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2016年8月

2016年8月31日 (水)

新潟県知事 まだ53歳

Niigataken 新潟県の泉田知事が、4選を目指していた知事選出馬をとりやめると発表。声明文で「政策論とは関係ない報道が続いている」とし、地元紙・新潟日報がロシア航路中古フェリーの購入契約をめぐるトラブルについて事実に反する報道を続けていると、その報道姿勢を批判した。再三にわたって「適正な報道を」と同紙に申し入れてきが、「十分に訴えを届けることは難しい」と判断したという。

 均衡が崩れる時、いろんなことが起こる。泉田氏の報道機関に対する主張は、本来、報道機関に求めても仕方のないこと。報道機関は権力のチェックを行うのが本業だ。実際、新潟日報は泉田氏と声明文に対する批判記事を掲載しているらしい。但し、「本来は…」。これまで泉田氏は「適正な報道」がされていたと感じていたのだろう。それなのに、新潟日報が突然、ジャーナリズム精神を発揮した。なぜか?均衡が崩れたのだ。

 県政に興味もないが、気になっていたことがあった。遠因になったと推測。 ①県職員による不正・不祥事件が続いた。こういうのはボディーブローのように効いてくる。責任の取り方・取らされ方。新潟県庁・県庁職員は、県内最大のエリート組織。派閥もあるはず。一般企業と何ら変わりはない。 ②県立加茂病院問題。出身地に我田引水的なことは避けたかったのはわかるが、病院の1つくらい、と自分なら思う。大先輩である高齢の市長との亀裂が不信感の端緒の1つとなったのではないか。 ③原発再稼働問題。泉田氏は東京電力に、ある程度の水準はクリアして欲しかったはず。今のままでは、誰が知事になろうと、再稼働などできないだろう。そこに、医療福祉計画未策定問題、ロシア航路フェリー契約のトラブル。

 出馬とりやめの判断は正しかったと思う。不戦敗にはなるが、とても現実的だ。そう考える最大の理由は知事の年齢。新潟県(人口で全国15位・面積5位)の知事を3期12年経験し、まだ53歳。中越地震、中越沖地震等により災害対応への経験値は高く、東日本震災による福島原発事故の徹底した検証を求め、柏崎刈羽原発再稼働に慎重姿勢であることから、図らずも知名度を上げた。反原発ではなく、検証に基づいた納得できる安全性の確認と理詰めの説明を求めていただけ。この1点のみにおいても、評価に値する。筋は通した。

 権力者としてのおごりがあったことは、容易に想像できる。3期12年やれば、どんな部門においても、自分が一番知っている。だが、権力者とはそんなものだろう。もっと卑劣な権力者を、サラリーマンなら身近に知っているはずだ。今回は組織、職員、そして報道機関の権力監視機能が働いたということ。「新潟州構想」など、発信力ある知事だった。繰り返すが、若さが魅力。あと3期やったとしても、次期知事と目される人よりも若い。社会の主流は、勝ち馬に乗ろうとする。新潟県は新潟県だけで回せる地域性もある。閉鎖的だ。そんなこと十分にわかっているからこそ「立候補取りやめ」か。国政に転じれば良いと思う。

2016年8月30日 (火)

晩夏の花

Dsc_0402_2 品種改良の技術が進み、花や野菜の種類が飛躍的に増えた。

 写真の花はなんだろう。この時期、鮮やかなピンクに咲いていた。サルスベリ?ゼラニウム?

 花や木、そして草の名前を知っている人にあこがれる。

 品格がある。

2016年8月29日 (月)

六十里越(新潟・福島県境)

Dsc0797018_2 「会越の窓開く」

  昭和四十八年九月 内閣総理大臣 田中角栄

  ※会越…福島県会津地方と新潟・越後

 国道252号線を新潟から福島に入り、只見湖見下ろす場所に「六十里越 開道記念碑」が立っている。

 六十里越と呼ばれる国道(以下、Rと表記)252号線を好んで利用する。その理由は、この道が福島、栃木、茨城へ続くワープ道路だと思うからだ。

Dsc_1144_2 長岡市からはR351で栃尾。R290で魚沼。R252で只見へ。そのまま会津方面に抜けることもあるが、R289で南会津~白河市~いわき市へ。あるいは、R121で日光へ、R400で那須へ。従前は急峻な山岳道路(およそ30キロ)の様子だったが、年々改良・拡幅され、「雪割り街道」という愛称がつけられた。現在はとても走行しやすくなり、対向車とのすれ違いに苦労することもない。軽自動車でも問題ない。冬季間は通行止めになるので注意(おおむね11月中旬から5月中旬。最近は少雪傾向もあってゴールデンウィーク開通、12月初旬閉鎖)。

 この六十里越と、併走するJR只見線(福島県会津若松駅から新潟県魚沼市小出駅)については、歴史から開通に至る経緯まで、いつか勉強したいと思っている。なお、三条市から只見に抜けるR289・八十里越道路の工事が続いている模様。また、山形県にも六十里越街道という景観の良いドライブルートがある。

2016年8月28日 (日)

高校野球が嫌いな理由 2

 高校野球の本質は「フェアプレイ」にあるのではないか?「そうではない。ただ単に、高校生を利用した産業だ」などと言う人は極少数だろう。完全に変わり者扱いだ。高校野球の本質は「フェアプレイ」にある。ではそのフェアプレイとは何だろう。

 公益財団法人日本高等学校野球連盟の野球憲章に「学生野球は試合を通じてフェアの精神を体得する事、幸運にも驕らず悲運にも屈せぬ明朗強靭な情意を涵養する事、いかなる艱難をも凌ぎうる強靭な身体を鍛練する事、これこそ実にわれらの野球を導く理念」とある。また、公益財団法人日本体育協会は「フェアプレイとは」として、以下のように定義している。

