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2022年11月18日 (金)

雪の重さを知る者は

 新潟県北部の都市で起きた性犯罪を含む凶悪事件に無期懲役の判決が下った。

 被告は既に別の事件で無期懲役の判決を受け服役中。本件は収監されていた刑務所で逮捕された。今回の裁判が注目されたのは憲法が定める「一事不再理の原則」が“壁”になったこと。憲法39条では「何人も、実行の時に適法であった行為またはすでに無罪とされた行為については刑事上の責任を問はれない。また、同一の犯罪について重ねて刑事上の責任を問はれない」と規定されている。刑事訴訟法においても刑事裁判が確定した場合、当該事件について再び起訴することは許されていない。一方で「推定無罪」の大原則もある。本件では状況証拠の積み重ねでのみ犯罪を立証した。

 裁判は6名の一般市民が裁判員として関わる裁判員裁判として判決が下された。報道によれば「最後まで1名もかけることがなく」結審したと聞く。日常に重大凶悪事件を審議するという役割が加わり、裁判員諸氏の生活は一変したことだろう。

 今回の判決が極刑でなかったことには不満の声も多い。しかし、もし仮に自分が裁判員だったとしても、同じ判断を下したと思う。犯罪は感情ではなく法律でのみ裁かれる。

 犯罪の中には「已(や)むに已(や)まれぬ事情」を抱えるものがある。それだから、情状酌量や減刑といったものがある。しかし、本件には全く考慮されるべき事情がない。

 この凶悪事件は新潟県の北部で発生したが、被告は新潟出身者ではない。雪の重さを知っている者は、命の重さを知っている。

(裁判は検察側、被告側ともに控訴の方針との報道)

2022年8月14日 (日)

三宅一生氏と父の縁

 2022年8月5日 ファッションブランド「Issey Miyake」を世界的なブランドに成長させた服飾デザイナーの三宅一生氏が亡くなった。84歳。

 三宅氏の生涯、輝かしい功績についてはここに記す必要もない。ただ、三宅氏とわずかな縁を持っていた父とのエピソードを記して追悼したい。

 父は職業人としてのほとんどを繊維産業に携わった。1970年代。まだ繊維産業が隆盛だった頃。父は会社から命令を受ける。「(取引先の)住友商事の営業と一緒に三宅というデザイナーを案内してやってくれ」と。夏の暑い日だったと聞いた。

 父は三宅という人がデザイナーとしてどんな人物なのか、全く知らなかった。父は当時のマイカー「日産サニー・バン」に二人を乗せて、市内・県内の繊維会社と産地を案内した。この1泊2日の視察旅行の顛末を聞き、デザインの本質に関するエピソードではないが、デザイナーの本質を示すエピソードとしては十分だと思った。

1.当時の車にはクーラーがなかった(だから自分は夏に車に乗るのが嫌だった)が、新進気鋭のデザイナーである彼、三宅氏は文句ひとつ言わず、その車で父の案内を受けた。

2.宿泊先はイタリア軒(今も新潟市で営業する老舗ホテル)。古町で食事をとっていた際、ファッションに詳しい女性2人から声をかけられた。「すみません。三宅一生さんですか?」と。父は彼女たちが三宅氏を知っていた(新進気鋭のデザイナーと認識されていた)ことに驚いたという。

3.父は二次会の場所として、横に女性が付くような店を打診したところ、彼は「いえ。私はそういう店は結構です」とし、落ち着いたバーやラウンジのような店を希望した。

4.三宅氏は父に「次は新潟県の北部・村上市の山辺里織(さべりおり)を見学したい」と告げて、視察は終了した。

【山辺里織は新潟県村上市山辺里で織られる絹織物で、寛政(1789~1800)の末、越後藩主内藤候は、家臣の婦女子の内職として、手織機を貸し与え、機織りに詳しい小田伝右衛門光貞に織り方伝授係を命じた。これにより、紬(つむぎ)織り、竜紋、斜子(ななこ)白生地を織ったのが始まり。1816年(文化13年)には、京都から織り師を招いて袴(はかま)地を織り出したのが「山辺里平(さべりひら)」。明治時代末から方向転換し、紳士服の袖裏地も織り出して人気となった。この地を流れる門前川の水質が、精練、染色に適していた。現在も裏地、袴地と織られている】

 これは蛇足だが、父の立場からすれば、父の顧客は住友商事であり、三宅氏ではない。三宅氏は商社と取引関係にあるが、商社の担当者はこの視察に関する費用のほとんどを父の会社負担としたことが強く印象に残っていると言っていた。

 三宅氏を追悼する記事で「和紙や籐など、さまざまな種類の生地や素材を服に使うことにこだわっていた。三宅氏は母国(日本)からインスピレーションを得て、伝統的な日本の生地とデザインを多用し、折り紙など、日本の工芸品や図案にオマージュを捧げたデザインも多い 」とある。これらの評価は父が語ったエピソードから偽りない事実だろう。

 父と三宅氏が並んで撮った記念写真がある。三宅氏よりも1つ年上の父は、まだまだ存命だ。

2022年8月13日 (土)

彼は「戦後レジーム」を抜け出せなかった

 7月8日。安倍元首相がテロリストの銃弾によって命を奪われた。犯人の犯行動機の聴取が進み、事件の背景が明らかになるにつれ、当初、想像されたこととは別の方向へと世論の関心が移っている。つまり、追悼一色ではなくなった。

 自民党と“疑似的”な宗教団体(実態は集金団体)との長く強固な互恵関係の歴史。それが徐々にあぶりだされてきた。しかし、そのことが何かを変えるということには期待していない。多少の浄化にはつながるだろうが、それはあくまでも浄化であって、池の中の濁った水が多少キレイになる程度だろう。水は入れ替わらない。

 安倍氏はよく言っていた。「戦後レジームからの脱却」と。彼はその言葉を錦の御旗として特定秘密保護法、国家安全保障会議設置、平和安全法制、その他、多くの改革=改悪に取り組んだ。

 しかし、自身の戦後レジームからは抜け出せなかった。

 それはなぜか。

 1960年代、彼の祖父に端を発し、父から自身へ脈々と継承されてきた「岸家=安倍家」の闇。だが、安倍氏にとってのそれは裏でも闇でもなく、表であり、最大の既得権であり、安倍氏の権力を支えた本質だったからだろう。

 翻って、この国の政治の中枢はもう何年も「連立」政権だ。政権の「与党」は自由民主党と公明党によって構成される。公明党の支持母体は仏教系宗教団体。同党と同団体は表裏一体。

 マスコミやジャーナリストにジャーナリズムの魂が残っているのなら、政教分離の闘いを挑んで欲しい。

 「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」(日本国憲法第20条)

 これが我々のルールだ。

2022年4月25日 (月)

「トト=サルヴァトーレ」の死

 【AFP=時事】から抜粋

 1988年の映画「ニュー・シネマ・パラダイス Cinema Paradiso」で映画監督トト=サルヴァトーレを演じたフランスの俳優ジャック・ペラン氏が4月21日に死去した。80歳。

 有名なテーマ曲を作曲したエンニオ・モリコーニ氏が亡くなったことを記したのが2020年7月だった。アルフレードのフィリップ・ノアレ氏は2006年に。“トト”を演じたカシオ氏は俳優業から離れている。

 「ニュー・シネマ・パラダイス」に関わった人たちは人生のエンディングを迎えても、彼らは映画の中では生き続ける。

 「ニュー・シネマ・パラダイス」は自分にとって「オールド・シネマ・パラダイス」。

 この映画を観れば、いつでもあの頃に帰ることができる。

2022年3月30日 (水)

「ドライブ・マイ・カー」

 最優秀主演男優賞を受賞した俳優が、プレゼンター役のコメディアンを平手打ちするという、歴史に残る出来事があった第94回アカデミー賞で、日本映画「ドライブ・マイ・カー」(濱口竜介監督)が国際長編映画賞を受賞した。

 いつもなら(「いつも」とは、過去に同じ賞を受賞した「おくりびと」や、カンヌ映画祭で最高賞を受賞した「万引き家族」など)映画館に足を運ぶことはなかったが、この映画のいくつかのプロフィールを知って、足が動いた。つまり、心が惹(ひ)かれた。

 「ドライブ・マイ・カー」とは、「ドライブ・マイ・ハート」であり、「ドライブ・マイ・ライフ」ということなのだろう。そのこと自体は、それほど珍しいものではなく、むしろ、ありきたりなテーマ。これは決して批判的な感想ではなく、それはそれでよい。充分だ。

 この映画を観て、多少の重さと多少の嫌悪を覚える人はいるだろう(PG-12指定:Parental Guidance)が、鑑賞後には清涼感さえ漂う。

 言葉の言い回しが文学的なのは原作者の世界観であるし、そのことも含めて、綿密な設計が施された映画だった。

 原作【HARUKI MURAKAMI】 は、おそらく世界中で翻訳本が出版されている数少ない日本人作家。

 主要な舞台【HIROSHIMA】 は、おそらく世界中で知られている日本の都市。

 ある意味“主役”である「マイ・カー」【SAAB】は、車を製造するどの国の観客にも公平だ(SAABは、かつてスウェーデンに存在した自動車メーカー。自動車製造部門は2011年に破産)。

 そして、最も綿密で、挑戦的、核心的、かつ、確信的な設計は「アジアの宥和」だった。

 「ヘイト・スピーチ」に代表される、アジアに漂う不穏な空気感。この国に蔓延し、定着した感もある嫌韓。そうなってから、10年、15年以上になるだろうか。この映画の中では、異なる国の人たちが協力・協業したことで、見事な作品が制作されている。映画のエンドロールではまるで日韓、あるいは日本・アジアの合作映画のように、アジア人俳優・スタッフのクレジットが流れる。

 「ドライブ・マイ・カー」とは、「ドライブ・マイ・ハート」であり、「ドライブ・マイ・ライフ」であり、「ドライブ・マイ・カントリー」という意味だろう。

 「この国、日本は、極東の、この場所で生きていくしかない」というメッセージを受け取った。

 過大な解釈だろうか。

2022年2月 8日 (火)

アクムノマスク

 2020年に新型コロナウイルス対策として配布された、いわゆる「アベノマスク」。この布製マスク(不織布製よりも感染防止効果が薄いとされる)の在庫が約8300万枚ある。この大量在庫を無償配布する計画が持ち上がり、その費用が10億円と試算された。

 これを受けて担当大臣は「配布コストをある程度かけても、国としては廃棄コスト以上のコストをかけてならないという理屈ではない」と「配送費の国費負担」を容認する姿勢を示した。

 無恥な安倍氏を許容しない学者や評論家は彼の経済政策「アベノミクス」を「アホノミクス」と揶揄・批評した。自分は以前、このブログで「アベノミクス」とは「アクムノミクス」だと記した。それらをなぞって「アベノマスク」は「アホノマスク」であり、「アクムノマスク」だと言える。この布製マスクの調達には国費400億円以上が投入され、在庫処分(配布費用)に約10億円を要し、廃棄処分した場合の費用は約6000万円と試算されているからだ。

 1976年に田中角栄元首相が収賄等の疑いで逮捕された「ロッキード事件」で、田中が収受した“賄賂(わいろ)”は5億円だった(1995年に最高裁で5億円収受を認定した有罪判決が確定)。もちろん、この比較には何の意味もない。しかし、田中は自身の私腹を肥やすことだけに囚われていた訳ではない(ロッキード事件は田中角栄の石油政策が原点とする中曽根康弘元首相の著書を信用)。

 「アクムノマスク」の教訓は「ロッキード事件」のそれよりも重いと、個人的には考えている。

2022年1月17日 (月)

パ・リーグと裏日本 ~水島新司氏の訃報に~

 今月10日に漫画家の水島新司氏が亡くなっていたことが公表された。

 少年時代に読んだ漫画は、ほぼ水島氏のものだった。漫画雑誌を買う余裕はなかったから、何か月かに1度、新刊が出ると自転車で買いに行っていた。あの頃が懐かしい。「ドカベン」、「あぶさん」、そして「野球狂の詩」。

 代表作「ドカベン」は野球漫画の金字塔と称される。そのことに何の異論もないが、「ドカベン」の1巻で主人公の山田太郎は柔道着を着ている。山田太郎は両親を失くし、畳職人の祖父とサチ子という名の妹と長屋で暮らす、ずんぐりむっくりの少年だ。

 「あぶさん」の主人公は酒好きな代打屋・景浦安武。所属は南海ホークス。エースでも4番バッターでもない、代打屋が主人公だった。

 「野球狂の詩」は女性プロ野球選手の物語が有名だが、10巻までの読み切りストーリーに味わいがある。架空の弱小球団・東京メッツを舞台として、野球選手だけでなく、野球を取り巻く、どちらかといえば不器用な人々の人間ドラマを見事に創作し、描写してみせた。

