㈱、昭和電工㈱の工場が排出したメチル水銀化合物が魚介類に蓄積し、それを摂取することによって起こった。

 パワハラ  同じ職場で働く者に対して、職務上の地位や人間関係などの職場内での優位性を背景に、業務の適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為。

 【備忘】 緒方正人 「常世の舟を漕ぎて」

 【追記】 2018年2月10日 パーキンソン病による急性増悪のため熊本市の介護施設で死去(90歳)。合掌。

   http://kasa.air-nifty.com/blog/2018/02/2-b94c.html

2016年9月28日 (水)

見事なshow

 9階に住んでいて特別な利点がある訳ではない。この部屋を選んだ理由のひとつは長岡花火を眺められること。年に2日だけだが、とても満足している。県道を走る車や歩行者信号の音は少々うるさいが、もう慣れた。フェニックス大橋開通前と比べたら、通行量は相当減っている。

 窓からの風景の上3分の2は空。晴れた日のベランダからは、遠く米山を望む。1日中、陽の光が射す。当たり前のことだが、季節によって、時間帯によって、雲の形が変わり、風も変わる。夕焼け空に興味を持ち、写真を撮ったりする。「バカは高い所に登りたがる」と言われたこともあったが、それも価値観だ。

 昨日はスリリングな場面に立ち会うことができた。騒がしいと思ってたら、県道に大型クレーン車が駐車。その周辺がコーンで囲まれた。クレーンのアームは窓から見える高さまで延びて来た。県道は片側通行に規制された。向かいのビルの屋上に作業員の姿が。10メートル以上ある屋上看板の撤去作業だった。

 作業は職人技。充分な事前準備(晴天の作業日も偶然ではない)と安全に配慮された見事な作業だった。「マグロ解体ショー」よりも1000倍貴重な「看板撤去ショー」を見せてもらった。

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2016年9月27日 (火)

秋空/日本のサービスづくり

 先日の葬儀参列で、葬儀ビジネスが洗練されていることに感心した。日本のモノづくりは、やや停滞気味でも、日本のサービスづくりは日進月歩。

 久しぶりに晴れた。秋の空・秋の雲。

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2016年9月26日 (月)

尾崎豊

17map_4 尾崎豊が亡くなって24年。“カリスマ”であった彼の息子が、彼が逝去した年齢にデビューすることが、NHKの特集番組として取り扱われた。

 実家を建替える時、古いレコードを処分した。アイドル歌手のもの、映画のサントラ盤。しかし、彼のレコードは自宅に持ち帰った。彼のデビューアルバム「17歳の地図」は長岡市のレコード店に在庫がなく、父の車に乗せてもらい新潟駅前にあった石丸電気店まで買いに行った。1984年の正月だったと思う。「17歳の地図」は人生で最も多く聞いたレコードだ。

 街の風景  はじまりさえ歌えない   I LOVE YOU  ハイスクールRock'n'Roll  15の夜  十七歳の地図  愛の消えた街  OH MY LITTLE GIRL  傷つけた人々へ  僕が僕であるために

 1985年、12インチシングル「卒業」は大手通りのツモリレコードに予約して買った。「卒業」発売までの約1年「17歳の地図」を聴き続けた。彼に心酔し、世の中を斜めに見るようになった。高校1年、2年。ずっとガマンしていた。何かに怒るわけでもなく、親に歯向かうわけでもなく。

 この「卒業」で、当時、彼の名を知らない高校生はいなくなった。彼は“カリスマ”になった。

 その年の春、にセカンドアルバム「回帰線」が発売

 Scrambling Rock'n'Roll  Bow!  Scrap Alley  ダンスホール  卒業  存在  坂の下に見えたあの街に  群衆の中の猫  Teenage Blue  シェリー

 カリスマとなった彼は、もう自分のアイドルではなく、若者全員のものになっていた。同じ年の初冬に、3枚目の「壊れた扉から」発売。これ以降、記憶が曖昧になる。17歳の最も多感な時期。思い返しても、自分が最も心を閉ざしていた時期だったと思う。しかし、この頃、彼から少しずつ心が離れて行ったように回想する。

 路上のルール  失くした1/2  Forget-me-not  彼  米軍キャンプ   Freeze Moon  Driving All Night  ドーナツ・ショップ  誰かのクラクション

 彼は亡くなるまで、ほぼ10年の活動期間で、前半に3枚、後半に3枚のオリジナルアルバムを残している。前半3枚はLPレコードで、後半3枚はCDで手元にある。ちょうどそんな過渡期だった。

 1988年 4枚目「街路樹」  核 (CORE)  ・ISM  LIFE  時  COLD WIND  紙切れとバイブル  遠い空  理由  街路樹

 1990年 5枚目「誕生」  LOVE WAY  KISS  黄昏ゆく街で  ロザーナ  RED SHOES STORY  銃声の証明  LONELY ROSE  置き去りの愛  COOKIE  永遠の胸  FIRE  レガリテート  虹  禁猟区  COLD JAIL NIGHT  音のない部屋  風の迷路  きっと忘れない  MARRIAGE  誕生