 1.行動としてのフェアプレイ  ルールを守る。審判や対戦相手を尊重する。全力を尽くす。勝っても驕らず、負けてもふてくされたりしない。など行動に表れるフェアプレイのこと。

 2.フェアプレイ精神  スポーツの場面に限らず日常生活の中でも、自分の考えや行動について善いことか悪いことかを自分の意志で決められること。 自分自身に問いかけた時に、恥ずかしくない判断ができる心(魂)のこと。

 実体験、肌感覚として、1と2が重ならない。フェアプレイ行動とフェアプレイ精神が結びつかない。

 いわゆる「体育会系の人」が就職に有利だと言われるのはどうしてだろう。彼らに期待されていることや、彼らが持ち合わせている能力とはなんだろう。

 既存の枠組みを保持する役割を果たすからではないか?

 進んで既成概念を補完する役割を果たすからではないか?

 ルールを守る。審判や対戦相手を尊重する。全力を尽くす。勝っても驕らず、負けてもふてくされたりしないなど行動に表れるフェアプレイとは、つまり、「先輩、上司、会社の仕組みを保守し、序列と秩序を維持すること。」

 体育会系の人ほど、「フェアプレイではないこと」に平気で目を背けるのはなぜだろう。自分が経験してきた身の回りの人物だけだろうか。会社が狂っていたからだろうか。それとも、自分が狂っているからだろうか。

 ルールや審判が間違っていたり、時代が変化した時はどう行動するのがフェアプレイなんだろう。「モノ申すこと」がはばかれる世界に、フェアプレイなど存在するのだろうか。

2016年8月27日 (土)

台風10号

Dsc_0386 雨がフロントガラスを濡らしたが、ワイパーを動かすことはなかった。1日中、曇天で気温も25度を越えなかった。昨日までのエアコンでは、冷房が効きすぎて、設定を変えた。ロールスクリーンを開け、ピンク色の夕焼け空を撮影。

 今日は土曜日。日本列島と平行に進んでいた台風10号が、徐々に北西へと進路を変え、月曜・火曜には東北地方に上陸するとの予報。東北地方に台風が上陸すれば統計上、初めてとのこと。不気味な台風だ。

2016年8月26日 (金)

King of Fruits 桃とスイカ

Dsc_0383 10年前にやっていたブログにも同じことを書いたと思う。自分にとって「King of Fruits」は桃だ。昨今は9月になっても美味しい桃を食べられるが、夏の終わりは桃の季節の終わり。旬は過ぎる。先日、川中島という品種の桃を食べて、その美味しさと食感に驚いた。ちょうどスーパーに桃の品種について掲示してあったのでパチリ(写真)。

 夏の果物といえばスイカ。幼い頃、スイカが苦手な自分におふくろや祖母が必ずと言っていいほど桃を用意してくれた。「お前は桃が好きだからね」と半ば桃好きをすり込まれたようなところがある。スイカにかじりつく姿に憧れた。今も憧れている。右から左、左から右へ、噛むことと飲み込むことを同時進行する。そして、黒いタネをペッと出す。タネはどこに保管していたのか。美味しそうに食べる姿は、見ていて気持ちいい。でも、決して羨ましくはなかった。家では「嫌い・食べない」で済むが、スイカは夏の必須アイテムだから、臨海学校、林間学校、町内の行事、社会人になってからも営業先で出されることもあった。いつだったか、「あんた、スイカ嫌いだね?」と言われたことがあった。食べ方でわかるそうだ。食べ慣れないスイカを10分もかけて食べていたからだろうか。青くなるまで食べるのか?

 桃の話。桃は葡萄などとは違い、大まかには「丸い桃色の果実」と一括りできるから、品種に拘ったことはなかった。桃には白鳳系と白桃系があり、多くの交配を重ねていること、品種によって甘み・水分量・身の硬さ等が異なることがわかった(どの果物でもそうだけど)。桃好きを自認しておきながら、桃のことは全く知らなかった。よく食べているのは白根白桃か。先日食べた川中島は白桃系に属している。川中島と言うくらいだから隣県・長野発祥らしいが、新潟では川中島を見かけることが少ない。栽培の適性や消費者の嗜好など、地域性が影響しているのだろうか。

2016年8月25日 (木)

ボケる確率 100%

Img_20160822_185651 長生橋東詰付近 シャッターの絵(クリックで拡大)

 1.散歩していない 2.新聞は読まない 3.社会と交わっていない、趣味がない 4.料理を作らない 5.恋をしていない 6.日記をつけていない 7.電車・バスで出かけてない  そして、頑固で偏りのある性格  よって、ボケる確率100%

2016年8月24日 (水)

車検

1990integra 平成19年製の車を22年8月に中古車で購入し、24年8月、26年8月、そして28年8月、3回目の車検が終わった。遠方の業者から購入したので、車検は近くの専門店を使っている。料金は比較的明確に規定されていても、毎回、基本コース内では収まらず、3万~5万円程度は追加整備になる。今回はウォーターポンプの交換があった。そろそろ走行距離10万キロを迎える車だから適切な整備と理解しているが、やはり2年に1回、15万円は痛い。

 車検と呼ばれる制度は、自動車検査登録制度が正式名称。すべての車がこの制度に基づき、車両検査を受けている。おそるべき権益だ。ネット検索してみると費用面で節約できる「ユーザー車検」というやり方もあるらしい。新車で買った初回・2回目の車検などはこれで通るかもしれない。 平成 4年7月~1年8ヶ月 ホンダ・インテグラ4ドア(写真)

