長岡花火/三尺玉 孤高の花火
数十万人の見物客。信濃川右岸の客は左手方向を、左岸のそれは右手方向を向き、ところどころで立ち上がる人もいる。「おい、立ち上がるなよ」なんてヤボな声は聞こえない。
三尺玉打ち上げの警報サイレンが鳴り響く。しばらく静寂。乾いた打ち上げ音は残響を伴う。昇り曲導は、かすかに左右に揺れるように見せながら、しかし、一直線に夜空を駆け上がっていく。わずかに沈黙。
やがて自身を解放するかのように、一瞬にして大輪の花を咲かせる。花は自らの重さゆえ、ゆがんでいる。これは彼の宿命だ。そして、爆音をとどろかせ、空気を揺らす。
三尺玉には所作がある。世界観がある。孤高の花火。
今年は三尺玉3連発(他に1発。2日間で計8発)。フェニックスやワイドスクリーン型スターマインに押され、三尺玉の存在感低下を象徴するような演出。三尺玉は1発でいい。
三尺玉を立ち上がって見るのは、花火を眺めたいからではない。拝みたいからだ。神社であぐらをかいて参拝しないのと同じように。三尺玉には信仰心すら感じる。だから、1発でいいのだ。
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