 1992年 6枚目「放熱への証」  汚れた絆  自由への扉  Get it down  優しい陽射し  贖罪  ふたつの心  原色の孤独  太陽の瞳  Monday morning  闇の告白  Mama, say good-bye

 デビュー作と前作のインパクトがあまりにも大きく、3作目以降の曲には創作した歌という印象を受けた。彼の心、彼の血や骨ではなく、彼の能力と才能が創作した曲だと。

 完全な私見・偏見だが、彼は大人に操られることを嫌っていた。その大人が例え自分のミカタであっても。彼は大人の言うことを聞き出してから、崩れていった気がする。大人たちの仕組みに翻弄されていった、そんな印象だ。

 彼が亡くなって24年。あれは自分が社会人になったばかりの4月末だったことを想い出す。

2016年9月25日 (日)

日本のモノづくり

Mous_2 今年1月に買ったマウスが突然スクロールしなくなった。購入後まだ8ヶ月。ホイールに手応えがなく、スカスカと回っている。保証書を探してみると…保証期間6ヶ月…。使いやすく、何よりクリック音が静かなところがお気に入りだった。前回同様、同じメーカーのものをネット購入した。

 実家の棚に賽銭箱の形をした樹脂製の貯金箱が置いてある。曖昧な記憶しかないが、誰かが日光に行った時のお土産だったと思う。物持ちのいい母がどこかにとっておいたんだろう。丈夫にできている。成形も美しく、塗装も剥げていない。かれこれ30年以上。

 愛用している爪切りがある。長さ5~6㎝の小さなもの。何回か買い換えたが、必ずこの爪切りに戻ってしまう。この爪切りにはずっと“合格”というキーホルダーがついている。高校受験する時にもらったキーホルダー。どちらも薄く錆びが浮いているが、これらも30年以上前のものだ。

 壊れたマウスもそうだが、中国製。身の回りの道具に「Made in china」が溢れている。しかし、中国の責任にしてはいない。日本の企業が利益を求めて中国生産に依存しているに過ぎないし、そもそもの設計は日本だろう。そして、デフレ循環に慣れた消費者の責任も見逃せない。 

 樹脂製の貯金箱、爪切り、キーホルダー。どれも数百円のものだが、これらの品を証拠品として、当時のモノづくりに携わっていた人々や企業に敬意を抱く。精密機械と同一に語るのは“お門違い”と承知の上で、「保証期間30年」の妥協なきモノづくりに畏敬の念を覚える。

2016年9月24日 (土)

葬儀に参列

20160924_2 今年の秋は梅雨が空梅雨気味だったのとは対照的に、秋雨前線が停滞、雨天が続く。台風の当たり年にもなって、九州や東北、北海道等では大きな被害も出ている。新潟は台風、雨の被害が発生するほどには至っていない。

 昨日は通夜、今日は葬儀に参列。故人は大正11年12月生まれだったと聞いた。年表を調べてみる。犬養毅、尾崎行雄らによる革新倶楽部結成。ソビエト連邦成立。そして翌年に関東大震災。

 93年を生きた命は、子供3人、孫6人、ひ孫6人に引き継がれた。

 

2016年9月23日 (金)

とんかつたまき(見附市)

 「暑さ寒さも彼岸まで」というのは、先人の残した偉大な格言。ブログに昔話を書いている間に、本格的な秋になった。 

 半袖短パンで寝ていたが、寒いのでパジャマを出した。薄手のTシャツや夏柄の服をしまい、長袖Tシャツに入れ替えた。サンダルを下駄箱の奥へ、エアコンのリモコンも棚へ。

Dsc_0433 先日、久しぶりに実家近くの「とんかつたまき」へ。40年くらい営業している。開店当初の記憶があるが、40年続く店には理由がある。とんかつとメシが美味い。

 見附市学校町 見附郵便局並び ローソン前

2016年9月22日 (木)

青空とブルースカイ

Dsc_0424_2 1979年、見附小学校の野球部「青空」は市内大会、中越大会を勝ち上がり、県大会でも優勝した。そのチームは見附中学校に進み、県の中学校大会でも優勝した。更に、バッテリーは中越高校に進学し、3年生の夏、甲子園に出場した。

 ひとつ年上の彼らはいくつも年の離れたお兄さんに思えた。自分は5年生の野球部「ブルースカイ」にいた。ほぼ毎日の部活練習のほか、週に2回柔道を習い、週に2回塾に通っていた。更に、6年生になると児童会の役をやることになり、思い返せば人生で1番多忙な時期を過ごしていたのかもしれない。