 平成 6年3月~7年0ヶ月  ホンダ・インテグラ3ドア

 平成13年3月~9年5ヶ月 トヨタ・ハリアー

 平成22年8月~6年0ヶ月 レクサス・IS350

 今の車を次の車検まで乗ると8年。計算上、平均6.5年になるが、1台目は特殊事情。実質平均8年。次の車は50代をともに過ごす車ということになる。

2016年8月23日 (火)

第31回 夏季オリンピック閉会

 南米初開催となった第31回夏季オリンピック リオ・デ・ジャネイロ大会が閉会。様々な懸念を抱え、運営が心配されていたが、問題なく開催された。日本は41個のメダル(金12、銀8、銅21)を獲得、前回のロンドン五輪を上回り過去最多のメダルを獲得した。次回、東京大会を見据えた育成が結実(本番は4年後でも)したことは素晴らしい。

 大会前、ロシアによる国家的ドーピングが発覚し、ロシア選手は一部の競技にしか出場できなかった。最も有名で衝撃的なドーピング事件である1988年陸上男子100メートル ベン・ジョンソンのソウルオリンピックから28年が経過している。薬物使用は根絶の方向には向かわず、計画的、巧妙に、国家組織によって行われた。ドーピングは4年後の東京大会でも、最大のリスク要因だと思う。 ※ロシアスポーツ省が指示、クリーンな尿サンプルを冷凍保存し、検査時に入れ替えた。開封出来ない尿サンプルの容器を開封する方法を開発し、中身をすり替えた。すり替えは水道管工事を装ってサンプルを保管している研究所に侵入した。いずれもロシアは否定。

 リオ・オリンピックの感想を2つ

 1.メダリストたちは東大生

  現代のメダリストは幼少期からの育成なしでは産まれない。メダルへの道は親が導く。戦略的メダリスト。

 2.3つの銀メダルに感銘

 (1)レスリング女子53㌔級吉田沙保里の銀  オリンピック4連覇を逃した後のインタビュー。「たくさんの人に応援してもらったのに銀メダルで終わってしまって申し訳ない。日本選手団の主将として金メダルを取らなければならないのに、ごめんなさい。取り返しのつかないことになってしまった」と号泣。心の美しい女性。銀色も似合う。

 (2)陸上男子400メートルリレーの銀  日本独自の「アンダーハンドパス」を突き詰めたことによる戦術的勝利(銀メダルだが、勝利)。日本が歴史上、スポーツ界の様々な場面で見せてきた技術革新。

 (3)卓球男子団体の銀  ビッグマウスとの批判も受ける年長の水谷は、やや常識外れな一面がある。しかし、世界で闘うには常人離れした何かが必要。「卓球でも食って行けること」を知らしめる言動は、卓球界を牽引し、代弁している。マイナー・スポーツ・アスリートとしての覚悟。

2016年8月22日 (月)

高校野球が嫌いな理由 1

Kousien 夏の甲子園は作新学院高校(栃木県)が優勝して閉幕。近年は、高校野球の観戦入場者数が激増しているという。社会や人口動態の変化(団塊世代等の観客人口が増えたこと)が最大要因だろう。この夏はオリンピックの陰になり、メディアの扱いも少なく感じたが、観客の増加傾向は続いたのだろうか。

 球児たちに罪はないが、高校野球が嫌いだ。1試合もテレビ観戦しなかった。年々、嫌い度は薄まってきているが、それは好きな方向に傾いているのではなく、単に関心が無くなっているだけ。

 高校を卒業して30年が経つ。価値観の多様化、個を尊重する教育、そんなことが言われ始めた時代でも、高校野球偏重に変化の兆しは見られなかった。高校球児や高校野球を取り巻く環境はどう変化してきたのだろう。マイナーなスポーツや文化系部活、そして、高校という組織や既成の枠組みに組みしない活動の数々に、陽が当たるようになっただろうか。

2016年8月21日 (日)

「たいまつ」の火は消えても

(朝日新聞デジタルから引用) 戦争絶滅を訴え続けたジャーナリスト・むのたけじ(武野武治)さんが21日、老衰のため死去した。101歳だった。朝日新聞記者時代に終戦を迎え、「負け戦を勝ち戦のように報じて国民を裏切ったけじめをつける」と終戦の日に退社した。ふるさと秋田県に戻り、横手市で週刊新聞「たいまつ」を創刊。1978年に780号で休刊してからは、著作や講演活動を通じて平和への信念を貫き通した。100歳になった昨年は戦後70年で「歴史の引き継ぎのタイムリミット」といい、講演で各地を飛び回った。今年の憲法集会で「日本国憲法があったおかげで戦後71年間、日本人は1人も戦死せず、相手も戦死させなかった」と語った。2002年に胃がんの手術、06年に肺がんで放射線治療を受け、ほぼ完治。90歳を過ぎても自転車に乗り、「80歳より90歳のほうがいい仕事ができるようになった」と話した。「戦争いらぬやれぬ世へ」(評論社)や「99歳一日一言」(岩波新書)、「日本で100年、生きてきて」(朝日新書)などを著し、「週刊金曜日」では故野坂昭如さんのあとのコラムを担当していた。 

Tajmatu_muno_2 むのたけじ氏と週刊「たいまつ」を知ったのは学生の頃。20歳とすれば、今から28年前。鎌田慧氏「反骨のジャーナリスト」(岩波新書)に書かれていたのは15年前くらい。むの氏は仕事として翼賛記事を書いた。そして、従軍記者として「負け戦を勝ち戦のように」報じた。