 水島氏はプロ野球では一貫してパ・リーグにスポットライトを当てた。個々の選手や球団の実力がありながら、人気・集客ではセ・リーグに劣ったパ・リーグの応援団だった。

 昭和の時代、日本海側は“裏日本”と呼ばれていた。高度成長で目覚ましい発展を遂げ、冬は降雪が少ない太平洋側が“表日本”で、経済成長や国土の近代化に劣後し、寒冷地でもある日本海側を“裏日本”とする区分があった。水島氏は裏日本・新潟の魚屋に生まれ、憧れの新潟明訓高校の校名を作品中の学校名として引用した。自身が卒業した白新中学の名をドカベンのライバル校・白新高校として登場させた。

 これらの事柄に共通するのは「日陰に咲く花を照射する姿勢」だろう。

 水島氏から習ったことは数え切れない。

2021年12月 5日 (日)

斜めの心

 いわゆる「あおり運転」の映像がワイドショー番組で流されていた。他者の運転に腹が立ったためにクラクションを鳴らしたり、幅寄せをしたり、車間を詰めて走行する等の行為は「妨害運転罪」として処罰されることもある犯罪行為。近年はドライブレコーダーの普及によって、その犯罪行為が記録されることが珍しくない。

 その映像は犯罪行為の記録映像であるから、悪質で嫌悪感を覚えると同時に、「自分ならどうやって対応できたか」と考え、また、どこかでは「自分でなくてよかった」と思うことが多い。そしてもうひとつ、必ず思い浮かぶ感情がある。それは「本当にあおった側だけに責任があるのかな」という感情だ。

 今回の映像では映像の提供者である被害者がインタビューにも答えていた。要約すれば、「(この映像を広く認知することで)加害者には反省と再犯防止を誓って欲しい」との内容だった。極めて模範的な被害者だ。

 被害者に落ち度はないが、映像を番組で取り上げ、放送する側(製作者、取材者)には大きな過失があるように思う。

 公共の電波を使って番組のコンテンツとして使用するのであれば、その目的は、被害者の言う「加害者の更生と再発防止」にとどまらず、「犯罪=妨害運転の抑制」につなげたいという目的が加わるはずだ。そうなった時、取材者は被害者に質問しなければなないことがある。

 それは「なぜ加害者はあおり運転を始めたと思いますか?あおり運転のきっかけとなった出来事はありましたか?」と。

 もちろん、その類の加害者は理由もなく「あおる輩(やから)」もいるだろう。しかし、そのきっかけが何だったのかを突きとめなければ、あおり運転の全容は明らかにならない。火薬は自分からは発火しないはずだ。

 あおり運転の加害者は映像に残る音声でこう言っていた。「1番に頼ってんじゃねーよ」。被害者の好青年(のように見えた)は、車のナンバーに「1」を使用しているようだった。つまり加害者は、被害者の車両ナンバーが「1」であることにも(他の理由と併せて)腹を立てたのだ。

 この加害者の音声を聴いた時、この妨害運転罪のジャッジが自分の中で少し変化した。「被害者ゼロ、加害者100」から、「被害者0.1、加害者99.9」くらいだろうか。

 自分には「1番に頼ってんじゃねーよ」の心が、かすかにわかる気がしたからだ。犯罪者を擁護するつもりはこれっぽっちもない。この感覚がわかるのは、「斜めの心」を持った人たちだけだろう。

2021年9月 3日 (金)

駕籠に乗る人 担ぐ人

 9月3日 菅義偉総理大臣は今月実施される自民党総裁選に立候補しないことを表明した。真っ先に反応したのが株式市場。3日の日経平均株価は584円急騰し、その後も株価は上昇基調に転じている。マーケットの参加者は、次の首相とその政策に期待という先取りに動いているのだが、一国の首相が経済の重しになっていたという受け止め方もできる。

 菅首相の選択については驚きもあったが、最近の表情や言動から、意外性や衝撃性はなかったように思う。田中角栄元首相(1918-1993)の秘書を長く務めた早坂茂三氏(1930-2004)に「駕籠(かご)に乗る人 担(かつ)ぐ人」という著書がある。菅氏は安倍前首相の駕籠をうまく担いだ人。駕籠に乗る人ではなかった。伊藤正義氏(1913-1994)のように、首相の椅子を固辞(1980年、1989年)した人もいる。

 菅首相は長くはない在任期間の全てを新型コロナウイルス対策に追われた。その対応に批判の声もあったが、他の誰がやっても大差なかっただろう。そして、2020東京オリンピック・パラリンピック開催時の首相として長く映像記録に残されるだろう。

 次期総裁選には7人前後の名前が取り沙汰されている。どの人物も「小粒」に感じるのは、自分が年をとったからなのか。

2021年9月 1日 (水)

内橋克人氏の訃報

 経済評論家の内橋克人氏が亡くなった。数冊の本しか読んでいなかったが、喪失感に襲われた。

 内橋氏の訃報には代表作として「匠の時代」が報じられる。残念ながら、その代表作は自分の本棚にない。あるのは「誰のための改革か」、「もうひとつの日本は可能だ」、「悪魔のサイクル」。すべて2000年代前半に書かれたものだ。

 2000年代前半。小泉構造改革による規制改革万能論、そして竹中平蔵氏に代表される市場原理主義の強風が吹き荒れた頃。これに対し、冷静で論理的、かつ、物静かな態度で批判を続ける内橋氏の姿が脳裏に焼きついている。

 内橋氏は資本の自由化・規制緩和が(労働規制緩和による)非正社員化、(フラット税制改革による)所得の二極化=貧富の差の再拡大、企業の淘汰・合併、外資化を産んだとした。全くそのとおりだろう。また、金が金を産むバブルの発生においては、超金持ちが出現するが、失業率は低下しないことを指摘し、その泡が鎮まる時、経済事件の発生や政治の腐敗が進むこと、やがて地域・地方は荒廃し、共同体が破壊されることを指摘した。これも全くそのとおりになっている。

 時を経て、地方都市の商店は失われ、庶民の暮らし、地方零細中小企業の暮らしは巨大資本とその系列業者に牛耳られることになった。

 内橋氏は単に立場の違う政策を批判する経済評論家ではなかった。冷静な分析、現場取材、弱者への温かい眼差し。真のジャーナリストだった。

2021年8月11日 (水)

蝉、コオロギ、オニヤンマ

 東京オリンピックは真夏の競技大会だったが、閉会式は立秋(8月7日)の翌日だった。その東京オリンピックの閉会を待っていたかのように、台風10号が来た。強風はベランダの草木の鉢を転がした。久しぶりに降った雨と風が収まった夜、コオロギの鳴き声を聞いた。まだ蝉も鳴いている。週間の天気予報は傘マークが並び、最高気温が30度に届かない日もある。今朝は街を走る車の数が激減していた。オリンピック対応の休日変更がなければ、今日11日が「海の日」。海の日から15日までが一般的な企業の夏休みだからだろう。今日は立派なオニヤンマを見た。羽音をブルブルといわせ、体色は芸術作品のようだ。通勤路には蝉が腹をみせて転がっている。人の足音や気配を感じると、彼らの多くは息を吹き返し、「俺はまだ生きていること」を誇示するかのように、蛇行する。秋が近い。

2021年7月 3日 (土)

良心の踏み絵

 森友学園に対する国有地売却を巡る疑惑。その闇、その核心に関わる過程を、当時、財務省近畿財務局の職員だった赤木氏がまとめた文書「赤木ファイル」。そのファイルが400カ所も黒塗りされた姿で開示された。

 赤木氏はファイルに「組織による具体的な文書改ざんの指示」を記述し、自死した。「これが財務官僚王国。最後は下部がしっぽを切られる」と遺して。

 この問題には、日本の戦後史に名を残すであろう首相とその夫人、財務大臣、財務官僚、そして日本的官僚・組織文化の暗闇が深く関わっている。

 誤解を恐れずに記せば「赤木氏は強い人」だと思う。2015年に自分も同じような立場に立たされたことがあった。しかし、自分は別の選択しかできなかった。赤木氏の公僕である国家公務員としての使命感、怒り、そして哀しみ。赤木氏の気持ちの一端は共有できる。

 亡き夫の遺志を継ぎ、訴えるため、赤木氏の夫人が地方新聞社などを精力的に訪問していることを知った。どんな形であれ、彼女を応援したい。

 思想・信条に関係なく、日本人の良識と人間の良心に従って。

 「赤木ファイル」は良識の踏み絵、良心の踏み絵だと思うから。

2021年6月 4日 (金)

赤と緑を混ぜると黒に

2021年6月3日付 新潟日報の記事から抜粋

「第四北越FG 統合の理念どこへ 本店移転に長岡経済界から反発の声」

 第四北越フィナンシャルグループ(FG)が本店所在地を長岡市から新潟市に移すことを巡り、現本店がある長岡の経済界から2日、反発する声が上がった。旧北越銀行本店があった長岡にFG本店を置くことを、旧第四銀と旧北越銀が経営統合で掲げた「対等の精神」の象徴と捉える地元企業や市民は少なくない。3年とたたないうちに本店を移すことを唐突だと受け止め、25日に開催される株主総会で関連定款変更の議案に否認する意向を示す株主も出ている。「FG本店を長岡にしたことは、両行の合併が第四による吸収ではなく、双方の良さを残し、新しい銀行をつくるという理念の表れだったはずだ」FGの株主企業で取引先の社長は憤る。前身の第六十九国立銀行の設立から約140年。旧第四銀との合併後も「面倒見の良さで知られた北越銀の企業文化が残ってほしい」と考えてきた。そこに突然、表面化した本店移転案。前出の社長は「親しみやすさといった北銀の行風が失われるのではないか。北銀出身行員の士気が心配だ」と語る。既に議決権行使の受け付けが始まっているオンライン上で、議案を否認する意志を明らかにした。昨年金融庁に認可された旧第四銀、旧北越銀の合併方式は、第四銀を存続会社とし、北越銀を消滅会社とする「吸収合併」だ。ただ両行は2017年春、「対等の精神」をうたって経営統合協議を始め、共同持株会社(FG)を18年10月に設立した経緯がある。その際、長岡市の旧北越銀本店をFG本店、新潟市中央区の旧第四銀本店を「主な本社機能所在地」とした。今年1月に両行の合併で誕生した第四北越銀行の本店は、旧第四銀本店に置いている。同FGは、本店を今回移す理由について、FGと第四北越銀の本社機能を新潟市に集約したことを挙げる。だが、FGの株主で長岡市の老舗企業の経営者は「根回しもなく、はしごを外された。今後『長岡のために』と言われても本心なのかと思ってしまう」と納得できずにいる。会員数約2500の長岡商工会議所の会頭には、過去に旧北越銀の頭取経験者3人が就いている。旧北越銀は、名実ともに地域経済のけん引役だった。現会頭は「いずれこうなると思っていたが、市民感情もある。取引先として考え直す顧客が出てくるかもしれない」とみる。長岡市の受け止めも厳しい。長岡市長は「顧客の信頼感を大切にする金融機関だと思っていたので残念だ」と語る。(抜粋して引用)

 

 旧第四は緑をバンクカラーとし、旧北越は朱色がかった赤がそれだった。店舗の看板にはそれらの色が使用されていた。2021年1月に合併して誕生した新銀行では青を基調としたデザインが採用されている。

 色の3原色の法則では、緑と赤を混ぜると茶色になるとされている。ただし、それは茶色を作ろうとした場合の話だ。新銀行は何色を目指したのだろうか。もし看板に偽りなく青を目指すなら、緑も赤も必要ないだろう。青は3原色のひとつであり、色を混ぜて作ることは困難だ。地域銀行でありながら、地域を蔑(ないがし)ろにする銀行では尚更だろう。

 地方銀行の経営環境が厳しいことは知られている。しかし、明治の時代から現在まで、地方銀行は地方で事業・商売をしてきたのだ。これまでの繁栄と蓄積、現在の苦境、そして、これからの未来も「企業としてここ(地方・地域)で生きていく」というビジネスモデルに変わりはないだろう。いや、変わりようがない。

 「地方銀行に独り勝ちはない」というのが持論だ。地方銀行は地方と一心同体であり、その呪縛から解き放たれることはない。

 およそ140年もの間、「地域から収益を上げていた」金融機関。その姿は紛れもなく「持つち持たれつ」だった。しかし、近年、その姿は「地域から利益を付け替える企業」に変容した。

 赤と緑を混ぜてできた茶色は、相当に黒に近いのではないか。そして、さらに懸念されるのは、その「ニア・ブラック」が、今回のFG本社移転方針だけにとどまるのだろうかということだ。

2021年4月11日 (日)