 話は現在に戻る。夕方、18時過ぎ、薄暮の中。見附小学校のグラウンドで野球部と思われる少年達が練習していた。野球は9人いてチームが成立するが、少年の数を数えると8人だった。コーチと思われる男性が少年達と守備練習をしていた。少し驚いた。コーチはファースト付近から簡易的なバックネットの前にいる少年達に向かって、球をノックするのではなく、ゴロを投げていたからだ。考えてみれば合理的だ。ノックするには球を渡す助手がいる。投げるノックなら、一人あたりの練習量も増える。球のコントロールもしやすい。子供達が球を逸らした時、バックネット前ならば取りに行く時間も半減する。

 コーチには頭が下がる。おそらく自分自身の野球経験で、そんな練習をして来なかったはず。少子化などの社会的な問題、部活を取り巻く環境、平成10年代生まれの子どもたち。部活練習にも知恵を絞らなければならない。

 1980年当時、野球部には50人近い少年が在籍していた。「青空」は、Aチーム、Bチーム、Cチームが編成され、俺はCチームの「ライトで8番」だった。Cチームにも補欠がいたから、下手な方から数えて5番目以内。試合では球が飛んで来ないことを祈っていたし、飛んできたフライのほとんどを取り損ねた。不思議と外野にばかり球が飛んで来たが、考えてみればCチームのエースが投げていたわけだから。

 野球を見ることは好きだったが、野球少年としては落第生だった。部活は楽しい時間ではなく、苦しい毎日だった。ガマンすることを覚え、忍耐力がついた。幼年期・少年期の経験が人を作り、人格の基礎となるというのがわかる気がする。「三つ子の魂百まで」とは言わないが。

2016年9月21日 (水)

見附珠算学校

Dsc_0418 実家に行く機会が増え、年をとったせいもあってか昔の些細な出来事を想い出すことが多くなった。

 今週はカテゴリ「見附市」の投稿を続ける。

 見附珠算学校が現存していたので撮影。この前面道路は見附市の中心部を南北に貫く県道8号「長岡見附三条線」。道路が整備される前は、車もすれ違えないほどの幅で、一方通行路だった記憶がある。

 そんな路地にたくさんの子供が集まる場所があった。それが“そろばん学校”。みんなそう呼んでいた。外壁や窓は新しくなっているが、建物と佇まいは当時のまま変わらない。この後、入り口の戸が開いたから、現在も生徒がいるのだろう。

 見附小学校から5分ほどの距離で、学校が終わるとその足でそろばん学校へ通う生徒がたくさんいた。そろばん学校に通う子は、みんな成績が良かったように思う。特に算数。自分は通っていなかった。そろばんには思い出があるが、またいつか記す。

2016年9月20日 (火)

道の駅オアシス小布施(小布施町)

 長野県小布施町にある「道の駅オアシス小布施」。国道18号から一般道を経由すると道の駅。高速上信越道上り・下りからアクセスすると「小布施ハイウェイオアシス」。シルバーウィーク前半は、あいにく雨だったが、リンゴ、梨、ぶどう、栗などを買い求める観光客で溢れていた。新鮮で種類は豊富だが、価格は普通。

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2016年9月19日 (月)

ON THE ROAD 2016

Shogo20160918 浜田省吾 ON THE ROAD 2016 “Journey of a Songwriter” Since 1976 TOUR

  9月18日ビッグハット(長野市多目的スポーツアリーナ)2日目に参加。

 「デビュー40年」を迎えた彼は、とても63歳とは思えない。

 14歳、中学2年でファンになってから、自分を彼に投影することで、人生の確認作業のようなことをしてきたと思う。現在48歳の自分を、彼の48歳当時の姿に投影してみる。そして、63歳の自分は何をしているだろうとも想う。彼の音楽は、常に人を感傷的にさせる。それだから、また聴きたくなる。

   以下は蛇足。「ライブに参加」、「ライブを鑑賞」、「ライブを観覧」。ここまでが正しい日本語。「ライブに参戦」と表現する人がかなりいるが、とても違和感のある嫌いな表現だ。バブル期の香りがする。昔の人、古い人だなと。

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 ツアートラック みんな記念写真を撮っていた。  長野ビッグハット 開場時間はかなり強い雨だったが、ファンは整然と並ぶ常識人ばかり。

 以下はON THE ROAD 2016 ツアーサイト「After Show」に投稿 

 強く降った雨がライブ終了の頃には上がって、ビッグハットの外は心地よい風が吹いていました。自分よりも、かなりはしゃいでいた妻は「ハマショー、カッコよかったねー」と言った後、すぐに寝てしまったので、2時間半くらい一人でドライブして帰宅しました。ライブは「セラーから熟成された芳醇なワインを取り出して振る舞ってくれた」そんな印象です。近年、自分と自分の周囲に様々な出来事が起こりましたが、やはり、こうしてライブに出掛けると、浜田さんが太陽や月のように足元を照らしたり、自分の位置を確かめさせてくれます。「かけがえのない存在」に感謝します。

2016年9月18日 (日)

「こち亀」連載終了

Img “スーパーカー消しゴムの時代から、ポケモンGOの時代まで”

