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2016年8月20日 (土)

かき氷

Dsc_0381_3 かき氷を食べたのは何年ぶりだろう。甘いものには目がないが、なかなかかき氷は選ばない。豪華なかき氷が流行っているらしいが、食べたかき氷には抹茶シロップと練乳がかかっていた。

 幼い頃に食べたかき氷のことを少々。実家の近所にだんご屋があった。しょうゆ団子や大福、草餅等が並ぶが、夏になるとかき氷を出していた。普段は小上がりになっている板の間の板を外すと、そこが土間になる。テーブルとイスを並べて、夏季限定のかき氷屋になった。

 だんご屋の前はバス停で、市役所や商店街がある町の中心部やその先にある農村部、更には隣の市へ続くバス車庫に繋がっていた。斜向かいには警察署があり、こちら側のバス停からは駅に向かうバス等が出ていた。双方向に向かうバス待ちの客や、駅と町の中心部を結ぶ道沿いに立地していたから、それなりに繁盛していた。

 子供だから、かき氷を作る過程に興味を持った。その始終を見ていた。店の主人はひとつ年上の幼なじみのお父さんだった。少々小太りで黒ブチメガネ、低い声の主人だった。業務用のかき氷機は間近で見ると恐怖を感じた。削氷部は鉄格子のような中にあり、刃物が回転することで、自分の顔と大差ない氷をガリガリと削った。かき氷のシロップは、メロンとイチゴ、それにみぞれだったと思う。頭にキーーンとした痛みが走り、食べ終わると、全身が寒くなる、そんなかき氷だった。

 お盆に実家に行き、この春にだんご屋のお父さんが亡くなったことを聞いた。店の名物だったしょうゆ団子は当時すでにほとんどの工程が機械化されていた。投入口に餅を入れれば、串が刺さった状態で製造器から排出された。その後、団子に軽く焼き目をつける工程があって、何度かそれを手伝ったことがあった。最初は楽しく焼いているのだが、数が10や20ではなく、焦がし具合も重要だと教えられると、次第に無口になった。そうしてできた団子のいくつかをもらって帰った。かき氷もだんごも、お金を払った記憶がない。親や祖父母が払っていたのかもしれないが。

 自分の甘味好きのルーツは、あのだんご屋にあるのかもしれない。

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