追記・この新しい朝に

 この歌を聴き、この場所にコメントを残す多くの良識ある方々と同じように、私の人生も浜田さんとともにありました。もう40年近く前、14歳の時に「愛の世代の前に」や「僕と彼女と週末に」などを聴いていました。

 「愛の世代とは何なのか」、「約束の地とは何処か」、「一瞬の閃光とは何か」、そして、「なぜ数えきれないほどの魚が打ち上げられていたのか」。14歳の自分には重い宿題のように感じたものでした。

 今の若者たちも、私たちと同じように、お気に入りの音楽を聴き、歌い、それに癒され、励まされているのでしょう。ですが、おそらく、浜田さんのような存在のアーティストには出会えていないのではないか。

 パソコンもスマートフォンも、インターネットもCDさえもなかった。だけど、浜田省吾がいたことで、私たちは恵まれていたと思えるのです。

 「この新しい朝に」を毎日聴いています。毎日口ずさんでいます。朝、歯磨きしながら。昼、パソコン打ちながら。車を運転しながら。夜、お風呂の中で。

 長い坂道の向こうで自分が会いたいのは、浜田さんと浜田さんのライブで盛り上がる浜省ファンの姿です。

2021年3月24日 (水)

平成の三四郎逝く

 衝撃的な訃報だった。1992年のバルセロナ五輪柔道で金メダルを獲得した古賀稔彦氏が亡くなった。53歳。

 少年の頃、柔道をやっていたせいもあって、柔道には思い入れが強い。そもそもの成り立ちから、柔道を「スポーツ」とは捉えられないし、柔道家を「アスリート」とは呼べない。「競技」でもない。

 「礼に始まり、礼に終わる」ことを徹底的に教示される柔道は、勝負同様か、それ以上に礼儀、相手に対する敬意の心が重要とされる。勝負に強い柔道家は枚挙に暇がない。しかし、本当に強い柔道家は少ないものだ。

 「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きる資格がない」

 レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説「プレイバック」の中で、主人公・フィリップ・マーロウが言うセリフ。

 真に強い柔道家とは、この言葉が相応しい者をいうのだと思う。

 心技体の強さと優しさを兼ね備えた平成の三四郎。

 自分にとって理想的な柔道家だった古賀氏を、心に残る3つのシーンを回想して送る。

 1990年  体重無差別で争われる全日本選手権で、軽量級の古賀氏が決勝まで勝ち進み、前年の世界選手権・無差別級の覇者である小川直也氏と対戦した姿。「柔よく剛を制す」お手本のような戦いだった。観客は、敗者・古賀に拍手した。

 1992年  左ひざのケガをおしてバルセロナ五輪決勝を戦い、勝利した姿。

 2004年  女子代表コーチとして、アテネ五輪で教え子の谷本歩実が金メダルを獲得し、ともに抱き合って喜んだ姿。

2021年3月20日 (土)

この新しい朝に

 この新しい朝に (Music Video) - YouTube

  目深にフードをかぶって走ってる誰もいない通りを

 風は冷たくでも春の気配を微かに感じながら

 ビルの地平を染める新しい太陽 君も見ているかな ささやかな祈りの言葉胸に

 この長い坂道の向こうに広がる景色はまだ見えてはこないけど

 長い坂道の上に広がる空は高く青く深く強く凛と輝いてる

 孤独な心と途切れた未来図を抱えた街が目覚める

 でも人は弱くない そう君も弱くない ただ少し疲れているだけ

 愛する人の寝顔にそっとキスして君は立ち上がる 好きな歌口ずさみ強い意志を胸に

 この長い坂道の向こうに広がる景色はまだ見えてはこないけど

 長い坂道の上に広がる空は高く青く深く強く凛と輝いてる

 辿り着くまで涙は見せない 大丈夫って 大丈夫って 大丈夫だからって

 この長い坂道の向こうに広がる未来はまだ見えないけど

 この長い坂道の向こうに広がる世界はまだ見えてはこないけど

 長い坂道の上に広がる空は高く青く深く強く凛と輝いてる

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 長い間、日本には「戦前・戦後」という時代認識があった。近年は「震災前・震災後」という認識が生活の中に浸透した。そして現在。私たちは「コロナ前・コロナ後」という区分で時代を認識し、それを受け入れざるを得ない。

 誰もが、常に、あらゆる場所で、生活様式の大きな変革を迫られ、それへの対応に苦慮している。そんな不安で、不透明な時代を、この歌が二つに分けたような気がする。浜田省吾の「『この新しい朝に』がない時代とある時代に」。

 暗黒の時間は底を打ち、もう希望しかないのではないか。そう感じさせてくれるような、最大級のパワーをもらった。

 ありがとうございました。

2021年1月31日 (日)

言葉と刃物

 人間の社会は、長い間、暴力に支配されていた。現在、そこから解き放たれたと仮定して、そこから解放後の時間は、あまりにも短い。

 人間の歴史、人類のほとんどの時間は、暴力・武力によって支配されてきた。

 暴力が支配していた時代が、ついこの前まであった。それは暴力が肯定されていた時代。

 やがて、暴力が否定される時代になり、言葉が力を持つ時代へと変わった。その文明的な世界では、暴力は肯定されず、正当化もされない。暴力は何も解決しない。

 しかし、世界はどうか。依然として、紛争地では暴力と武力が人々を支配し続けている。力を持たないはずの、何も解決しない、意味がないはずの暴力が、そこでは意味を持っている。

 我々の国では「きれいごと」が通用しているに過ぎない。 

 言葉はどうか。ようやく社会では、パワハラ・セクハラ・モラハラと、多数のハラスメントが犯罪として認定されるようになった。力を持った言葉が、言葉の暴力という力を持った。言葉によって人は傷つき、死を選択する人もいる。

 人は武器を言葉に替えたはずだが、人は言葉を武器に変えた。

 さて、およそ民主的な方法で選出されたとは言い難い現在の首相に対し、国会で野党の女性議員が投げかけた言葉が「失礼だ」と批判・避難されている。首相自身も女性議員の言動に対し「失礼だ」と答弁した。

 今国会は与党議員の無責任な行動を問いただす場だった。議論が白熱し、論調がヒートアップすることは当然ではないか。

 なぜなら、その言葉は「異議申立ての言葉」だったからだ。

 異議申立ての言葉が、刃物のような鋭さや重さ、そして強さを持たなければ、何も変わらないのではないか。

 パワハラ・セクハラ・モラハラ等々、言葉は暴力だと認定されている。

 言葉は暴力であり、刃物だということに疑いの余地はない。言葉は紛れもない武器なのだ。

2021年1月26日 (火)

人が人にできるたったひとつのこと

 それは「とことんつきあうこと」、「ずっと寄り添うこと」。それだけと思う。

2021年1月23日 (土)

僕が僕であるために

 最近、テレビコマーシャルで尾崎豊の「僕が僕であるために」が流れている。少し、複雑な気持ちになる。

 彼が、尾崎豊がもし生きていたら、彼は自分の歌がテレビコマーシャルで歌われることに同意しただろうか。同意しないとも言い切れないし、同意するとも言い切れない。

 彼の歌の版権は家族が持っているだろうから、家族がそう判断したということになる。きっと、彼の歌を歌い継いでいくために、という思いで判断したのだと推測する。

 尾崎豊は「僕が僕であるために」は「勝ち続けなきゃならない」と歌った。

 彼の死から30年近くが経過した現在でも、彼の歌がテレビコマーシャル(つまり、スポンサーや消費者に)のニーズがあるということは、彼の歌が勝ち続け、歌い継がれていることを示している。

 たった26歳で逝った彼は、彼は彼のまま、つまり、僕は僕のままで在(あ)り続けている。

2021年1月 1日 (金)

2つの新銀行誕生

 2021年1月1日 新潟県に2つの新銀行が誕生した。

 ひとつは新潟市に本社を置き、地方銀行として最古の歴史を持つ第四銀行(だいしぎんこう)と、長岡市に本社を置き、県内2位の北越銀行(ほくえつぎんこう)が経営統合して誕生した第四北越銀行。

 既にFG(金融持株会社)として経営統合されているが、傘下銀行を統合して新銀行となった。

 ここからは事実誤認のおそれがあるが、「実質的に」もうひとつの新銀行が新潟県に誕生した。大光銀行(たいこうぎんこう)だ。

 大光銀行は統合した2つの地方銀行とは異なり、第二地銀だ。金融機関が乱立する新潟県には、新潟中央銀行という第二地銀もあった(つまり、地銀・第二地銀計4行が存在した)が、バブル期の過剰な不動産向け融資が不良債権化し、1999年に経営破綻した。

 形式的・実質的に第四北越銀行が誕生したことで、実質的に新たな大光銀行が誕生した。「対抗銀行」として。

 これまで同行は、県内3番目の銀行という立場が続いたが、役割や存在意義が大きく変化し、増大したといえる。

 圧倒的シェアを持つ地銀の対抗銀行として。長岡市に本社を置く地銀として。第四北越に弾かれた(あるいはそこから「名誉ある撤退」を選択した)中小・零細企業の受け皿として。

 天の邪鬼で判官びいきな自分は、大光銀行 ≒ 対抗銀行 を応援しない訳にはいかないと思っている。

2020年10月31日 (土)

こうのとりのゆりかご

コウノトリは「赤ちゃんを連れてくる」と言われる。鳥がゆりかごを口ばしにくわえている姿などが育児用品のイラストに使われたりする。コウノトリが多産な種なのか、一夫一婦の種なのか調べてみたが、そういう生態に言い伝えの起源がある訳ではなさそうだ。

10月25日、熊本県・慈恵病院理事長の蓮田太二理事長(84)が亡くなった。「こうのとりのゆりかご」、通称「赤ちゃんポスト」を設置した方。

「赤ちゃんポスト」は2007年5月に設置された後、2020年3月までに155人の赤ちゃんが預けられたという。育児放棄を助長する等、ポストの設置には批判的な行もあったが、蓮田氏の「捨てられる命を救う」強い理念が、赤ちゃんポストを「なくてはならないもの」にした。

コウノトリは赤ちゃんを運んで来た訳ではなく、コウノトリ(近似種)の営巣・出産・子育てを優しく見守った夫婦が子宝に恵まれた、という話が言い伝えになったものだという。

2007年5月から2020年3月は月数に換算すると155ヶ月。この間に預けられた赤ちゃんは155人。「毎月1人ずつ」、差出人のない命を預かり、宛先のない命を救った彼は、現代のコウノトリだった。

2020年7月 6日 (月)

映画音楽の巨匠、逝く

 「自分の葬式はできる限りシンプルに」と考えている。しかし、もしいくつかのワガママが許されるなら、音楽を流したい。

 世界的な映画音楽の巨匠・エンニオ・モリコーニ氏が7月6日に亡くなった。こうなって初めて、彼のプロフィールに触れた。ローマの国立アカデミーで12歳から作曲を学んだ天才であること。演奏活動、作曲・編曲家を経て、「荒野の用心棒」(1964)や「アンタッチャブル」(1987)などの作曲を手掛けたこと。そして同じイタリア出身のジュゼッペ・トルナトーレ監督の「ニュー・シネマ・パラダイス」(1988)を作曲した。「ニュー・シネマ・パラダイス」は彼の音楽なくしては成立しない。

 葬儀では自分の人生のバックグラウンド・ミュージックだった浜田省吾。そして、映画「追憶」のテーマ「The Way We Were」(バーブラ・ストライサンド)と、「ニュー・シネマ・パラダイス」のテーマを流したい。

 人生にはもう少し時間がありそうなので、選曲は変わるかもしれない。どうしても3曲と決めている訳ではないが、10曲も流すような葬儀は望まない。それではお経の時間と変わらない。

 もうひとつ。葬儀は参列者がいることを想定していない。音楽は「参列者に聞かせるため」に流すのではない。棺桶の中で「自分が聴くため」に。

 今夜は「ニュー・シネマ・パラダイス」のCDを聴いて、エンニオ・モリコーニ氏を追悼しよう。

 彼の音楽は、晴れの日にも雨の日にも、朝にも夜にも、夏でも冬でも、そして、若くても年老いていても、心に響く名曲だ。

2020年5月 1日 (金)

コロナ後の世界 1

 メディア媒体もある意味、「コロナウイルスに感染」してしまい、「それ以外」を求めることが難しくなっている。

 いやおうなしに、テレビコメンテーターの自論や解説を聞く(聞かされる)ハメになる。それを嫌って、ネットに逃げても、画面には彼らの発言が記事になっている。

 F氏という比較的若手のコメンテーターがいる。彼は20代で政府や与党が設置する委員会や懇談会のメンバーに選ばれ、活躍している。現在も若年層の代表として各種の委員を務めている。