 久しぶりに手にとった少年ジャンプ。ページをめくった後の紙とインクの匂いが懐かしい。「こちら葛飾区亀有公園前派出所」連載40年とコミックス200巻の節目に連載終了。

 うちは毎週マンガ雑誌を買ってもらえるような家庭ではなかった。それ以前に遊びや部活などに忙しく、マンガ雑誌に興味がなかった。唯一、興味があったのは野球マンガの「ドカベン」(少年チャンピオン)。どこかで手に入れた少年ジャンプの「こち亀」は、ラジコンやテレビゲームなど、当時の子供にとってはお金がかかるオモチャやあこがれのアイテムが多数登場していて、自分自身の暮らしとは少し距離のあるマンガだった。

 高校生になると、次第に両さんとの距離が縮まっていった。小学校高学年になった弟と共有でジャンプを購読した。小遣いから、自分が100円、弟が80円、そんな具合に。ジャンプで1番の楽しみは「こち亀」だった。「今回はどんな力技(ちからわざ)で笑わせに来るのだろう」と、毎週楽しみにしていた。キャラも丸みを帯び「人情もの」と言ったらいいだろうか、胸を熱くするような話も描かれるようになっていった(名作「お化け煙突が消えた日」は1988年第18号掲載)。当時の少年ジャンプは、発行部数400万部突破という時代だった。連載作品は「北斗の拳」、「ドラゴンボール」、「キン肉マン」、「キャプテン翼」などマンガ史に輝く作品ばかり。数年後にピーク発行部数653万部(週間誌)を記録したというから驚く。

 作者の秋元氏は主人公の両さんが、まるで本当に実在する人物であるかのように語る。これは「ドカベン」の水島新司氏が「史上最高のバッターは山田太郎」と真剣に答えたことと同じ現象。万人に認知されたキャラクターは、作者の構想や雑誌紙面を超越した存在になるのだろう。

Kochikame 先日、BOOK・OFFで本を売った。新書や文庫の買取価格に対し「こち亀」の買取価格は高い。それは需要があるからであり、人気凋落しての連載終了ではない。それにしても40年。連載開始時の首相は三木武夫。その前は田中角栄だ。“スーパーカー消しゴムの時代から、ポケモンGOの時代まで”と書いたが“列島改造論の時代から、アベノミクスの時代まで”ということにもなる。この間、マンガは子どもの娯楽から日本の文化、アイデンティティのひとつにまで成長し、昇華した。秋元氏と両津氏は、そのことの功労者といえる。

 時々、コミックスを手にとっていた。そこには必ず安心できるストーリーがあり、楽しいひととき、息抜きの時間を与えてくれた。心から感謝したい。

2016年9月17日 (土)

サフラン女池店(新潟市)

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 「石窯パン工房サフラン」 人気店であることを裏付けるパンの種類、味、価格、サービス、駐車場、イートインスペース等々。

 女池店:中央区女池6丁目(鳥屋野運動公園近く)

 青山店:西区青山1丁目(イオン新潟青山店近く)

 大形店:東区大形本町2丁目(市立大形小学校近く)

2016年9月16日 (金)

金融利権複合体

 「金融庁新指標 地銀本業25年3月期6割赤字予測」 毎日新聞から引用(引用部は斜体)

 金融庁は15日、地方銀行などが地域企業にどれだけ役立っているかを評価するための新指標(ベンチマーク)を公表した。新指標を作成したのは、地銀の経営環境の悪化が見込まれるためだ。金融庁は同日に公表した金融リポートで、全国の地銀のうち、融資や手数料収入など顧客向けサービスが赤字に陥る割合が、15年3月期の4割から25年3月期には6割に拡大すると試算。地方は人口減少で貸出残高が減る上、優良な融資先が減って貸出金利を上げにくくなるためだ。現在は、国債などの運用で利益を確保しているものの、国債金利が上昇(債券価格は下落)する局面を迎えれば、巨額の損失を出しかねない。今後は新指標の運用を通じて融資姿勢など経営の質を高める方向に軸足を置く。
 ただ、金融業界には「指標を通じて経営に介入しないか」との懸念も根強い。金融庁幹部は「ベンチマークは法律やルールではない。自主的な考えで経営改善を進めてほしい」と説明、経営陣との議論を通じて金融機関の体質改善を促す方針だ。

 「地銀6割、本業赤字に。人口減少や利ざや縮小で」 読売新聞から引用(引用部は斜体)

 全国の地方銀行の約6割が、2025年3月期に本業に当たる貸出などの収益で赤字に転落することが金融庁の試算で明らかになった。金融庁は地銀に対し、リスクの高い中小企業への融資や経営改善への助言に力を入れ、収益基盤を確保するよう求める方針。将来の人口予測をもとに、預金や貸出金残高、利ざやなどを推計した。貸出や投資信託の販売など、企業や個人客向けの業務では、全国に100以上ある地銀のうち、15年3月期に赤字となったのは全体の4割だったが、25年3月期には約6割に拡大する。人口減少で資金需要が低迷し、銀行間の貸出競争も激しくなり、利ざやが縮小するためだ。金融庁は「信用力に問題が少ない大企業向けに貸出残高を積み上げて収益を拡大することは困難になる」と警告する。