 やはり、「仕事だったから」では済まされない。「仕事だから少々のことには目をつぶる」では自分が許さない。

 仕事とは何だろう。

 あまりにも重い荷物を背負った人生に、黙祷。

 そして、荷物を背負わない人たちは、どう考えるだろう。

2016年8月20日 (土)

かき氷

Dsc_0381_3 かき氷を食べたのは何年ぶりだろう。甘いものには目がないが、なかなかかき氷は選ばない。豪華なかき氷が流行っているらしいが、食べたかき氷には抹茶シロップと練乳がかかっていた。

 幼い頃に食べたかき氷のことを少々。実家の近所にだんご屋があった。しょうゆ団子や大福、草餅等が並ぶが、夏になるとかき氷を出していた。普段は小上がりになっている板の間の板を外すと、そこが土間になる。テーブルとイスを並べて、夏季限定のかき氷屋になった。

 だんご屋の前はバス停で、市役所や商店街がある町の中心部やその先にある農村部、更には隣の市へ続くバス車庫に繋がっていた。斜向かいには警察署があり、こちら側のバス停からは駅に向かうバス等が出ていた。双方向に向かうバス待ちの客や、駅と町の中心部を結ぶ道沿いに立地していたから、それなりに繁盛していた。

 子供だから、かき氷を作る過程に興味を持った。その始終を見ていた。店の主人はひとつ年上の幼なじみのお父さんだった。少々小太りで黒ブチメガネ、低い声の主人だった。業務用のかき氷機は間近で見ると恐怖を感じた。削氷部は鉄格子のような中にあり、刃物が回転することで、自分の顔と大差ない氷をガリガリと削った。かき氷のシロップは、メロンとイチゴ、それにみぞれだったと思う。頭にキーーンとした痛みが走り、食べ終わると、全身が寒くなる、そんなかき氷だった。

 お盆に実家に行き、この春にだんご屋のお父さんが亡くなったことを聞いた。店の名物だったしょうゆ団子は当時すでにほとんどの工程が機械化されていた。投入口に餅を入れれば、串が刺さった状態で製造器から排出された。その後、団子に軽く焼き目をつける工程があって、何度かそれを手伝ったことがあった。最初は楽しく焼いているのだが、数が10や20ではなく、焦がし具合も重要だと教えられると、次第に無口になった。そうしてできた団子のいくつかをもらって帰った。かき氷もだんごも、お金を払った記憶がない。親や祖父母が払っていたのかもしれないが。

 自分の甘味好きのルーツは、あのだんご屋にあるのかもしれない。

2016年8月19日 (金)

餃子の王将

Dsc_0382 2005年頃の一時期、大阪・京都に出張する仕事があった。その時以来「餃子の王将」のファン。当時、新潟県に店舗がなく、出掛けた先々で王将を探して食事していた。現在は、新潟市内に3店舗が出店しているが、長岡市やその他の県内に店舗がない。早期に店ができることを望む。

 餃子+焼きそば 750円 (写真の餃子は2人前)

2016年8月18日 (木)

IKEAのザリガニ

Dsc_0380 IKEAのザリガニフェアは有名らしい。メルマガでもススメられていたし、まあ、話のタネに食べてみた。

 IKEA発祥の地であるスウェーデンや北欧諸国では、夏に催す「ザリガニ・パーティー」が恒例行事だとか。食文化は国によって様々だ。

 夏のこの時期、日本の食文化といえば「クジラ汁」が思い浮かぶ。しかし、夏のスタミナ食としてのクジラ汁は、新潟や北海道、山形、福島の一部の文化だとか。知らなかった。

 IKEAのザリガニ。味の方は「なるほど」という感想。他国の食文化にケチをつける気はない。むしろ食文化に触れる機会として捉えれば、その価値はあるから、一家で食べてみるのもいいだろう。ザリガニ・プレート(写真は3匹)は、ザリガニを剥いてみる楽しみがある。料理としてはザリガニ・パエリアがおすすめか。

2016年8月17日 (水)

白石城(益岡城)へ

Dsc_0367 お盆休みを使って仙台へ。仙台の史跡は以前回ったことがあり、今回は白石市・白石城を訪れた。今年の大河ドラマの主人公である真田信繁(幸村)にも縁がある城。そして、新潟(越後)とも縁があることを知った。

 歴史年表によれば、豊臣秀吉の時代、伊達氏支配下にあったこの地を没収し、会津若松城とともに蒲生氏郷に与え、家臣である蒲生源左衙門郷成が、白石城を築城し城主となった。

 新潟(越後)との縁とは、1598年に上杉領となった際、わずかな期間であるが「上杉氏家臣・甘糟備後守清長は白石城の改修を行い居城した」とある。甘糟備後守清長は直江兼続と同じ、越後上田庄(六日町)の出身。

 再び伊達領となった後は、代々伊達家の軍師を務めた片倉家が当地を治めた。「伊達政宗の右目潰し」などの逸話も多い。明治に至るまで11代続いたというから名君だったのだろう。

 現在の城は再建されたものであるが、白石市内を一望する天守からの景色は心洗われる。同じ公園内にある歴史探訪ミュージアム、中でもハイビジョンシアターの作品はとても楽しめるのでオススメだ。また、川のせせらぎとともに歩いて10分で着く武家屋敷や白石市の町並みも風情がある。

 白石城 http://www.shiro-f.jp/shiroishijo/index.html

2016年8月16日 (火)

ジャニーズ・システム 終わりの始まり

 権力闘争と一刀両断するのは行き過ぎだか、SMAP解散に至る経緯について、そういった派閥抗争的な側面があったことは事実だろう。芸能界に名を残す数々の男性アイドルたち。それらを50年近くに渡って、世に送り出し続けたのがジャニー喜多川氏とジャニーズ事務所。今回の騒動で「ジャニーズ・システム」とも呼ぶべきシステムの、唯一ともいえる弱点が露呈したように思う。