 彼は度々、高齢のコメンテーターと意見が衝突する。意見の違いは議論であって好ましいが、年寄りコメンテーターというフィルターに向かって、その向こう側を批判する。年寄りが「誰かと何かを代弁している」のは確かだが、彼が委員を務め、メンバーを務め、報酬を得ている機関や組織そのものこそが、フィルターの向こう側にある。

 彼は強いものと肩を並べたりはしない。彼は強いものと距離をとりながら、強者も弱者も攻撃する。羞恥心がない。だから、彼の話を聞いていると、度々「自分は年をとったのか?」と自問することになる。

 彼の羞恥心は、彼なりに担保されている。彼は「誰の味方でもありません」という本を出している。彼は「誰の肩も持たない」のだという。そのことが、二枚舌、三枚舌、多重舌を可能にしている。それはつまり、「自分の肩は持つこと」を体現している。「誰の味方でもない」というが、それは「誰の肩も持つ」、「誰の味方にもなる」ことと逆説的に同義語だと思う。

 1年前、東京大学入学式における、上野千鶴子・東京大学名誉教授の祝辞を掲載した。

   http://kasa.air-nifty.com/blog/20190501.html (ウェブページ 2019.05「言葉の力」)

 彼が上野教授の門下生だと知り、愕然とした。

 これまでいくつもの病を克服してきた人類は、コロナウイルスを克服するだろう。しかし、彼や彼ら(彼の考えに同調する人や彼を使うメディア)が中心となって構成する社会は「病」を克服できないだろう。

 誰の肩も持たない社会は、必ず格差を助長させる。

2020年4月27日 (月)

山のようなイチゴ、たくさんの野菜

 4月7日に発令された緊急事態宣言下でのゴールデンウィークが始まった。ゴールデンウィークは小旅行に出掛けるのが恒例だが、今年はステイホーム・ウィークに徹しよう。

 自分のゴールデンウィークにはもう1つ、恒例のものがあった。毎年、大型連休の終わり頃になると山のようにイチゴをいただくことだ。

 そのイチゴは多少、小ぶりだが、イチゴ本来の甘味があって、とても美味しい。ただ、そのイチゴは足が早く、朝に摘まれたにもかかわらず、夜には変色し始める。クリスマスケーキに乗っているイチゴや、スーパーで見かける巨大なイチゴが、ムリヤリ作られた「工業製品」であるとすれば、このイチゴは「生き物」であることを強く意識させる。

 イチゴをもらった日は、自分が大人であることを忘れる。大きなザルにいっぱいのイチゴを誰に気がねすることもなく食べた。なぜなら、もう1つの大きなザルに、同じように溢れんばかりのイチゴが盛られていたからだ。

 唇と舌と、多少、Tシャツも赤く染めて、そのイチゴを食べた。「今日がイチゴにとって、人生最大の舞台であること」を知っていたから、何度もアンコールした。イチゴは鳴りやまないアンコールに応えてくれた。

 イチゴをくれたのは妻の親友で、イチゴを育ててくれたのはそのお母さん。

 冬になれば、たくさんの越冬野菜をいただいた。

 鈴なりのイチゴを魔法のように実らせる手のひらを、1度見てみたいと思っていたが、かなわなかった。

 たくさんの野菜と、山のようなイチゴを、ごちそうさまでした。

 合掌。

2020年4月23日 (木)

在宅勤務

 新型コロナウイルスの感染拡大防止の一環で、人生初の在宅勤務になった。

 システム、セキュリティ上の準備が整わず「テレワーク」も叶わず。在宅勤務=自宅待機状態。

2020年3月21日 (土)

春の嵐

 今年は例年と比べて春の強風、暴風の日が多い。夜中の雷で目を覚ますこともあった。この風が収まると、桜が芽吹く。

 3月も下旬に入り、4月からの新年度に向けて人が動く話を聞く。噂も届く。

 この歳になると、卒業、入学という話よりも、異動、退職の話を耳にする。

 知人の何人かが退職するという話を聞き、その誰もが、2つの辞める理由を持っていることに気づく。

 「表と裏」。2つの理由だ。

 表の理由は「常に美しい」。やりたいことをやるため。新たな次のステージに進むため。子供や親、家族の理由。自分は辞めたくないが、辞めざるを得ない、という理由も美しい。

 一方で、裏の理由は「常に正しい」。人間関係に疲れて。やりがいのない仕事。組織、待遇等への不満。これらの理由は正しい。

 「何一つ手につかず、何のやる気も起きない」、「目標・ノルマのために寝汗をかく」。これらの理由も、辞める理由として正しい。

 今週、森友問題(近畿財務局が国有地を破格の金額で森友学園に払い下げた問題)で2018年3月に自殺した近畿財務局職員の遺書全文が公開された。

 手記の内容は読むに耐えない。彼が清廉・実直で、公僕としての使命感に溢れた人物であったことは容易に推測できる。

 彼は職を辞することで疑惑の責任を転嫁されたかもしれないが、死を回避することはできた。汚名挽回する機会は残されていたはずだ。

 しかし、それを声高に主張するのはよそう。闘う道を選ぶことは、死よりも苦痛かもしれないからだ。

 春の嵐の後に、桜は芽吹く。清廉な花が散った土壌からは清廉な花が咲くだろう。

2020年3月19日 (木)

仕事と体形

 人は体形を持っている。単純に区分すれば、やせ型、標準型、ぽっちゃり型やがっちり型ということになる。

 背の高さによるバランスにもよるし、年齢、性別、職業などの影響も受ける。

 当然、先天的・遺伝的な理由があり、後天的には、食べることや飲むことが好きだとか、体が必要とする以上にたくさん食べることなどが体形に影響する。

 体形は、その人のキャラクターに成り得る。ぼっちゃり型の方が、キャラクターになりやすい。やせている人気キャラはいない。

 欧米などの企業では、太っていることが自己管理力の欠如と捉えられることがあるという。この考え方には、先述した先天的なものの要因があるので全面的には賛成できない。

 しかし、その人の「仕事そのもの」を目の当たりにした時、その評価基準として、体形が一つの参考になり得る。

 ぽっちゃり型とか、がっちり型とかいうのでなく、明らかに巨体・巨漢の人(100キロとか120キロとか。もちろんスポーツ系の人物は除く)がいる。

 そういう人は、食べ物や飲み物の過剰摂取や運動不足という理由もあるが、最大に過剰摂取しているものは「甘え」だと思う。

 「組織の甘い汁を吸っている人物」。自分はそう考えている。

2020年3月14日 (土)

「怒りの葡萄」の時代へ

 ブルース・スプリングスティーンの1995年のアルバム「ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード」(The Ghost of Tom Joad/トム・ジョードの亡霊)を聴くまで、トム・ジョードのことを知らずにいた。

 トム・ジョードはアメリカの作家、ジョン・ スタインベックによって1939年に書かれた小説「怒りの葡萄(ぶどう)」の主人公。この小説でスタインベックは1940年にピューリッツァー賞を受賞した(1962年にはノーベル文学賞を受賞)。

 映画になった「怒りの葡萄」の冒頭で物語の時代背景が説明される。

 ~ アメリカ中部にはダスト・ボウル(Dust Bowl/砂嵐地帯)と呼ばれる乾燥地帯がある。この乾燥がもたらす貧困が、農民の生活を不能なものにした。この物語は自然の猛威と経済変動によって土地を追われ、約束の地と新しい家を求めて長い旅に出る農民一家の物語である ~

 夢と希望の土地・カリフォルニアを目指したジョード一家。だが、彼ら「難民」は郊外のキャンプに収容される。彼らはそこで壮絶な飢えと貧困に遭遇し、カリフォルニアに抱いた幻想は打ち砕かれる。トム・ジョードに代表される難民たちの心に、まるで葡萄の実のように「怒り」が実る。

 新型コロナウイルスに翻弄される世界。その光景は「怒りの葡萄」の背景と似ているように思う。コントロールできないウイルスの猛威と出口の見えない経済の停滞。今年は2020年。世界恐慌は1929年の出来事だと教科書で習った。もし「100年に1度」の出来事が起こっているとすれば、何の不思議もない。

 世界恐慌は小規模な労働集約型の経済活動を資本集約型の仕組みに転換するきっかけになった。“コロナショック”の後、「産業構造や経済・生産活動が以前の水準に戻る」とは到底考えられない。急速なAI化などによって、労働が奪われる大転換点になるような気がする。つまり、我々の世界は、再びトム・ジョードの亡霊を見ることになる。

2020年3月12日 (木)

パンデミックと聖火式

 3月12日の出来事。世界史や日本史の1ページになるような出来事ばかり。

 1.WHOは新型コロナウイルスが「パンデミック」(世界的な大流行)であると宣言した。

 2.ギリシャのオリンピア遺跡のヘラ神殿跡では東京オリンピックの聖火採火式が無観客の中で行われた。

 3.日本では「緊急事態宣言」を可能にする新型インフルエンザ等対策特別措置法改正案が衆院を通過した。「私権制限」を可能とする法案だ。

 4.アメリカのトランプ大統領は新型コロナウイルスの感染拡大防止措置として、英国を除く欧州から米国への入国を30日間停止すると発表した。

 聖火は20日に、日本に到着する。聖火は東日本大震災の被災地を巡った後、国内をリレーされる。聖なる火が国内を回る頃、感染者数を示すグラフが減少に転じることを願うばかり。しかし、現実的にはオリンピックの開催は難しいだろう。

2020年3月 7日 (土)

バスタオルを育てる

 生活必需の中でハンカチやタオル、ふきん、雑巾というのは、取り換え時期が難しい。壊れるということがないからだ。もちろん破れることや汚れることがあるが、タオルやふきんは雑巾として二次使用される。更に雑巾にも1軍と2軍がある。雑巾としての役割を終えても、タイヤ交換の際にタイヤやホイールを拭いたり、ベランダの雨どいを掃除するのに使う。

 同じ理由で難しいのがバスタオルだ。使い古されたバスタオルは色あせて、向こう側が透けて見えるくらいになる。しかし、そのくらいの方が吸湿性が良く、洗濯してもすぐに乾く。使い勝手が良かったりする。こうなるとなかなか交換するタイミングがつかめない。厚手でぬくぬくとした新品のバスタオルは、吸水性が悪く、何回か洗濯をした後でないと役割を果たさない。

 先日、アウトレット店で猫模様のバスタオルを衝動買いした。妻の誕生日プレゼントということにすれば、猫の柄でも許されるだろうという思いもあった。

 別の日、実家に冬タイヤを交換にいった時、母に「いらなくなったタオルや雑巾はないか」と尋ねると、自分が30年前に使っていた古いバスタオルが出てきた。母の病的なほど物持ちが良い。

 古いバスタオルを汚し、捨ててしまうことに気が引けたが、彼(バスタオルのこと)を使用することにした。

 古いバスタオルは最後の務めを果たした。

 猫柄のバスタオルは、しばらくお客様のように扱われ、タペストリーのようにして飾られていたが、今では何度か洗濯され、その実力を発揮し始めたばかりだ。

 古いバスタオルを弔い、新しいバスタオルを育てる。日常の中に輪廻転生がある。

2020年2月21日 (金)

沈むボートから

 誰も読んでいないブログだけれど、一丁前に現在の政権を批判してきた。安倍総理は、過去に例を見ない程、独裁的で、将来の日本や国を取り巻く環境に大きな禍根を残すだろう。

 新型コロナウイルスの感染対策について、初期対応を含めて政府の責任を求める声が増大している。同時に安倍総理の責任を追及する声も上がっている。

 新型コロナウイルス感染症は、「新たで、未知の、強力な敵」だ。これに対峙するには、思想信条・主義主張を超えた協調態勢が必要だ。

 インターネットを含む報道を見ていると、後手に回った対策を批判する声が、これまで「安倍応援団」とされてきた人々から上がっている。

 有名な作家、女性ジャーナリスト、評論家など。応援団は劣勢に立たされるほど応援に力が入るものだが、現在の応援団には元気がない。

 沈み始めたボートから、真っ先に逃げ出しているのが、彼ら応援団という始末。

 「新たで、未知で、強力な敵」と闘う安倍総理を、今回だけは応援している。

2020年1月18日 (土)

