千代の富士の時代
一昨日の7月31日、千代の富士(九重親方)が亡くなった。61歳という若さだった。昨年末の北の湖に続いて、相撲界は偉人を失った。
昭和と平成を比べた時、大きく相違する点に「スポーツの変化」がある。もちろん競技するスポーツの種類もそうだが、スポーツを視聴・観戦できる環境に隔世の感がある。今はインターネットで、遠い外国の試合経過・結果を知ることが出来る時代。だが、あの時代は違った。極論すれば「野球と相撲」しかなかった。だから、それぞれの世界に自分のアイドルがいた。小学校から帰ってくると、テレビは相撲中継だった。相撲のアイドルは輪島と貴ノ花。そして、ヒール役が北の湖。「貴乃花が北の湖に勝つことはなく、輪島と北の湖の対戦は、いつも水入りで、たいていは北の湖が勝つ」そんな記憶だ。当時、最強だった北の湖ではなく、輪島や貴ノ乃花を応援したのはなぜか。それは、一緒にテレビ観戦していた祖母が、輪島や貴ノ花を応援していたからだ。その影響を受けたんだと思う。貴乃花が引退した時、引退特集の写真集が発売されることを知り、親父から金をもらって買いに走った記憶がある。彼らと千代の富士の活躍期(大関昇進-引退)と自分の年齢を並べてみる。
輪島 1972-1981 4歳-13歳 貴ノ花 1972-1981 4歳-13歳
北の湖 1974-1985 6歳-17歳 千代の富士 1981-1991 13歳-23歳
祖母がいなくなり、柔道を習い始めた。10歳の時、体が大きい方だったので、市の相撲大会で優勝した。中学校に進み、相撲の興味も無くなっていたが、千代の富士はそんな幼少期のアイドル達と入れ替わるように登場した。精悍な顔と体、圧倒的な強さからウルフと呼ばれた。大相撲の興行的な絶頂期は次の世代である若貴時代に譲るが、日本の経済的ピーク「バブル時代」の相撲界を牽引した。生真面目でストイック、そんな大横綱だった。
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