 発端となったマネージャーとSMAPのクーデターは、ジャニーズ・システムからの離脱を画策したもの。マネージャーにしてみれば、原石を見つけたのは喜多川氏だが、磨きに磨いたのは自分だという自負がある。また、喜多川氏も事務所最大のタレント、しかもグループ全員を長年に渡ってマネージャーに任せていたのだから、その敏腕度は推して知るべしだ。

 グループは「最後の過渡期」を迎えていたと思う。「アイドルの終わらせ方」、「アイドルの終活」を考える局面だったと思う。

 期待されたほどは売れなかったという低迷期、活躍の場を音楽、俳優、バラエティ、司会等々に広げていった変革期。メンバー1名の脱退を経て、本格的な成長期を迎えた。更に、メンバー1名の結婚の後は、いわば成熟期。来年、グループ最年少のメンバーが40歳を迎え、個人の人生設計も含め、どんな円熟期を迎えていくか?それはメンバーと苦楽を伴にし、固い信頼関係で結ばれていたマネージャーにとって、最大のテーマだったはず。男性に限らず、多くのアイドル達が「アイドルの終わらせ方」について苦しんできた。人気が落ちれば、おのずと解散の道筋が見えてくるが、過去に例のないほど、長期かつ高いレベルで人気を保っていた彼らには、その選択肢がなかった。「ジャニーズ・システム」唯一の弱点ではなかったかと思う。

Smap SMAPの5人(実はマネージャーを含めた6人がSMAPだった!)に目を向ければ、むしろこれまで解散しなかったことが奇跡だ。活躍期間が長かったことから、20代から40代の社会の中核世代にとって、解散という決定が受け入れがたいものであることは心情として理解できる。

 しかし、むしろ解散は絶好のタイミングではないだろうか。満ちた潮が引く前に。今ならば、引き潮の砂浜も、美しい夕陽が映えるだろう。

 一方、組織であるジャニーズ事務所は、男性アイドルの拡大再生産を続け、この世の春を謳歌してきた。しかし、今回の騒動で、世襲問題と経営者の高齢化(→老害?)の一面を露呈したのではないか。これは一般企業でも良くある話。「ジャニーズ・システム」の終わりの始まり。そんな気がする。

2016年8月15日 (月)

各国で異なる終戦の日/無力の罪

 今日、8月15日は終戦記念日。日本はポツダム宣言(※)を受諾し、降伏文書に署名した1945年8月15日が終戦の日。韓国では「光復節」、北朝鮮では「祖国解放記念日」と呼ぶ。アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、ロシアは、9月2日を終戦の日としている。ただし、「Victory over Japan Day」(対日戦勝記念日)。中国、台湾では9月3日を「軍人節」や「抗日戦争勝利の日」としている。戦勝国と敗戦国では日付も名称も異なる。

 ※ポツダム宣言  1945年7月26日にアメリカ合衆国・大統領、イギリス・首相、中華民国・国家主席の名で、当時の大日本帝国に発せられた「日本への降伏要求の最終宣言」。日本は他の枢軸国が降伏した後も交戦を続けていたが、この宣言を受諾し、第二次世界大戦、太平洋戦争、大東亜戦争が終結した。

 「戦時中の子どもたちは、スルメの足をもらえるというので、出征兵士を見送った」(女優:黒柳徹子)という。

 そんな無邪気さや無力さをも、罪だったと戒める言葉もある。

 「戦争に向かう国家の巨大な力の前で、私たちは無力だった。しかし、だからといってどうすることもできなかったではすまされない」(俳優:芦田伸介)

 現代に通じる戒めであることを肝に銘じたい。

2016年8月14日 (日)

丸亀製麺

Dsc_0363 全国展開する讃岐うどんの丸亀製麺。

 冷やしすだちおろしうどん(並)+野菜かき揚げ 450円

 自分の麺類番付の1位がうどん。蕎麦→ラーメン→パスタ→ひやむぎ・そうめん。

 長岡店 長岡市寺島町 コメリ敷地内

2016年8月13日 (土)

お盆の匂い

 お盆になると墓参りにはバスに乗って出掛けた。警察署前から乗り、見附駅を経由して今町1丁目のバス停で降りる。刈谷田川を越える今町大橋を渡り、橋のたもとにある妙栄寺まで歩く。帰りは星野医院の玄関に座って、アイスクリームをなめる。父が自動車の免許を取得するまで、それが毎年続いた。

 建て直す前の実家は築100年を超えていた。今年81歳の父が「自分が幼い頃、すでに古い家だった」というくらいだから、築130年くらいだったのかもしれない。

 仏壇の前には1年に1度、この時だけ使われる仏具が並んだ。うるし塗りのお膳や白い小皿。ナスやキュウリでつくった馬。それが精霊馬(しょうりょううま)であると、だいぶ後に知ったが、「ご先祖様がこれに乗って来るんだよ」と聞かされれば、すべて納得したものだった。

 遠くでセミの声。ロウソクと線香の匂い。供えられた桃やブドウの甘い香り。床の間にはのし紙に包まれたお中元。すだれを通して入る生暖かい風。窓をつたう朝顔。実をつけ始めたイチジク。小さな庭の古井戸にはスイカが吊されていた。

 お盆独特の雰囲気の中で、「お盆の匂い」がした。

2016年8月12日 (金)