Asagao 笑うしかない。銀行と金融庁は「金融利権複合体」。試算の前提となる給与水準はどのように仮定したのか。地方において“破格”の銀行員給与を適正水準に引き下げる等、監督官庁である金融庁が本来あるべき“監督姿勢”に立ち帰ること。投信・保険等の販売手数料の開示をはじめ、情報公開を進めること。

 暑さもひと息ついた今頃になって、ベランダの朝顔が咲いた。4~5㎝くらい。薄青紫の小さな花。

2016年9月15日 (木)

本町の路地裏で

 先日、見附にオープンした日帰り入浴施設「ほっとぴあ」に行った。そこからの帰り道、夜風にあたって実家とは反対方向に歩き出した。本町通りの1本裏の路地を歩きながら、ある男の子のことを思い出していた。

 今から42年と半年前、1974年の春のこと。

 保育園の卒園式は、3月20日頃だったのだろう。記憶には残っていないが、「一年生になったら」を何度も歌ったことと服を着たり脱いだり、靴をはいたり脱いだり、そんな練習をしたかすかな記憶が残ってている。そして、3月31日から数日間の記憶は鮮明に残っている。3月31日に祖父が亡くなったからだ。

 あの頃、葬式は自宅でやるのが当たり前だった。数十人の大人が出入りし、家の中が賑わったことをよく覚えている。それから数日後。4月7日頃だろう。その日の朝、数日前に1度着て、すぐに脱がされた服を着る日なのだと知った。窮屈な服だった。母親からは樟脳の匂いがした。

 彼と初めて会ったのは小学校の入学式だった。初老で気が弱そうな、少し薄毛の男性が担任だった。「君はI君の後ろの席だから、I君の面倒を見てあげるんだよ」と言われた。「はい」と元気良く返事をするような子供ではなかったから、ただ小さくうなずき、かすれた声で「うん」と返事をしたはずだ。

 こうして彼が、小学校で一番最初の友達になった。彼はひとつ前の席に座っていた。正確には、座ってはいなかった。別の方向を向いたり、席を立ったり、奇声をあげることもあった。彼の意識は、全く別のモノに興味があり、その気持ちのまま、フワフワとしていた。「面倒を見てね」と言われていた自分は、彼を追いかけて「今井君、座ろうよ」なんて世話をすることはできなかった。「お願いだからジッとしていてくれよ」、そう心の中で念じていた。「こくご」の教科書よりも、彼が気になって仕方なかった。俺は彼を嫌いになった。

 母親と彼のお母さんが話をしていた。きれいなお母さんだった。「よろしくね。お願いね。」そんな言葉をかけられた。1日中、不安な気持ちで過ごした。数日間、不安なままで過ごした。「ねぇ、お母さん。ちょっと不安なんだけと」。そんなことが言える大人な子供ではなかった。ただただ、心配事を抱えたままだった。 

Dsc_0272 I君は給食の牛乳を飲むと、決まって口の周りが白くなった。彼は同級生に比べておしゃれなシャツを着ていたが、そのシャツはほとんどいつもズボンからはみ出ていた。俺は、白くなった彼の口を拭いてやることも、はみ出たシャツを入れてやることもできなかった。たまにI君の家に遊びに行った。彼のお母さんが誘ってくれたし、うちの母親も遊びに行くように勧めた。遊びに行くのは自分だけだった。そして、それを歓迎してくれるのはお母さんだけで、I君はひとりで遊んでいた。自分のこともおぼつかないままで、彼の面倒を見るなんてことは、何一つできなかった。しばらく経つと、I君は教室に現れなくなった。保健室の前にある別の教室に通っていることを知った。そのことは先生から発表されたのかもしれない。

 小学校を卒業する時までは彼を見かけた。中学校に入ってからも、町や何かの行事の時に見かけたことがある。彼を見かける度、自分は無口になった。昼休みや放課後にI君をからかう子どもたちに何回か遭遇したことがある。その時も自分は無口になった。

 自分は今も彼の名前を覚えているが、彼は俺の名を知らない。I君から、1度たりとも名前を呼ばれたことはなかった。しかし、彼からは何かを預けられたような気がする。それは「小さい玉」のようなものだ。

 初秋の夜風にあたりながら歩いたが、彼の家を特定することはできなかった。そこは所々が空き地になっていた。あの密集した町の風景はない。路地裏に響いていた機(はた)を織る音も聞こえない。町内の入り口にあったはずのWの家。Y、K、H、T、H…。次から次に頭に名前が浮かんだが、誰一人の家も特定できなかった。「みんな働き盛り。子育ても一番お金がかかる胸突き八丁だろうな」などと考えていた。