ロバート・B・パーカー

 2020年1月18日はアメリカの作家、ロバート・B・パーカーの10周忌にあたる。
 2010年1月18日。彼は書斎で死を迎えた。 
 初めて彼の作品を読んだのは昭和60年(1985年)。彼より前から読み続けている作家はいない。自分にとってロバート・B・パーカーは、人生で最もつきあいの長い作家になった。
 彼の死は新聞記事にもなった。彼の作品には多くのファンがいた。
 しかし、その頃の自分は、彼の死を悼むこともなく、いや、もちろん、心の中では自らの時間の流れと重ね合わせ、感傷的になってはいたが、彼の作品を読み返したりすることはなかった。あの頃は、最も多忙だった。
 10周忌だから、という訳ではないが、ようやく彼の晩年の作品を読んでいる。「われらがアウルズ」、「勇気の季節」…他にも、彼の死後に翻訳され、出版された本が何冊かある。
 そんな晩年の本を読んでいると、多少の違和感がある。彼のアイコンとなる代表シリーズ「スペンサー・シリーズ」ではないこともあるが、やはり大きな要因は翻訳者が異なるせいだろう(「スペンサー・シリーズ」の多くを翻訳した菊池光氏は彼よりも4年早く逝去した)。
 違和感と記すと、それは悪い意味に受け取られるかもしれないが、それは自分が言葉を知らないだけだ。
 「勇気の季節」の原題は「The Boxer and the sky」、スペンサー・シリーズ後期の「昔日」の原題は「Now & Then」、「暁に立つ」の原題は「Split Image」。いずれも邦題、つまり翻訳によるタイトルの方が、自分にとって実にシックリくる。

 彼の作品には、知る限りで4名の翻訳者がかかわっている。思えば日本で彼の作品が長らく読まれ続けた理由の1つに、翻訳者の貢献があったことは間違いはない。

 もちろん、それにはパーカーの力量があってこそ。後期の作品には比較的、若者に向けた作品が多い。高齢にしてなお、新境地を開拓したという評価もあるだろう。しかし、ボクシング(ボクシングは彼の作品に度々登場する)に打ち込む少年が主人公の「勇気の季節」に見られるように、少年に語る言葉は、読者と後世に向けた遺言のようでもある。

2020年1月11日 (土)

すでに無重力

 コメンテーターのような立場でメディアに登場している #経営者崩れ #投資家崩れ #評論家崩れ #タレント崩れ #詐欺師崩れ #成金崩れ #想定崩れ #戦略崩れ の人物がいる。下品さという点では他に類を見ない。

 彼はカルロス・ゴーンの逃亡劇に対し、「広報戦略に長けている」などの短文を流布している。他にも下品な短文の流布をやめない。

 15年ほど前。彼の興した事業に、なけなしの金、退職金などを投資した人々が多数いた。しかし、当該事業経営は有価証券報告書虚偽記載という結末を迎えたことで、夥(おびただ)しい人間が人生を狂わされることになった。粉飾決算の責任を投資家に負わせ、本人は収監され刑期を終えたので、「罪は償った」ということなのだろう。

 もちろん、法治国家のこの国で、彼の罪は償える。しかし、罪は消えない。

 現在の彼は宇宙事業を手掛けているというが、どういう資金を使っているのだろうか? 彼を支援するスポンサーがいるということだろうか?

 彼はとっくに無重力状態だ。「#ロケット崩れ」の称号も付与することにする。

 

【追記】3月15日 彼はレバノンで「逃亡者」カルロス・ゴーンと面談した模様がテレビに映された。もちろん、番組は見なかったが、普段、彼が見せる態度とは違い、かなり謙(へりくだ)った様子だった。憧れの人に会ったという表情に見えた。逃亡者が面談を許したということは、ゴーン氏が彼を「安全パイ」と思っていることの証左だろう。「#安全パイ崩れ」の称号も付与しない訳にはいかない。

2020年1月 9日 (木)

彼らは山火事を監視しないのか

 オーストラリアでは、昨年(2019年)9月ごろから、大規模な森林火災が続いている。火事による犠牲者は25人を超え、火事は鎮火のメドが立っていない。

 この時期、オーストラリアは「山火事シーズン」なのだという。火災は広大な森林を焼き尽くし、その焼失面積は北海道の面積を上回るという。近隣の都市では煙害が発生し、呼吸器系疾患の発症が危惧されている。

 そしてもうひとつ。有袋類など希少な動物たちが、森林火災の犠牲になっている。おびただしい数の動物たちの命が失われたと報道されている。

 多少、いや、かなり意地悪な感想だが、このような時、「シーシェパード」たちは何をしているのだろう。

 反捕鯨団体・シーシェパードやグリーンピースなど。彼らはこの山火事を監視していないのだろうか。彼らは日本の伝統的クジラ漁やイルカ漁を、漁船への体当たりなどを含む実力行使をもって抗議活動を展開してきた。

 クジラ漁やイルカ漁を、奴隷制度になぞらえるなどして批判してきた彼らの主張が、単にヒステリックなものではないことを証明するためにも、この森林火災の原因究明と責任追及、そして再発防止策を明示するよう活動して欲しい。

 自然科学的には、クジラやイルカよりもオーストラリアの森林に暮らす動物たちの方が希少種だろう。

2019年12月31日 (火)

畳の部屋を土足で歩いた男

 日産自動車の資金を不正に還流させたとして、会社法違反(特別背任)などで逮捕、起訴され、保釈中だった日産自動車前会長カルロス・ゴーン氏が、何らかの手段で日本を出国し、国籍のあるレバノンに入国したとフィナンシャルタイムズなどが報じた。

 東京地裁はゴーン氏の海外渡航禁止を保釈の条件としていた。海外渡航について弁護団は関知していないという。

 この事態を受け、保釈制度を含めた日本の司法制度の不備と検察等の連携不徹底などに非難の声が上がっている。当然、「最強・最高」といわれる弁護団への批判の声も聞こえる。しかし、そこに本質はない。

 カルロス・ゴーンという人物・人格に、遵法意識というものが絶望的にないことが本質だろう。

 日本では彼を崇めた時期があった。彼がやったという経営改革「日産リバイバルプラン」と、その成果・評価についても、日本人は再検証しなくてはならない。

 当時、彼が犠牲にしたもの。

 今回、彼が省みなかったもの。

 そこには確かな共通点がある。

 「彼は目的のためには手段を選ばない」。

 彼は日本という畳の国を、高級な革靴を脱ぐことなく、金銀財宝を持って走り去った。

2019年12月22日 (日)

2019年 有馬記念

 毎年、繰り返し記しているように、有馬記念は「リピーター・レース」。今年、該当するのはレイデオロとシュヴァルグランだが…。

 日本の史上最強馬・アーモンドアイ(父ロードカナロア)には逆らえない。相手はフィエールマン(父ディープインパクト)。

【追記】宝塚記念、コックスプレート(オーストラリアG1)を連勝していたリスグラシュー(父ハーツクライ)が勝利。歴史的な強さだった。2着はサートゥルナーリア(父ロードカナロア)。「リピーターレース」の側面は3着ワールドプレミアの友道調教師ということになる。フィエールマンは4着。大本命に推されたアーモンドアイが大敗したせいか、レース後の中山競馬場は、今ひとつ盛り上がりに欠けた。そうだろう。9割以上のファンはアーモンドアイから馬券を買っていた。3連単の馬券は2→3→4番人気の組み合わせで、57,860円と異常値だった。

2019年11月11日 (月)

ドラゴンゲート・プロレスリング

 自分が小学生か中学生の頃、テレビのプロレス中継を熱中して応援する母の姿を覚えていたので、興行にやってきた「ドゴンゲート・プロレスリング」に母を招待した。父も珍しく二つ返事でこの話に乗った。

 プロレスは興行(つまり、見世物)で予定調和の世界だ。それでも、予め定められたことを調和(つりあう・整う)させることは困難な作業だ。

 彼らプロレスラーの主に肉体が奏でる調和は、オーケストラのそれと変わらない。ストイックに鍛練された肉体と、興行・見世物としてのサービス精神が織りなす旋律。

 今日はとても良い親孝行ができたと、我ながら自賛している。

2019年11月10日 (日)

祝賀のサイン

 11月10日の京都競馬場11Rで行われた第44回エリザベス女王杯(牝馬GI、芝2200㍍)は、2017年の最優秀2歳牝馬・ラッキーライラック(父オルフェーヴル)が勝利した。
 この週末は、昨日、「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」が開催され、今日は天皇陛下御即位を披露するパレード「祝賀御列の儀」があった。競馬というのは不思議なもので、社会の出来事や世相を反映した“サイン”のような馬券で決着することがある。国家の祝賀ムードの中、今年の女王杯は“サイン馬券”の匂いがしていた。しかし、そのサインは何だろう。朝からそんなことばかり考えていた。
「ラッキーライラック」。五つの弁を持つライラックの花は「幸運のシンボル」とされる。これだろう、と思った。3番人気でオッズに旨みもある。騎乗は短期免許で来日したC・スミヨン騎手。鉄板だ。では相手は何だろう?出走した馬たちに責任はないが、負のイメージを連想する馬名の馬をふるいにかけた。フロンテアクイーン、センテリュオ、ラブズオンリーユー等々、魅力的、かつ、縁起の良い馬名が続く。そんな中で、魅かれた馬名の馬がいた。ウラヌスチャーム。「天王星を守護星としたお守り」という意味を持つ。天王星、守護星、お守りという二重、三重のおめでたい馬名の1頭を見つけた自分は、パソコンの前に意気揚々と座り、投票完了。
 レースはラッキーライラックが勝利した。2着クロコスミア(この馬は3年連続、女王杯2着)、3着ラヴズオンリーユーとなった。ラッキーライラックは1枠(白)、クロコスミアは3枠(赤)。馬名がどうこうというのは考え過ぎで、単に「紅白」の決着だった。
 勝ったラッキーライラックは、2017年、夏の新潟デビューだった。皇后陛下・雅子様も、先祖は新潟・村上にある。ラッキーライラックは勝つべくして勝った馬という気がする。
 なお、2歳牝馬のGI・阪神JFを制した後、エリザベス女王杯(3歳以上のレースになった1996年以降)を勝った馬は1998・99年に連覇したメジロドーベル以来で20年ぶり2頭目だという。奇しくもメジロドーベルも新潟デビュー馬だ。ラッキーライラックには来年の連覇も期待したい。馬券は外したが、予想は的中した。「お祝い馬券」で決着したからだ。

2019年11月 9日 (土)

土曜の夜の映画館

 映画「マチネの終わりに」を観た。この公開されたばかりの映画を観に行ったのには、それなりの理由があった。

 小説「マチネの終わりに」を読んだのは、ちょうど3年前、2016年の今頃だ。証券会社のストラジストが、自身のブログで紹介していた。そこで読んだ“推薦文”のような文章がきっかけだった。

 それなりに良いストーリーだと思ったが、ベストセラーになる過程で、多くの著名人が書評を書いていた。「究極の」とか「珠玉の」とか「史上最高の」とか。これらの言葉の後には「ラブストーリー」と続く。こうなってくると、自分の“ヘソ曲がり根性”が顔を出す。

 映画を観て、いくつかのことを感じたが、この映画自体に関することではなかった。

1.同学年の俳優・福山雅治について。

 若い頃は、この人のヒット曲をカラオケで歌ったこともあった。その後、俳優や写真家など、マルチな才能を発揮しているようだったが、彼の音楽や演技に触れることはなかった。今回、この映画で彼を観て思ったことは「彼は努力の人」ということ。顔や才能には微塵も嫉妬しないが「努力を継続できる人」であることに敬意の気持ちが芽生えた。

2.ひとつ年下の女優・石田ゆり子について。

 彼女の美しさや可愛らしさは述べるまでもない。しかし、彼女の容姿が実年齢と乖離しているかというと、そんなことはないと思う。彼女の魅力は「年齢を重ねたからこその可憐さ」を持っていることだろう。彼女は多くのアドバイスを受け入れ、受け取れる「素直な耳と素直な心」を持っているのだろう。

3.映画「マチネの終わりに」について。

 この映画はギタリスト・薪野聡史のマネージャー役・三谷早苗を演じた女優・桜井ユキのものだった。

 

 土曜の夜の映画館がとても賑わっていたことに驚き、戸惑った。19時からの上映開始の時よりも、21時のロビーの方が、数倍、混んでいた。逃げるように映画館を出たのは、土曜の夜におじさん一人で恋愛映画を観ていたことを、ロビーの人たちに知られたくなかったからだ。

2019年7月 4日 (木)

NHKから国民を守る党

 第25回参議院議員選挙が公示された。年金問題や憲法改定などが争点と言われている。今回の選挙には既成政党に交じって、れいわ新選組、オリーブの木・幸福実現党・労働の解放をめざす労働者党・NHKから国民を守る党など新興・極小政党の立候補者がいる。

 中でも「NHKから国民を守る党」(N国)には相当数の得票があるのではないか。潜在的に反NHK、非NHKの考えを持つ人々は少なくない。

 新潟選挙区にもN国からの立候補者がいる。その主張が潔(いさぎよ)い。「NHKの受信料制度等の改革以外に県民に訴える主張はありません」。

 NHKは技術的には簡単なスクランブル方式に移行し、CNNのようなオピニオンチャンネルとかクオリティチャンネルになればいい。NHKという報道機関が、権益や既得権の塊であることが、この時代には通用しない。