流星群

Ryuuseigunn_2 今夜がペルセウス座流星群の出現ピーク。

 「ペルセウス座流星群は、お盆の時期に出現する流星群で、1月の「しぶんぎ座流星群」、12月の「ふたご座流星群」とともに三大流星群とされている。今年は8月14日が新月のために月明かりの影響がなく、12日夜~14日未明は、最も多い時で1時間あたり30個以上の流星が見える可能性もあるという。(Internet watch から引用)

 星に興味を持ったのは、ほんのわずかな期間。学生時代の一時期、「天文ガイド」という天体観測の雑誌を読んでいたことがある(今も発刊されている)。アルバイトをしていくつか必要なものが揃ったら、次は天体望遠鏡が欲しいなどと呑気に考えているうちに、次第に興味は薄れ、現在に至ってしまった。

 Amazonで天体望遠鏡を検索すると、屈折式・反射式、経緯台・赤道儀、そしてレンズの有効径。あの頃と使われている用語は変わっていない。性能の進化はあっても、基本的な構造の変化はないようだ。星にまつわる思い出など、いくつも持たないので、3つすべてを記す。 

  1.ジャコビニ彗星の日  ユーミンの歌。ユーミンの歌はブルジョア的な世界が合わず、そう聴き込んでいるわけではない。15歳頃に聴いたこの歌は、彼女の中で最も好きな歌。

  2.ハレー彗星  1986年に地球に接近した周期彗星(公転周期75.3年)。多くの彗星の中で最初に知られた存在であり、古来から多くの文献に記録されている。次回は2061年の夏。周期が75年というのは、人の寿命に近い。人生で1度だけ遭遇する彗星。

  3.ペルセウス流星群  初めてペルセウス流星群を見たのは1993年の8月。前記のとおり「お盆頃に出現する」と言われているが、毎年8月上旬(5日~8日頃)という認識だった。少しズレてくるものなんだろうか?その日までの人生で1度たりとも流れ星に遭遇したことはなかったが、その日は違った。降るような流星をいくつも見ることができた。そして、「流れ星を見たらお願い事をする」という話が嘘だとわかった。流れ星は「流れる」のではなく、「落ちる」のだ。時間にして1秒。

 流れ星は星が地球の引力に引き込まれ、燃え尽きる姿。数万年、数百万年を生きた最後の瞬間。

2016年8月11日 (木)

ガンバレ!ウオロク!

 長岡市のスーパーマーケットは寡占状態、というのが自分の認識。しかも、居住地周辺はスーパーマーケットの真空地帯。柏町とその周辺の南町、旭町、千手にスーパーはなく、千歳の原信か要町のウオロク、駅前(城内町)のヨーカドーまで行かなければならない。ドラッグストアも同様。更にエリアは離れるが、日赤町のウオロク長岡店を利用することが多い。

Dsc_0364 今日のウオロク長岡店。あと10日ほどで一時閉店し、店舗改装に着手するとのこと(噂ではテナントにスポーツジムが入るとか)。お盆準備の客を前にして、酒類コーナーの商品棚はガラガラ、中央の催事コーナーや日用品、ドラッグコーナーの商品は閑散。

 長岡市のスーパーマーケット事情は1社独占のような寡占状態にある。ウオロクの存在は大切な選択肢。

ガンバレ!ウオロク!

2016年8月10日 (水)

待機老人

 窓から入る風が、いくぶん涼しく感じた。東北・日本海側は30度前後、西日本と太平洋側は35度前後と色分けされた1日。

 掛かりつけの医者に寄った母親が立ち寄った。「今日は(診察までの時間が)いつもの倍はかかった。買い物の予定が狂った。(長い待ち時間に耐えきれず)怒鳴っている患者もいたよ」とこぼしていた。

 怒鳴る元気がある患者さん、買い物予定が狂ったと言う患者さん。明日は休日で、その後にはお盆休みが控えている。病院は主要顧客である老人のニーズに応えるのもたいへんだ。

 老人医療のリストラ策や合理化策などと言ったら、議員は選挙に通らなくなり、役人は苦情を受けるかもしれないが、「色分け」するのも一案だろう。今日だけで数十万、数百万の緊急でない患者が病院の待合室で待機した。

 待機児童問題も大切だが、待機老人問題は、先が見えない。

2016年8月 9日 (火)

8月の祝日

 明後日は「山の日」。今年から新たに施行された祝日。日本の祝日数が他国に比べて多いことは知られている(16日/年)。欧米諸国はバカンス休暇があり、決められた有給休暇の取得率も高いという。一方、日本は相変わらず、有給休暇を取得しずらい環境。祝日を設けることで「強制的に休む・休ませる」という側面を有している。

 8月11日を祝日とすることにはメリットとデメリットがある。子供や学生は夏休み中だから、影響はないが、勤労者にとってはかなりの意味を持つ。夏季休暇が増えることは願ってもない。休日増、連休長期化による経済効果(旅行等による消費増)も大きなメリットだろう。しかし、一方で中小零細企業の勤労者やサービス業従事者に及ぶデメリット(しわ寄せ)が心配だ。

 中小零細企業の社長たちは、13日から16日までの夏季休暇を11日から16日まで拡大させるだろうか。公務員や大企業社員のように「カレンダーどおり」という訳にはいかない。話が飛躍するが、いつの時代も国の偉い方々が決めたことに庶民は振り回される。監督官庁は祝日増加の効果や実態(労働者の休日は増加したかどうか)を検証して欲しい。

 8月に新たな祝日を創り、お盆休みと結びつけるという休暇長期化の目論見もわかるが、8月前半とお盆休みという、夏季休暇分割案はどうだろう。前半休みは、それこそ海や山に出掛け、お盆休みはお墓参りで先祖を想い、帰省したり、帰省されたり。

