休日の本屋には想像以上に客がいた。暑さの中、涼んでいる立ち読み客もいるだろうし、夏休み中ということもあるだろう。本や雑誌を10冊買うとしたら、インターネット経由で購入する割合が9冊か9.5冊。9割以上はネット経由だ。本屋で立ち読みして買うのが王道というか、本来の姿なのかもしれないが、最近のネットでは立ち読みに似た機能もついている。
10代、20代の頃、頻繁に本屋に出入りしていた。電車通学していたことも、頻繁に本屋に出入りした理由だった。1時間に1本しかない電車の待ち時間は駅や周辺の本屋で立ち読みするくらいしか時間潰しの方法がなかった。特に夏の本屋は、涼しくて快適な場所だった。
夏休みの宿題に読書感想文があった。課題の本は指定されていたのか各自の任意だったのか忘れてしまったが、自分が読んだものは覚えている。中学1年は太宰治の「人間失格」(新潮文庫)。中学2年は夏目漱石の「こころ」(新潮文庫)。中学3年は植村直己の「青春を山に賭けて」(文春文庫)。
13歳で太宰治はどうなんだろう。少なくとも「人間失格」ではないと思う。14歳で「こころ」もどうか。15歳の植村直己は正解だと思う。これは父の本棚から拝借して読んだ。続けて、「北極圏1万2000キロ」や「極北に駆ける」も読んだ。太宰治や夏目漱石を感想文用の義務としては読んだ(読まされた)が、本を読む権利を行使したのは植村直己だった。植村直己は国民栄誉賞も受賞した登山家・冒険家。その後、自分はドキュメンタリーやルポを好んで読むようになった。その芽生えとなった最初の本になった。
中1の文化祭で書道で書く文字は自分が決めて良いことになっていた。自分は「桜桃忌」と書いた。太宰治が入水自殺し、遺体が発見された忌日で、奇しくも彼の誕生日でもある6月19日のこと。「走れメロス」は教科書で習った。後年、「斜陽」にも挑んだが、しっくりこなかった。出版社や学校の推薦で提示される選択肢。そのお薦めカードを引いて、終いには桜桃忌などと書いてしまう少年だった。本屋の罪、出版社の罪があるように思う。
店頭で「新潮文庫の100冊」というボードディスプレイを見かけ、写真に撮った。「新潮社が1976年から毎年夏に行っている文庫本のキャンペーン」ということも調べた。「100冊」に含まれるラインナップは毎年、見直されているという。今年のそれには「人間失格」と「こころ」が入っていた。それどころか、この2冊は日本の文庫本発行冊数の1位と2位を争っているという。それだけ日本人の多くがある程度の年齢で通り過ぎる本ということだろう。
2017年の100冊を眺めていると、古典的名作は4分の1程度にとどまっている。読んでおくべき本から、読ませたい本(売りたい本・作家)が多数を占めているように感じる。
人と本には偶然の出会いがあるものだ。最近の本屋は立ち読みもしやすくなった。本屋に出掛けよう。“偶然の出会い”と“涼”を求めて。