 N国を率いる立花氏は、現代においては「稀有なジャーナリスト」、同時に岩盤を掘削しブレイクスルーする「突破者」と評価している。護憲勢力に死票を入れるなら、N国の選択もいいと思っている。

2019年7月 3日 (水)

青空

 窓を開けたまま寝たせいか、多少、風邪気味。

 ひと月ほど前に録画したテレビの懐メロ番組を観た。尾崎豊やTHE BLUE HEARTSの歌に心を洗われる。

 受験勉強もせずに、彼らの音楽を聴いていた。その時間が、無駄ではなかったことに気づかされる。

 「青空」 THE BLUE HEARTS

  2022年3月19日 歌詞削除

 彼らは決して「健全な優等生の音楽家」ではなかった。平成、令和を生きる若者たちは、彼らのような良質なロック・ミュージックに触れているのだろうか?と心配になる。

 

 2022年3月19日 追記

 THE BLUE HEARTS の「青空」の歌詞を掲載していたが、社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)から運営者宛てに、当ブログの掲載内容が、著作権侵害行為に該当するとの連絡を受けたとのメールを受領。著作権を侵害する意思は毛頭ないため、当該歌詞を削除とたうえで投稿。誰も見ていないブログ、何のフィーも得ていないブログ、内容は好意的、等々、こちら側の心情など考慮されることはないだろう。少々、辟易とするが、辟易とするのは権利侵害された側だということか。

2019年6月30日 (日)

時代の節目

 時代はゆっくりと、ゆっくりと入れ替わる。普段なにげない日常の中では時間が時計通りに経過する。

 時代はいつの間にか変わっている。時代は場面転換する舞台が、時の裏側に用意されていたかのように変わる。長い時間の中では、滴る水の一滴一滴が、石に穴を開ける。

 MLBで投打二刀流の日本人が活躍し、NBAのドラフトで日本人が指名を受けた。100㍍を10秒を切って走る日本人が2人いる。

 時代は変わったのだ。

 今日は「板門店」で「アメリカ大統領」が「北朝鮮労働党委員長」と「会談」した。また、日本がIWC(国際捕鯨委員会)を脱退した。

 時代の場面転換には時間を要するが、今日のように節目となる日が必ずある。滴る水が石に穴を開ける瞬間があるように。

 時代はゆっくり、しかし、確実に入れ替わる。

 それは同時に登場人物が入れ替わることであり、それまでの秩序が入れ替わることでもある。

 北朝鮮労働党委員長は、数十年の後、「平和の象徴」として生涯を終えるかもしれない。歴史の評価も変わるだろう。

 IWCからの脱退も、単に「クジラを捕獲する取り決め」から脱退しただけなのだろうか。得体は知れないが、「もっと大きな、もっと重要な何かから、この国が抜け出した」ことにならないか。

2019年5月 7日 (火)

ねじれた正義感

 あるテレビ局の昼のワイドショーで司会を務める人物は、幼少からの芸歴が長いせいか、損得勘定の計算に長けている。

 皇室の婚姻・婚約の問題。「婚約の延期」から1年以上が過ぎた。

 彼が司会を務める番組では「どうしたら別れさせられるか」という意図・視点で取材された映像が流される。

 「どうすれば二人は結ばれるか」、「二人の想いをかなえる方策は」という方向に議論は進まない。

 たいへん失礼な話ではあるが、女性皇族は婚姻によって皇室・皇籍を離れる。もちろん相応の税金が諸々使われるだろうが、1億円(国民一人当たり1円のご祝儀)と考えれば、目くじらをたてる額でもない。その額が、一人当たり2円、3円となってもいいではないか。

 いずれ一般人になるプリンセスが、一般人・民間人となる覚悟を持って選んだ青年を、四面楚歌に追い詰めて何が得なのか。

 自分には、ワイドショージャーナリズムが、ねじれた正義感のように思えてならない。

2019年3月 1日 (金)

オレゴン州ポートランド

 デキの良い甥っ子がアメリカに留学する。留学先はオレゴン州のポートランド。

 ポートランドをネット検索すると「全米で最も住んでみたい都市」と表示される。ほかにも「もっとも住みやすい街」、「最も環境に優しい都市」等々、住環境が上質であることを示す言葉が並ぶ。

 人口はおよそ60万人。アメリカ国内では29番目の都市。歴史、気候、産業、教育、輩出された有名人などを調べているうちに、自分にとっても憧れの土地になった。

 そのことを彼に伝えたい。

 緯度は日本の宗谷岬と同じくらい。もちろん、気候帯は異なるが、ポートランドに本社を置く「Columbia Sportswear」のパーカーを持たせてやろう。キャンパスにはパーカーがよく似合う。

2019年2月23日 (土)

霞始めて靆く

20190221 福島江沿いに変わった街灯が立っている。多くの街灯は左奥や右下に見えるように蛍光色の街灯なのだが、数本はガス灯のような滲んだ光を灯す街灯が置かれている。滲んだ光は淡い影をつくる。

 この街灯は、ある日は点いているが、ある日は点いていない。だから、明かりが灯っていると、少し得をした気分になる。

 明かりの向こうにある景色は、少し霞みがかって見える。暦は「雨水」の次候、「霞始めて靆(たなび)く」。もう、街灯の明かりのせいだけではないのだ。

2019年2月17日 (日)

若者の味方

 土曜の夜、日曜の朝は部屋に籠もって本を読む。休日の、おそらく最も自由な時間をそうやって過ごしているのだから、それが自分にとって「楽しい時間」で「幸福な時間」であることは間違いない。自分が“引き籠もる”要因がもうひとつある。それは「テレビがつまらないこと」。特段、楽しい番組を放送して欲しい訳ではないが、見ていて気分が悪くのであれば避けた方が良い。

 SNSに非常識な動画を投稿する若者が後を絶たない。今日もマスコミは、それらの出来事を社会問題として取り上げている。彼らに同情したり、彼らの肩を持つコメンテーターは、ほぼいない。

 不適切な行為を撮影し、SNSに投稿する人には共通点がある。それは「若者」であることと「アルバイト」であることだろう。人手不足・労働力不足のこの国では、「若者とアルバイト」には相応の比重(重荷、あるいは負担)がかかっている。そのことをマスコミは報道しない。もちろん、「負担があるから動画の投稿が許される」ことにはならない。

 「働き方改革」で、正社員の負担軽減が図られつつある状況下。非正規雇用者やアルバイトのような「すそ野」(あるいは底辺)まで、労働条件改善の波は、どこまで波及しているだろうか。波及などしていない。

 マスコミは「正しい者」の側に立っているが、「弱い者」や「少数派」の側には立っていない。それらの側に立った取材はされず、報道もされない。テレビはスポンサーで成り立っている。動画を上げたバイト店員達が勤務するスポンサー企業は軒並み大企業だ。それらの“下半身”の取材ができるはずもない。

 現在の社会は若者たちが創ったのではない。現在の社会は大人たちが創った。若者たちは「大人たちが創った社会に入ってきた」だけだ。大人たちは「常識でわかるだろう」と言う。では彼らに常識を、いつ・誰が教えたのだろう。教えたとすれば、親や先生や社会を構成する大人たちだろう。教えなかったとすれば、親や先生や社会という大人たちだ。

 常識のない若者に頼らざるえない世の中は、大人が創った。若者たちを嘲(あざけ)る大人たちの姿は、自分には滑稽に、かつ、不思議に思えてならない。なぜならそれは、鏡を見てそこに映る自分自身を嘲笑している姿だと思うからだ。

2019年1月27日 (日)

新記録

 珍しく競馬(馬券)で勝ち続けるということがあった。

 有馬記念から順に、有馬記念→条件戦→日経新春杯→京成杯→東海ステークス→AJCC。

 競馬で勝つ、競馬に勝つ、競馬を勝つためには、予想に勝つということがほとんどだ。

 自分には必勝法などと呼べるものはないが、この連勝記録の間で、気をつけていたことを「自分のために」記録しておこう。

 ①レースを選ぶ  18頭、16頭、12頭… レースには出走頭数の違いがある。確率の問題で、少頭数である程、勝率は高い。もちろん、配当低下するが、勝つ確率は高い。

 ②グレードレースの裏開催  メインレースに関しては競馬番組や競馬新聞などの情報量が多いが、裏開催の平場などでは確勝馬的な出走馬がいる。

 ③遠征馬の格上初戦・格上挑戦(馬体重)  遠征費を払って適正条件のレースに出走してくる馬に注意していた。

 ④クラブ所有馬  育成施設・調教施設の充実が、零細の生産牧場との格差を広げている。

 いつか見た競馬雑誌にも、似たようなことが書いてあったと思う。

 では、いくら勝ったの? という所が肝心なのだが、競馬好きにとって「負けないこと」がどれだけ重要なことであるかは、競馬ファンのみが知っている。

2019年1月21日 (月)

生命力

20190120 殺風景な部屋に生命力があるものを置きたいと考えたのは1年ほど前だった。

 花は手がかかり、鑑賞期限も短い。以前、サボテンを置いたことがあったが、“彼”の姿は半年間、何一つ変化せず、同居の意識がない。適当なものを探していると、「多肉植物」というのがブームになっていると知った。

 多肉植物…肉厚な茎や葉に水を蓄えることのできる植物。表面がクチクラ層という水の蒸発を防ぐ層で覆われている。また、水の消費が少ない特殊な光合成を行う。

 サボテンも多肉植物の一種であるらしい。アロエもそう。確かに触った感触はヒヤッとしていて、肉厚の葉はアロエに似ている。猛暑に見舞われた昨夏、多肉植物の名は見聞きするようになった。

 2020年の東京オリンピックは夏季開催(7月24日~8月9日)。屋外競技では暑さ対策が急務になっている。競技時間の繰り上げや夜間開催等が検討される中、遮熱性道路舗装などと並んで植物の活用がクローズアップされた。「マラソンコースに多肉植物を植え、街路樹を育て、緑の木陰を増やす」というものだ。

 写真は1年間、ほぼ放置していただけの多肉植物。購入した時は葉が3~4枚で、とても葉を増やすとは思えなかったのに、今では丈も質量も100倍に育った。

 この生命力と成長力であれば、1年半後のマラソンコースにも充分間に合うだろう。

2019年1月20日 (日)

AJCCの時期に

 競馬の「AJCC(アメリカジョッキークラブカップ)」は、毎年、大寒の頃に行われる。レースのテレビ中継は、必ずと言っていいほど晴天の中山競馬場を映し出す。「新潟は雪に埋もれて生活しているのに…」。この感情がAJCC観戦時のいつもの感想だった。しかし、今年は長岡の街に雪がない。

 この冬はこれまでのところ、記録的な少雪だ。強い冬型の低気圧が何度か来ているが、降雪量につながっていない。雪が降り始めても、わずかな時間で雪が止む。

 雪は豪雪でも少雪でも困る人がいることが悩ましい。雪が降ること、雪があることで生計を立てる人たちがいる。この冬は、妙高や魚沼など雪を要する産業がある地域には、一定量が降っており、少雪による悲鳴は聞こえてこない。

 テクノロジーが発達し、マーケットの分析や科学的な管理が可能になった。しかし、天気予報、降雪予報は数日前にしかわからないし、日常的に外れることも多い。降雪が予報から予知に進化すれば、地震予知と同等かそれ以上に、人々の暮らしに役立つのではないか思う。世界の人口の半分は降雪地、雪国に住んでいる。

2019年1月19日 (土)

非常と異常

 最近は「非常時のために備えること」が流行のようになっている。それは企業や組織だけではなく、個人にも要請されている。

 しかし、なかなか非常時というのは訪れない。非常時がないというのは、それはそれで幸福なことではあるが、来るか来ないかわからないこと、確率的に低いことに、過度に時間と労力、予算を費やすのは効率が悪い。

 一方で、「異常なこと」に対しては、時間も労力も予算もかけないのはなぜだろう。多くの日常、多くの正常に「異常なこと」が頻発しているのに、組織や企業、そして個人も、その対策を講じない。

 日常が異常、正常が異常であることに誰も気づかない。あるいは、気づいていても気づかぬフリをしている。堕落した組織では、その際の「演技」の稚拙が、出世を左右する。

 ひとつだけ例を記しておく。毎日の残業が3時間であれば、それは勤務時間が11時間ということだろう。そのことに1,500人が気づいていながら、それを正常とする風土から抜け出せないでいる。だからその組織では、人が死ぬ。

 死には3種類ある。「命を失う死」、「職業を失う死」、そして、「精神の死」。

 高いリスクを持つ金融商品を資産家でもない老人や庶民に売りつけて生き延びている者たちは、すでに「精神の死」を迎えている。

2019年1月18日 (金)