 何も祝い事だけを休日とする必要もない。 

 8月6日は「広島の日」 人類に対し、初めて原爆が使用された日

 8月9日は「長崎の日」 人類に対し、最後に原爆が使用された日

 国民の祝日=記念日としてではなく、国民の休日=祈念日として。

2016年8月 8日 (月)

「お気持ち」表明

Tennou_2 生前退位、つまり「退くこと」が、国と社会(国民生活・経済活動)そして家族(皇族)にとってベターであり、自らがこれを望むことであると表明された。

 日本国民統合の象徴としての務めを果たすことへの、固く貫かれた信念と強い責任感。天皇であることの矜持。

2016年8月 7日 (日)

夏競馬を満喫

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 今夏初の競馬観戦。春開催は行けなかったから、今年初でもある。今日の新潟地方は猛暑。新潟競馬場から20㌔離れた胎内市・中条では全国2位の気温38度を記録したというから、競馬場も35度はあったと思う。

 夏競馬の観戦パターンは、まず「早起きして指定席整理券の列に並ぶ」こと。指定席はインターネット予約もあるが、抽選なので確実ではない。夏休み期間でもあり、当選確率はかなり低く、夏競馬は競争率10倍も珍しくない。新潟競馬場では、7時30分までに並べば、希望の席がほぼ確保できる。そして「A席(1000円)を確保する」。指定席はS席(1500円)→A席(1000円)→B席(500円)と、高い席から順に埋まっていく。さらにS・A・B席は上段・中段・下段を選ぶことができる。

 S席は小さなモニターが備わっており(2人に1台)、パドックやオッズなどの情報がわかる。A席はモニターなしだが、椅子が快適だ。B席は椅子が固く、1日過ごすには少々辛い。もっとも、指定席は屋内席なのでクーラーが効き、2階・3階を使っているから眺めも良い。

 開門は通常9時。席に着いたら、早速、生ビール。冷やした缶ビールを持参することもある。つまみは競馬場売店のものも良いが、選択肢が限られるのでコンビニで調達していく。ここで2時間ほど、まったりと過ごす(車なので、帰路につく時間から逆算して6時間は空ける)。したがって、午前のレースは小さく買う。

 午後は基本的に大好きな新馬戦から始まるので力が入る。最近は指定席に座っていても、馬券を買いに席を立たない人も多い。手元のパソコンやタブレット、スマホ等で購入しているようだ。馬券を握り締め、レース観戦に熱くなる光景も少なくなった。夏の競馬場は様々なイベントをやっている。家族連れも十分に楽しめる。

 5R新馬戦はランガディア(父:キングカメハメハ)、11Rレパードステークス(GⅢ・3歳ダート)はグレンツェント(父:ネオユニヴァース)が、いずれも現在のリーディングジョッキーである戸崎騎手の騎乗で勝利した。どちらのレースもジョッキーの好騎乗が光ったが、2頭とも、今後が楽しみな馬だ。

 久しぶりに武豊が新潟で騎乗し、写真は撮り損ねたが、M.デムーロ、JRAとしては16年ぶりの女性ジョッキーの藤田菜七子騎手と役者が揃っていた。馬券の収支は適度なマイナス。1日遊んでストレス発散。元は取っている。この夏、もう1日、行けるかな。

【写真】 パドックの武豊とゲストで来場していた元・中日の“レジェンド”山本昌さん。 

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2016年8月 6日 (土)

第31回 夏季オリンピック開会

Rio ブラジルはポルトガルの植民地時代が長く、公用語はポルトガル語。独立~帝政~共和制~ヴァルガス時代~ポプリズモ時代~軍政~民政実現は1985年。つい最近だ。

 リオ・デ・ジャネイロは、人口630万人を超え、サンパウロの1,100万人に次ぐブラジル第2の都市。サトウキビ栽培や製糖産業から、金やダイヤモンドの積出港として発展。ナポレオンによって本国領土を奪われたポルトガル王室が遷都し「ポルトガルの首都」でもあった歴史を持つ。リオのカーニバル、サンバ、コパカバーナ海岸、イパネマ海岸、コルコバードの丘とキリスト像。

 数千万人、数億人が「リオデジャネイロ」と検索しただろう。開催地の地理・歴史・民族・文化は、全世界に宣伝される。

2016年8月 5日 (金)

夏休み

 近所の空き地が舗装され、立派な駐車場になった。まだ白線は引かれてなく、アスファルトのまま。ローラースケートを履いた男の子が一人遊んでいた。空き地の時は、誰も見向きもされなかったが、舗装すれば、駐車場になり、束の間のローラースケート場にもなる。

 いつも老夫婦しか見かけたことのない家の前で、ジャージ姿の中学生がたむろしている。財布だけを持って買い物に出掛ける老婆が、後ろを振り返っている。キックボードに乗った女の子が地面を蹴って老婆を追っていく。

 日常風景のあちこちに子供達の姿が。夏休みだ。

2016年8月 4日 (木)

長岡花火/長生橋の色

Dsc_0342 長岡花火の打ち上げは長生橋と大手大橋の間がメインになる。名物花火のひとつ、ナイアガラ花火は、この2つの橋が舞台になる。

 その橋のうち、長生橋の色について少し。長生橋は何色か?問われたら、即答できないのではないか。原色ではないし、微妙な中間色だから。表現しにくい色だが淡い黄色「ライトイエロー」でどうだろう(多少、違和感があるかもしれない)。

 このライトイエロー、春は雪どけ水をたたえる川面に、夏は青空と白雲、そして花火に、秋は河川敷のすすきに、冬は降り積もる雪に「映える」。

 映えるというのは輝くという意味よりも、調和するという意味に近い。色の感じ方は、人それぞれ違うが、花火に浮かび上がる橋形や橋影に「なるほど」と感じた。すべての季節で、風景にとけ込み、調和する色なのだ。花火が終わると、長岡の街は落ち着きを取り戻す。