 “弱者のミカタでありたい”と考えるようになったのは、幼い頃のそんな経験もあるからなのかと、時々、思うことがある。胸の中にある「小さい玉」がそうさせる。

2016年9月14日 (水)

ただいまーと(三条市)

 「栄町に新しい“道の駅”が出来た」と聞いていたが、道の駅というのは単なる思い込み。JAにいがた南蒲が作った農産物直売所「ただいまーと」。

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 農産物エリアはどこの施設も似たようなものだが、野菜や果物のジェラート(写真・ジェラテリア・ココ)や軽食コーナー(デリ&ランチ)、イートインスペースのほか、調理実習室などがある模様。特筆すべきは、精肉コーナーに見附・今町の人気焼肉店「きらく」の肉や総菜が販売されていること。「きらく」の近所にある「道の駅パティオにいがた」(見附市今町)には新潟市の業者の肉が売られていたと思うが…まあ、いろいろ大人の事情があるのだろう。

 「ただいまーと」 三条市福島新田(国道8号沿い)

2016年9月13日 (火)

バス長ラーメン(三条市)

 社会人として初任地が三条市だった。「燕三条系背脂ラーメン」について先輩から教えを受けたのは24年前。「杭州飯店」、「福来亭」、「中華亭」、「いこい」など。背脂系とは言えないが会社近くの「龍昇園」(元町)や社宅近くの「華園」(興野)にもよく行った。

 40歳を迎えた頃、全国的に背脂ラーメンブームになったが、いわゆる大油ラーメンを食べると下痢をする症状に見舞われ、最近は喜多方ラーメンのような透明・あっさり系を好むようになっていた。そんな訳で、ラーメンは年に5~6回食べる程度。

Dsc_0430 涼しくなったせいか、ラーメンを食べて帰ろうということになり、国道8号のロードサイド店を物色。日曜の夜ということもあってなかなか見つからない。四日町方面に向かって進んでいるところで、偶然、この店を発見。

 メニュー裏側には、店主の経歴とともに、最近、栄町から移転してきたこと等が記されていた。こんな旨いラーメン屋、栄町のどこにあったんだろう?

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 背脂ラーメン 大油・大盛り 800円   鶏がら塩ラーメン 730円

 一朝一夕に作れない味。丁寧に作られており、研究した成果が味に出ている。餃子も旨かった。

 三条市東本成寺 茅原産婦人科クリニック裏

2016年9月12日 (月)

植物を育てるように

Img_20160907_173732 植物を育てるように部下を育てたらどうだろう。本当は「育てる」なんておこがましい。植物は“自ら”光合成する。

 植物・苗=自分。土=家族・恋人。水=報酬。太陽=上司・先輩。肥料=やり甲斐・生き甲斐(顧客満足・達成感)。そして、生育状況を観察することが重要だ。観察とは管理。

 水は十分か、日があたっているか、肥料は足りているか。数字を管理するならパソコンで十分だ。光合成の要素(水・光・二酸化炭素)すら与えられない状況で、成長しろというのも無理な話だ。

2016年9月11日 (日)

上司だからといって

 昨日、引用させてもらった一文をアレンジして、退職を決意した若者に贈る。

  上司だからといって部下に敬意を持って接してもらえるとは限らない。
  会社に評価されていねからといって部下に尊敬されるわけではない。
  給料が高いからといって部下に慕われることはない。
  上司だからといって、 ただ年をとっている以外に何かを学んでいるとは限らない。

2016年9月10日 (土)

有名だからといって

全文引用  浜田省吾 「ON THE ROAD 2011 THE LAST WEEKEND ツアーブログ」から彼の言葉

 有名だからといって人に敬意を持って接してもらえるとは限らない。
 金を持っているからといって人に尊敬されるわけではない。
 喧嘩が強いからといって人に慕われることはない。
 人が敬い、慕い、親しみを感じる人物とはどんな人間だろう。
 国家や民族に関しても同じように考えてみてはどうだろう。
 先の大戦が終わり、骨の髄から戦争に嫌気がさし、
 世界中の人々が二度と戦争という愚行を繰り返さないと肝に命じたはずなのに、東アジアの空気の中にさえ、争いと戦さの匂いが微かに漂っていると感じないか。
 インターネットという新しいメディアが子どもの戯れのような言い合いから始まる暴力を煽ってはいないか。
 まさか・・・という緩みが蔓延していないか。
 世界は優しく愛に満ちた人達だけがいるわけではなく、どうしようもなく卑劣で愚かな人間や闇が存在していることも子どもに教えなくてはならない。
 ナイーブなままでは生きては行けない。
 しかし、それでも圧倒的に多数の人々は思慮を持ち、静かに調和の中で暮らしている。
 このことを子どもに伝えなくてはいけない。
 子どもだからといって純粋で無垢なままの存在ではない。
 その白紙のページに何が書き込まれ、どう染まっていくかは大人しだいだ。
 そして、大人だからといって
 ただ年をとっている以外に何かを学んでいるとは限らない。