爽快なニュース

 ネット上に爽快な配信ニュースがあった。以下、引用。

 イムケ・ヴェーベンホルスト氏は女性として初めてドイツ男子サッカーリーグの上位5カテゴリで指導者になった。彼女はドイツ5部リーグ「ニーダーザクセン・オーバーリーガ」で最下位に沈むクロッペンブルクの指揮官に就任した。監督がロッカールームに入室する際、選手が服を着た状態かはっきりとさせるため声をかけるのか?とウェルト紙の記者が冗談めかして尋ねると、30歳の監督は、「もちろんしない。私はプロ。男性器の大きさで起用する選手を選んでいる」と皮肉を込めて答えた。同監督は「自分が他の女性にとっての先駆者と見なされたくない」という。チーム公式サイトで監督は「この話題は私を悩ませている。私は自分の性別ではなく、その指導力で評価されたい」と語った。「リーグに残留するために、われわれには12試合しか残されていない。難しい仕事になる」、「何人かの仲間は、私の新しい仕事について自ら進んで死ぬようなものだと評し、なぜこんなことをするのかと聞いてきた。しかし、他のクラブが必ずしも私を求めているわけではない」、「今ある唯一の恐れは、私が女性であるという事実によって降格が批判されることだ」。

 素晴らしい。監督が指導力と成績以外の何で評価されるというのだろう。記者はお粗末だったが、老いぼれジャーナリストの批判などせずに、この監督が監督として成功することを祈ろう。

2019年1月17日 (木)

Welcome back to the 70`s

20190117_nhk

2019年1月16日 (水)

蜜柑と林檎

 コタツの上のカゴに盛られたミカンは冬の日常風景だった。昔は冬になるとスーパーの折り込みちらしには「ミカン1箱××円」という広告が必ず載っていた。ミカンは箱で買うものだったが、最近はそんな広告を見かけなくなった。その代わり、越冬用のリンゴを備える家庭が増えた。

 ミカンもリンゴもなぜか冬の果物。どちらも好きだが、どちらかといえばミカンよりもリンゴが好きだ。ミカンは南の果物で、リンゴは北の果物。ただそれだけの理由だ。

2019年1月15日 (火)

再び、若きスラッガー

 昨年も彼について記した。

 2018年2月1日 http://kasa.air-nifty.com/blog/2018/02/post-2472.html

 今年も彼の記事を見かけたので、記事を抜粋・引用する。

 横浜DeNAベイスターズの筒香嘉智選手(27)は報道陣を前に「昨年はスポーツ界でよくない問題点が浮き彫りになりました。時代は明らかに違う。スポーツ界が変わらないといけない。子どもたちのため。変わっていく必要がある」と語った。彼は昨年、「指導者の方が、指導というより暴言、罵声、事細かい指示が行われている。子供たちはできないのが当たり前。なぜそれに怒っているのか」とスポーツ界の問題点を指摘した。「小さいころから細かいことを詰め込み過ぎるとスーパースターは生まれにくいと思います」。

2019年1月14日 (月)

2019年 正月の楽しみ

 正月の楽しみのひとつが「古い映画」を観ること。正月の深夜は古い映画が放送されていたものだったが、近年は若い芸人や地方局が製作した番組などが放送されていて、減少傾向にある。

■ロング・グッドバイ(The Long Goodbye) 1973年アメリカ

 架空の人物で世界で有名な「探偵」といえばシャーロック・ホームズ、エルキュール・ポワロ。フィリップ・マーロウは、それらに次ぐ存在だろうか。レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説を原作とする映画。原作と映画では登場人物は同じでも、ストーリーが省かれたり、作り替えられたりしているようだ。1970年代のアメリカ映画の映像はいつもかっこいい。いくつかのアレンジで流れる「The Long Goodbye」の曲も同様。原作はもちろん、この映画にも影響を受けた文化人は多い。ラストシーン。ジェームズ・スペンサーならば、それが例え映画であっても、裏切った友人を殺さなかっただろう。金田一耕助ならば、頭を掻いて終わっただろう。

■ストレンジャー・ザン・パラダイス(Stranger Than Paradise) 1984年アメリカ

 モノクロの映画で奇怪な音楽が流れる。人生の歯車は多くの場合、ぎこちなく回る。しかし、それが噛み合って、うまく回ることもある。そうだからといって、みんなが幸せになるとは限らない。ほとんどのことは「それほど大きな意味はないのだ」と、気楽になれる。

■ストリート・オブ・ファイヤー(Streets of Fire) 1984年アメリカ

 この作品が1984年のアメリカ映画だったせいで、ずっと抱いていた勝手な先入観があった。ずっとブルース・スプリングスティーンの「闇に吠える街」(Darkness on the Edge of Town)に入っている「ストリート・オブ・ファイヤー」が主題歌だと思い込んでいた。映画の冒頭、「ロックンロールの夢物語」とテロップが現れ、全編のバックにロックミュージックが流れる。物語や時代背景などアメリカ人の心には刺さるのかもしれないが…。

■ボディガード(The Bodyguard) 1992年アメリカ

 映画「用心棒」、刀、そしてサムライと、バブル期の日本が影響力を持っていたことを表すような場面が登場する。若い頃、この映画を最も好きな映画だと話していた時期があった。「男が女性を、愛した女性を守る」というのは、映画に限らず、最も根元的なテーマ。“レイチェル・マロン”がプライベートジェットから駆け降りるラストシーンで「オールウェイズ・ラヴ・ユー」(I Will Always Love You)が流れる。この曲はホイットニー・ヒューストン最大のヒット曲で、「カントリーソングをリメイクしたもの」であることを知った。圧倒的な歌唱力で世界を魅了した歌姫は、もうこの世にいない。ケビン・コスナーはホイットニー・ヒューストンの葬儀で17分間の弔辞を読んだという。若い頃、この映画を最も好きな映画だと話していたことを誇りに思う。

■ディパーテッド(The Departed) 2006年アメリカ

 第79回アカデミー賞作品賞。マーティン・スコセッシ監督初のオスカー受賞作になった。「インファナル・アフェア」(Infernal Affairs 2002年 香港)のリメイクで、日本でも映像化(ダブルフェイス 2012年)された。ラストシーンまで息が抜けない。

■蝉しぐれ 2005年

 原作は藤沢周平氏の代表作「蝉しぐれ」。丹念に作り込むことができた分、出来はドラマ版(2003年)の方がいい。しかし、映画は監督・黒土三男氏の執念の作品。「藤沢氏と蝉しぐれ」への崇敬の念が、映画を美しいものにしている。ドラマ版の主役二人はこの役を足掛かりにし、映画の方は仕事として出演している、美しすぎる二人だった。何度か記しているとおり、ドラマ版で牧助左衛門を演じた勝野洋の演技は素晴らしい。

■必死剣 鳥刺し 2010年

 原作は藤沢周平氏「隠し剣孤影抄」の短編「必死剣鳥刺し」。この小説の主人公は死を覚悟して生きる者。主演の豊川悦司にはオーラが漂っていて、生命力に満ち溢れている。それが仇となって前半は戸惑う。しかし、ラスト10分。壮絶な殺陣のシーンで、その生命力が活きる。

■アゲイン 28年目の甲子園 2015年日本

 「マスターズ甲子園」を題材に親子世代間の葛藤と融和を描いた映画。父親世代を演じた有名な俳優陣は食傷気味なキャスト。対して子供世代の俳優陣は次世代を背負う実力派が出演していたことに驚くほど。浜田省吾が主題歌に応じたのは野球、高校野球へのリスペクト(自身が高校球児だった)だろう。「マスターズ」世代への淡く切ない応援歌。

2019年1月12日 (土)

名誉ある静観

 隣国・韓国との関係が悪化している。韓国とはヒストリカルな課題があるが、その事に対してヒステリカルに対処しても仕方がない。多くの日本人は「ヒステリックなのは韓国(人)だ」と言うが、自分はそうは思わない。

 日本の人口は韓国の2.5倍、国土面積は3倍、GDPは3.5倍。韓国製品で欲しい物はひとつもないし、文化人やスポーツ選手、芸能人、政治家でも誰一人として影響を受ける人物いない。多くの国民が同じような感覚ではないだろうか?

 逆の立場を考えてみれば、関係悪化の根底にあるものが、羨望や嫉妬心に近いものであることは容易に想像がつく。

 それらの国民感情を、国内で濾過し、浄化し、政治や経済の発展に昇華させることが国際化ということだと思うが、彼らにはまだその機運がない。対日(抗日)政策で熱狂した大統領を、国民は必ず牢に入れるか、死に追い込む。

 未成熟な国・国民性であるところは日本と大差ないが、少なくとも国際的なルールを知っているという点では天地ほどの差がある。床や地面に寝転び、足をバタつかせ駄々をこねる子供をあやすのは労力がいる。腰をかがめ、膝を折り、飴かチョコレートかキャラメルが必要な時もある。

 彼らが大人になるのを待とう。彼らはやがて泣き止むだろう。名誉ある撤退ならぬ、名誉ある静観。ヒストリカルな議論、ヒステリカルな物言いの相手をしても、問題が何一つとして解決されないことは、これまでの歴史が証明している。

2019年1月 8日 (火)

新潟デビューと新潟ステップ

 JRAから2018年の年度代表馬など各賞が発表された。年度代表馬はアーモンドアイ(最優秀3歳牝馬も併せて受賞)。最優秀4歳以上牝馬・リスグラシュー、最優秀ダートホース・ルヴァンスレーヴ。3頭に共通するのは「新潟デビュー馬」。最優秀3歳牡馬・ブラストワンピースも新潟記念の勝ち馬。

 有力馬や良血馬、あるいは高額馬は秋以降の中央開催でデビュー戦を迎えることが多い。しかし、近年は競走馬の育成技術の向上や育成施設の充実から、競走馬の能力も早期に開発され、発揮されている。早い時期の新馬戦からも、多くの活躍馬が出ている。

 「夏の新潟デビュー」がオルフェーヴルやアーモンドアイのように大物輩出の第一歩になるといいし、「夏の新潟ステップ」がブラストワンピースのように大成する登竜門になるといい。

2019年1月 6日 (日)

原発への投融資

 メガバンクの一つ、りそなホールディングスは、核兵器を開発・製造・所持する企業に対して融資を行わない方針を定め、公表した。こうした取り組みは国内の大手銀行では初めだという。

 一昨年(2017年)7月に国連で「核兵器禁止条約」が採択された。欧州を中心に当該企業に対する融資を禁止する銀行や投資を行わないとする機関投資家が広がっているという。

 同HDが昨年11月に公表した「社会的責任投融資に向けた取組」には「核兵器・化学兵器・生物兵器や対人地雷・クラスター弾などの製造企業」、「人身売買や児童労働、強制労働への関与が認められる企業」、「環境に重大な負の影響を及ぼすおそれのある開発プロジェクト」などへ融資を行わないと明記され、融資先の社会・環境に配慮した活動を支援するとした。

 メガバンク大手4行と、大手4生保にアンケートを実施したところ、いずれも非人道的兵器への投融資を回避する方針は策定しているものの、融資対象外として核兵器製造企業を明記していなかった。2行は「核兵器製造を使途とする融資は禁止している」と説明し、2行は「個別取引ごとに慎重に判断している」と回答した。(毎日新聞)

 日本の銀行はラブホテルの建設資金は融資しないが、核兵器の部品製造には融資してきたのだろう。原子力発電への投融資は、いつ規制されるだろう。我々の暮らしでは、原子力発電による電力を使用せず、もうすぐ丸8年が過ぎる。

2019年1月 4日 (金)

路上から空中へ

 フォークギターによる路上ライブを繰り返し、スターになった男性2人組に関するニュースが目に留まった。

 彼らは12月に自身の公式サイトで「今後の活動について重要なお知らせがあります」と告知。お知らせの公表日について、日付と時刻を指定していたことから、解散等の重要な発表かと身構えるファンが多数いたという。

 しかし、発表された重要なお知らせは「2019年のツアーが決定した」というものだった。発表は彼らがインターネットテレビに出演する形で行われたといい、内容がネガティブなものではなかったため、ファンの間では今回の発表方法について賛否が分かれているという。

 路上から歩み始めた2人が、現在は空中にいるということだろう。

2019年1月 3日 (木)

初詣

20190103 蒼紫神社(あおしじんじゃ)へ。参道にはわずかに雪が残っている程度で、大げさな降雪予報は「外れ」に近い。尤も、予報する側からしてみれば、軽い降雪予報が外れるよりは逆の方がいいわけで。

2019年1月 1日 (火)