2016年8月 3日 (水)

長岡花火/三尺玉 孤高の花火

Dsc_0353_2 数十万人の見物客。信濃川右岸の客は左手方向を、左岸のそれは右手方向を向き、ところどころで立ち上がる人もいる。「おい、立ち上がるなよ」なんてヤボな声は聞こえない。

 三尺玉打ち上げの警報サイレンが鳴り響く。しばらく静寂。乾いた打ち上げ音は残響を伴う。昇り曲導は、かすかに左右に揺れるように見せながら、しかし、一直線に夜空を駆け上がっていく。わずかに沈黙。

 やがて自身を解放するかのように、一瞬にして大輪の花を咲かせる。花は自らの重さゆえ、ゆがんでいる。これは彼の宿命だ。そして、爆音をとどろかせ、空気を揺らす。

 三尺玉には所作がある。世界観がある。孤高の花火。

 今年は三尺玉3連発(他に1発。2日間で計8発)。フェニックスやワイドスクリーン型スターマインに押され、三尺玉の存在感低下を象徴するような演出。三尺玉は1発でいい。

 三尺玉を立ち上がって見るのは、花火を眺めたいからではない。拝みたいからだ。神社であぐらをかいて参拝しないのと同じように。三尺玉には信仰心すら感じる。だから、1発でいいのだ。

2016年8月 2日 (火)

千代の富士の時代

Chiyonfuji 一昨日の7月31日、千代の富士(九重親方)が亡くなった。61歳という若さだった。昨年末の北の湖に続いて、相撲界は偉人を失った。

 昭和と平成を比べた時、大きく相違する点に「スポーツの変化」がある。もちろん競技するスポーツの種類もそうだが、スポーツを視聴・観戦できる環境に隔世の感がある。今はインターネットで、遠い外国の試合経過・結果を知ることが出来る時代。だが、あの時代は違った。極論すれば「野球と相撲」しかなかった。だから、それぞれの世界に自分のアイドルがいた。小学校から帰ってくると、テレビは相撲中継だった。相撲のアイドルは輪島と貴ノ花。そして、ヒール役が北の湖。「貴乃花が北の湖に勝つことはなく、輪島と北の湖の対戦は、いつも水入りで、たいていは北の湖が勝つ」そんな記憶だ。当時、最強だった北の湖ではなく、輪島や貴ノ乃花を応援したのはなぜか。それは、一緒にテレビ観戦していた祖母が、輪島や貴ノ花を応援していたからだ。その影響を受けたんだと思う。貴乃花が引退した時、引退特集の写真集が発売されることを知り、親父から金をもらって買いに走った記憶がある。彼らと千代の富士の活躍期(大関昇進-引退)と自分の年齢を並べてみる。

  輪島 1972-1981 4歳-13歳  貴ノ花 1972-1981 4歳-13歳

  北の湖 1974-1985 6歳-17歳  千代の富士 1981-1991 13歳-23歳

 祖母がいなくなり、柔道を習い始めた。10歳の時、体が大きい方だったので、市の相撲大会で優勝した。中学校に進み、相撲の興味も無くなっていたが、千代の富士はそんな幼少期のアイドル達と入れ替わるように登場した。精悍な顔と体、圧倒的な強さからウルフと呼ばれた。大相撲の興行的な絶頂期は次の世代である若貴時代に譲るが、日本の経済的ピーク「バブル時代」の相撲界を牽引した。生真面目でストイック、そんな大横綱だった。

2016年8月 1日 (月)

サラリーマンの死/喪明け

Image_2_3 生命ある者は、いつかは死ぬ。だけど人は、生きながらにして、死を経験することがある。体は死んでいないが、心が死を認識する時。だから、人は何度でも死ぬ。

 サラリーマンにとって、生きながらにしての死とは、職を辞することだろう。そして、その死に方には2種類あり、自然死と自死がある。

 尊敬する人は教えてくれた。「負け犬になるな」、「犬死にはするな」と。

 世の中には下駄を履かせてくれる人がいる。厳密には、履かせようとしてくれる人がいる。たいていの場合、それは親だろう。俺は親ではないが、親の気持ちを想像することはできる。すべての人は「誰かの子供」であり、裏返せば、「すべての人には親がいる」のだ。

 親は子に「この子がこれから、長い道を歩いていくのに、石もある、水たまりもあるだろう。裸足では痛むだろうから、下駄を履いていれば少しは楽だろう」と考えるのではないか。自分も親に下駄を履かせてもらった。

 いくつの頃からか、俺は父親を「おとう」、母親を「おかあ」と呼ぶようになった。それは48歳になった今も変わらない。お父はいくつもの零細企業に勤めながら、50歳を過ぎても、新しい仕事に携わりながら、学費を捻出してくれた。お母はパートで稼いだ金のすべてを、生活費として送ってくれた。

 大学では 外交史・国際関係史のゼミに入った。「統治システムとしての人種差別~アパルトヘイトの成立」が自分のテーマだった。

  ・為政者の統治システムとして人種差別が使われたこと(権力の欲求に際限がないこと)。

  ・力と力の衝突を回避する知恵を持つこと(武力衝突は互いが敗者であること)

  ・真実と事実を区別すること(ひとり一人の真実は異なるが、事実はひとつであること)。

 すべての人は誰かの子であり、すべての人に親がいる。すべての人は、親がくれた下駄を履いている。

 自分にとって8月1日は、夜明けであり、喪明けでもある。

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