2016年9月 9日 (金)

初秋

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 携帯電話に残っていた写真

 2013年9月9日 村上市早稲田地区にて

2016年9月 8日 (木)

「ほっとぴあ」(見附市)

Dsc_0422 廃業、営業停止、閉鎖。近年、温泉施設は減少の一途だ。新たな温泉掘削、設備投資は運営業者の負担が重く、既存施設では更新投資がままならない状況にあることに加え、後継者不足・人員不足なども影響が大きいだろう。

 そんな環境の中、公共老人施設が老朽化したことから、見附市が建設(運営は指定管理者=民間)したコミュニティ銭湯「みつけ健幸の湯・ほっとぴあ」を訪れた。

 1階は市民交流スペースを兼ねており、窮屈な印象はない。壁掛けテレビの前に多人数が座れるソファーがある。カラオケルームがあるのもそういった意味合いか。食堂「味っけ」のスペースは隣の和室休憩室に比べて広く取られている。マッサージ(体いやし処)、マッサージチェア(有料)と施設は充実している。

 2階が脱衣所と入浴施設。数種類の浴槽があり、半露天に炭酸泉風呂、3つの壺湯、寝ころび湯がある。屋内はあつ湯、ぬる湯があり、ぬる湯の端には電気風呂。あつ湯の方は特別に熱いわけでもない。時間式のリラックスバス(センサーを感知させて稼働させる。一定時間経つ停止)、サウナ、冷水風呂。サウナでは流行の「ロウリュウ」サービスをやっている。時間が決まっているので注意。男女とも浴槽の種類と広さに違いはない模様。3階は岩盤浴などのフロア(追加料金が必要)。岩盤浴利用者は専用のガウンが渡される。今回は利用しなかった。

 岩盤浴利用なしの大人平日500円は好ましい料金設定。受付時、くつ箱の鍵と引き替えに渡される番号付きの腕輪で後会計する仕組み。脱衣所のロッカーとは連動しない。くつ箱、ロッカーともに100円投入の必要ない。脱衣所の洗面スペースが簡易的なので歯磨きやクシを使う人は注意。老人(市民)には割引券が配布された。実家から徒歩10分で両親にも好都合だ。「仕事帰りの立ち寄り湯」そんな使い方ができれば最高だ。

 みつけ健幸の湯・ほっとぴあ http://www.hotpia.jp/

2016年9月 7日 (水)

サッカーはもっと嫌い

 ブログに「高校野球が嫌い」と、書いた。実は高校サッカーはもっと嫌いだ。

 フェアプレーを標榜しているが、実際は集団主事や既存の枠組みを補完する役割を担っているのが高校野球。一方、チームプレーを標榜しているが、評価は個人プレーであるのが、高校サッカーだ。特に“キャプテン翼タイプ”が大嫌い、というより苦手だ。正しいことを大声で堂々と言う。それはそれで能力だが、こういうタイプは、チームプレーを強いておきながら、実績・評価は独り占めにするタイプが多い。

Harilu_2 矛盾するようだが、高校サッカーは嫌いでも、日本代表戦やJリーグはたまに見る。スポーツを「生業として」やる人たちには敬意を持つ。言い訳が効かない勝負の世界。そこは少数の勝者と多数の敗者がいる世界。

 2018年ワールドカップ・ロシア大会に向けたアジア最終予選。日本は予選10試合のうち2試合を終え、1勝1敗。6大会連続出場に暗雲が立ち込めている。

 この代表戦を前に違和感を持ったサッカーファンは多かったのではないか。 違和感と言っては失礼だが、長友の恋愛報道と長谷部の結婚。2人とも、相手が芸能人だった。長友はバラエティ番組にも出演していた。本田はスマホゲームのCMに出ている。先日、帰国した空港で彼は、多数のファンのサインに笑顔で応じたとか。本田は「派手なスーツを着て、サングラスをかけ、両腕に高級腕時計を巻き、颯爽と帰国」が定番だったのに。

 また、代表メンバーが集合したのは、試合3日前とのこと。サッカーファンなら誰でも言える不動のメンバーから、遠藤、長友、川島などがいない。確かに欧州のクラブに所属する選手ばかりだが、アジアの代表チームと比較して、頭ひとつ抜きん出ているなどということは全くない。そして、逆説的になるが、不動のメンバーから、たいして代わりばえしていないのだ。つまり、世代交代が進んでいない。

 世代交代が進んでいない代表メンバー。一方で、代表メンバーにこれまでとは違った言動・行動が見られる…。これは、マズい。

2016年9月 6日 (火)

蕎麦の花

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2016年9月 5日 (月)

2016年 新潟記念

 「a day in the life」 新潟の夏競馬を締めくくる第52回新潟記念は「人生の1日」という名の馬が勝利した。馬の名は1967年に発売されたビートルズのアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の最後に収録された曲名。まさに“有終の美”を飾るのにふさわしい馬だったわけだ。また、新潟記念を勝利した横山典弘騎手は、JRA全10競馬場重賞制覇となり、「人生の1日」を記憶する日になった。

 今日はこの夏2回目の競馬観戦。当日発売の指定席を求めて、朝6時に長岡を出発。新潟競馬場には7時過ぎ着いたが、すでにA席は完売。やむなくB席を確保した。S席・A席のおおよその完売時刻はホームページで確認していたが、例年よりも早い完売に驚いた。当たり前のことではあるが、品川、名古屋、熊谷、金沢等々、県外からの遠征組の車両ナンバーが目についた。

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 競馬の方は適度に荒れたレースを含みつつも、実力発揮のレースが多く、納得の1日。先日撮り損ねた藤田菜七子騎手を写真に撮ろうと、1Rのパドックへ(今日の騎乗はこのレースのみ)。夏の新潟では昨日の2着が最高着順で勝鞍がなかったが、まだまだ1年目。騎乗フォームも美しく、今後の飛躍を祈念。いつものように生ビールを飲んだ後、珍しく障害レースの予想にじっくりと時間を割いた。なぜかと言うと、GⅠ勝馬ダノンシャークの弟、重賞勝馬セイクリッドバレーの弟などが出走していたから。勝ったのはネオブラックダイヤの弟。初障害で勝利した。メインレース・新潟記念は、近年、上位人気馬が馬券にならないレースだったが、今年は2番人気→1番人気の決着になった。データが脆くも崩れ去るのが競馬の醍醐味でもある。夏競馬を満喫した。感謝!

 新潟競馬場では10月に3週の秋開催があるが…、秋や春は1日中競馬という気分にはならないなぁ。

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2016年9月 4日 (日)

1986年9月4日/J.BOY

Jboy_2 高校3年の夏休みが終わって間もない、1986年9月4日に「J.BOY」は発売された。

 モノクロのジャケット。2枚組のLPレコード。あれから30年。

 いろんな経験をした。いろんなことを学び、いろんなものを失った。

 今は恵まれてはいないが、悪くもない。

 ずっと、自分で決めてきた。

2016年9月 3日 (土)

千里の馬 3

 全文引用  浜田省吾 ON THE ROAD 2011 「THE LAST WEEKEND」ツアーブログ

 「千里の馬」という諺(ことわざ)がある。
 千里を駈けることが出来る馬がいても、
 その馬が名馬であることを見抜ける人がいなければ
 才能は見出されないまま埋もれてしまう・・・というような諺なのである。
 しかし、俺は長い間思い違いをしていて、
 全く違う解釈をしてきたのだが、実はその自分独自の解釈に励まされてきたのだ。
 俺の解釈はというと、
 生まれつきはダメな駄馬であったとしても、
 もしも千里を走ったならば、それは「千里の馬」なのだと。

2016年9月 2日 (金)

千里の馬 2

 「歌詞に主張のある音楽は好まない」 中高生から大人まで、とても人気のある3人グループのリーダーが、自らの音楽に対する考え方を述べた。

 「音楽フェスに政治的主張を持ち込むのはどうか」 この夏、有名なロック・フェスティバルで、あるシンガーが政治的発言をしたことに対し、多数を占めたネットの論調。

 著名な作曲家は、バッハ、ベートーヴェン、モーツアルト、シューベルト、ショパン、ドビュッシー…。

 著名な詩人は、シェークスピア、ダンテ、ゲーテ、ワーズワース…。

 曲に詩を乗せる、あるいは、詩に曲を乗せると、詩は詞(うた)になり、それは歌詞になる。曲調が変われば、カントリー、スゥイング、ゴスペル、ブラックミュージック、リズム&ブルース、フォークミュージック、ロックンロール、ポップス、演歌…。

 旋律を持つ詩の作り手。詩を持つ旋律の作り手。それがソングライター。

 作曲家でなく、詩人でもない道、つまりソングライターを選んだのは主張があったからだろう。

 歌詞から主張が無くなり、政治的な主張を持ち込まなくなったら、歌う意味はあるのだろうか。

 俺は一人のソングライターが歌う詩に、主張があり、政治的なメッセージも感じたから、ずっと助けられて来た。

2016年9月 1日 (木)

千里の馬 1

Shamada 浜田省吾を意識したのは今から35年前、1981年8月、13歳の夏だった。土曜日午後3時過ぎ、NHK新潟放送局のFMラジオ番組リクエストアワーで「ラストショー」を聞いた時からだ。

 それよりも前に、「明日なき世代」か「終わりなき疾走」を聞いている。その時、「これまで身近にあった音楽とは、明らかに異なる何か」を感じたが、一体その感情が何なのか、歌っている人は誰なのか、わからないままだった。

 更に遡れば、それよりも前に「風を感じて」を耳にしていた。日清食品カップヌードルのCMもそうだが、同社が提供する番組「ヤング・オー・オー」(MBS系=BSN)で歌う姿を見ていた。1979年、11歳の時だった。

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