非戦

 算数と数学が苦手な自分が数字に囲まれた職業を選択し、今ではそこから抜け出せないで生きていることに、苦笑いするしかない。

 ずっと算数と数学から逃げてきて、それらの試験からも逃避し続けた。

 そのことがある意味、「負けの人生」の要因であるのだが、それは「不幸な人生」ではない。

 進むか退くか、挑戦か撤退か。自分の人生の選択は、撤退や現状維持とする判断が多数を占めた。

 不登校、登校拒否をした経験がある子供達が多数を占めたら、その時、世界から戦争が無くなるような気がする。勝つこと負けることよりも戦わないことを選択するから。

 撤退や現状維持が、立派な戦略であり、人生の指針・方針である世の中に変わりつつある。

2018年12月30日 (日)

1234から1324

 人間のタイプには様々な類型がある。あまりに低レベルの分類で恥ずかしい気持ちがあるが、わかりやすいので4つのタイプを例示してみる。

 タイプ1  仕事の能力が高く、人間的な魅力がある人(成績が良くて、性格も良い)

 タイプ2  仕事の能力が高く、人間的な魅力が低い人(成績が良いが、性格が悪い)

 タイプ3  仕事の能力は相対的に低く、人間的な魅力がある人(成績が悪いが、性格は良い)

 タイプ4  仕事の能力は相対的に低く、人間的な魅力が低い人(成績が悪く、性格も良い)

 これまでの社会ではタイプ1、次にタイプ2、タイプ3、タイプ4の順に、特に会社や学校で評価されてきた。

 これからの社会ではタイプ1、次にタイプ3、タイプ2、タイプ4の順に評価されるのではないか。

 かなり確信的にそう思っている。

2018年12月29日 (土)

リフォーム

 お洒落をすることや流行にはかなり疎い。しかし、そこに興味があるなしに関わらず、最低限のマナーはあると思うので、多少は気を配る。

 スーツ、スラックス、ワイシャツ、ネクタイ、靴、ベルト、ハンカチ…。男が公(おおやけ)の場面で身につけるものはこのくらい。衣類は特に毎年毎年の流行はあるが、気にしたことはない。それでも仮に「5年放って置いた」とすれば、たいへんなことになる。

 少し古くなったスラックスをリフォームに出している。この夏に夏物を2本。先月、今月と冬物を2本。

 リフォームの内容は「幅詰め(はばつめ)」。幅詰めは膝を頂点に三角形状に生地を切り取る。その際、デザインを損なわないように膝から下の2ヶ所を切り取り、それぞれを縫製する。左右で4ヶ所。その仕事の跡はどこにも見えないほど鮮やかだ。

 繊維産業が発達した町で育った自分にとって、裁縫や洋裁は身近なものだった。何十台もミシンが並ぶ工場が近所にあったし、ミシンを鮮やかに操る女性を何人も見てきた。

 少し古い形のスラックスが、再生される喜び。その喜びの中には、熟練された技術(裁縫・洋裁の世界ではたいしたことではないのかもしれないが)、見事な仕事に対する敬意の気持ちが入っている。

 「次はどのスーツを再生しようか」と考えている。

2018年12月28日 (金)

歯の打撲

 先日、不注意で転倒した。濡れた路面、滑りやすい靴、原因はいくつかあるが、自分の不注意に尽きる。転倒する姿はマンガやドラマで見かける大げさな演技のようだったと思う。

 打撲や擦り傷程度で済んだので良かったが、唯一、奥歯に残る違和感が気になっていた。

 調べてみると ①歯は交通事故、転倒、人や物との衝突、けんかなどで打撲症状があること。 ②歯が浮いたような「挺出感(ていしゅつかん)」が続くことがあること。 ③その場合、1週間ほど安静を保つことで自然に治癒すること。を知った。

 転んで得たものは、歯に打撲症状があることと挺出感という言葉だ。

2018年12月27日 (木)

長い時間

 今日は今シーズン初めて、本格的な雪が降った。

 仕事で車に人を乗せ、往復4時間運転した。雪道の運転は楽しいものではないが、それ以上に助手席に乗った人との会話(とは言っても、ただ一方的に向こうが話しているだけだったが)が苦痛を極めた。

 同乗者にはいくつか同情すべき点があり、情状酌量の余地はある。今日が初対面だったこと、先方がサービス業の営業担当だということ。しかし、長い忍苦の時間となった大方の責任は彼にある。

 今回のような状況下で、自分への戒めの意味で記しておきたいことは、「無言・沈黙を恐れない」ということだ。

2018年12月26日 (水)

写真のタイトル

20181225 「黄昏時」 「雨上がり」 「踏切」 「線路」 「貨物列車」 「棄てられた自転車」 「テールランプ」

2018年12月25日 (火)

立花登青春手控え3 2

 藤沢周平氏の「獄医 立花登手控え」を原作とするNHKBSプレミアム時代劇「立花登青春手控え3」が完結。全7回と短いシリーズだったが、第6話「影の男」などが心に残る。

 但し、“ 人を知らずして医はその技を揮(ふる)えず 心を知らずしてその道を歩めず ”のコピーはいささか誇大広告気味か。

 立花登の「医術」によって救われたエピソードは僅か。彼の「柔術」によって不器用に生きる多くの人々が救われた。

2018年12月24日 (月)

クリスマス

 2007年の秋に政権を放り投げた安倍首相が、民主党政権に代わって第2次安倍政権を誕生させたのが2012年12月26日だった。明後日でちょうど6年になる。

 2018年下期に入って日経平均株価は10月2日の24,448円(取引時間中)を高値として、連休前の週末に20,006円(同)の安値をつけた。下落幅は▲4,442円、下落率は▲18%。

 ニューヨークダウ平均株価は10月3日の26,951㌦(取引時間中)を高値として、同じ週末に22,396㌦(同)の安値をつけた。下落幅は▲4,555㌦、下落率▲17%。 

 アベノミクスは一巡した。ちょうど循環が終わった。多少、手遅れではあるが、経済的な面、特に働かずして得た“あぶく銭”については、その泡が消えないうちに自己防衛すべき。もちろん、国や政治が後追いするような、「生活改革を志向する一部の成長業種と企業」に対する投資は含まない。

 今年のクリスマスに鳴る鐘は「警鐘」。 「警鐘」というクリスマスプレゼント。

2018年12月23日 (日)

不穏な空気

 天皇誕生日。陛下は在位中で最後の誕生日となる23日を前に、自身の生涯と自身の御代「平成」を振り返られた。

 多くの叡智と思慮に満ちた言葉の数々。その中で次の一文が名言であり金言。

 「我が国の戦後の平和と繁栄が、多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」

 一方、週末に報じられたニュースの中には不穏な空気が漂っている。

 ①「国連予算の分担率で、日本はこれまで30年以上に渡ってアメリカに次ぐ2位の予算を負担してきたが、次年度から中国に抜かれ3位に後退する」という事実。これに対し、「日本の経済力の相対的低下と、世界第2位の経済力を持つ中国の成長を印象付けた」という報道。

 ②「政府はクジラ資源の管理を担うIWC(国際捕鯨委員会)から脱退する方針を固めた」という事実。これに対し、「日本の国際機関からの脱退は異例。国際社会から協調軽視との批判を浴びることは必至」という報道。

 ③「政府は韓国海軍の駆逐艦が海上自衛隊の哨戒機に対して火器管制用レーダーを照射(ロックオン)したことに対し、韓国に抗議した」という事実。

 「アジアとの共生」、「世界との協調」は天皇陛下の“遺言”と受け取ったのだが。

2018年12月22日 (土)

2018年 有馬記念

20181222 リピーターレースである有馬記念。今年、その資格を持つのはシュヴァルグラン(父ハーツクライ)だが、6歳馬の彼にとって強い3歳・4歳世代の台頭を封じるのは至難の業だろう。外枠も厳しい。

 「来年リピートする馬の1回目」という逆算と、最も好きな馬であるブラストワンピース(父ハービンジャー)に期待。しかし、この馬は上がり3ハロン最速でも届かない可能性がある。

 やはり、レイデオロ(父キングカメハメハ)は外せない。C.ルメール騎手は“年度代表騎手”だろう。キセキ(父ルーラーシップ)も凄い馬だが、天皇賞・秋、ジャパンカップのレースレコードを演出した彼に、余力が残っているかどうか。この馬も外枠。ミッキーロケット(父キングカメハメハ)は宝塚記念を勝っており、無印は危険。

 今年の有馬記念はもう1頭、是非オジュウチョウサン(父ステイゴールド)を買いたいと思っていたのだが。枠順抽選会で武豊ジョッキーが1枠1番を引き当てたシーンがあまりに劇的過ぎた。平地GⅠ歴戦の馬たちを退けるのは難儀だ。内枠+M・デムーロ騎手のモズカッチャン(父ハービンジャー)の評価を上げる。内枠からもう1頭。マカヒキ(父ディープインパクト)とサトノダイヤモンド(父ディープインパクト)に挟まれたパフォーマプロミス(父ステイゴールド)を。

 ◎レイデオロ ○ブラストワンピース ▲モズカッチャン △ミッキーロケット △パフォーマプロミス

【12/23 追記】平成最後の有馬記念(第63回)は唯一の3歳馬 ブラストワンピースが馬場の真ん中を力強く抜け出し快勝。2着レイデオロ、3着シュヴァルグラン。「内枠有利」のレースにはならなかったが、「3歳馬が強いレース」、「リピーターレース」の傾向はそのままだった。障害王者・オジュウチョウサンは9着。一昨年のダービー馬に先着しているのだから、充分過ぎるほど力は示した。

2018年12月21日 (金)

ボディブローのように

 あるニュースのインタビューで不幸な境遇にいる彼は「ボディブローのように効いてきた」と答えていた。その言葉を聞いて、少し醒めたような気になった。

 ボクシングのパンチの種類にボディブローというのがある。パンチの種類には他にもストレートやアッパー、ジャブ、フックなどがあるが、腹部を打つボディブローだけが、様々な場面で「例え」として使われる。その使われ方というのが「ボディブローのように」。

 一撃で倒したり、倒されることは少ないが、ジワジワと打撃を与え(あるいは受け)、徐々に悪い方向に向かうことを比喩的に表現する時に慣用句的に使われる。

 しかし、「ボディブロー」が「ジワジワと効いてくる」というのは、なぜだろう。彼や、その慣用句を使う人たちはボクシングの経験者だろうか。あるいは経験者でなくとも、ストリートファイトや仲間とのイザコザでケンカの経験があるからだろうか。本当にボディブローはジワジワと効いてくるのだろうか。

 「徐々に追いつめられて」、「少しずつ予期せぬ方向へ」など、その方がわかりやすく、かつ、胸に迫る言葉がたくさんある。

 取って付けたような表現は、人の心を冷めさせる。

2018年12月20日 (木)

鉄の音(長岡市)

20181217 月曜の午後。半円の虹がかかった。

 今週は忘年会。近年、大手通でシャッターを閉めていた店舗が次々と飲食店になっている。「鉄の音」(てつのね)もそんな飲食店のひとつ。

 悪くない店だが、料理を愉しむという雰囲気はない。仲間でわいわい酒を酌み交わす店。地元民なら誰もが知るファストフード店が経営母体だとか。飲食メニューの中に中途半端に粉ものを織り交ぜるのではなく、いっそのこと、それらのもので酒を飲ませたらどうか。焼きそば、お好み焼き、締めはソフトクリームでいい。それが看板メニューなのだから。

 長岡大手通酒場 鉄の音 長岡市大手通2-2-12 ℡050-3314-1301 営業時間:17時~24時 定休日:日曜・年末年始

2018年12月19日 (水)

秋葉原

 秋葉原という街を初めて訪れた。学生の頃から「家電の街」だったが、当時から現在まで、縁もなく用もなかった。

 バブル期以降は“オタク文化”の発信地として、独特・特殊な街というイメージを背負った。やがて秋葉原は日本のメインストリームから外れたサブカルチャー文化の発信地としての地位を築いた。近年、AKIHABARAは、その文化を体験しようとする外国人旅行客が多数訪れる観光地になった。同時に急速にオフィス街化が進んでいる。

 初めて訪れた秋葉原の街は、整然としていて、抱いていたイメージとは正反対だった。思い切って秋葉原の文化に触れる施設にも入ってみた。ここもイメージとかけ離れた良質のサービスを提供していた。

 家電、アニメ、アイドル…。いつまでもサブカルチャーではない。文化にも新陳代謝が必要だ。

2018年12月18日 (火)

高田公園(上越市)

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 桜で有名な高田公園。中でも有名な夜桜は日本三大夜桜のひとつに数えられる。「高田城百万人観桜会」と名付けられているとおり、期間中は花見客でごった返す。

  この公園を訪れると、いつも同じことを考える。それは、藤沢周平氏の影響で度々訪れる「鶴岡市(山形県)に似ているなぁ」と思うこと。

 上越市は1971年に高田市と直江津市が合併した都市。当時の人口(概数)は、高田市が75千人、直江津市が45千人。平成の大合併を経て、上越市の人口は192千人。山形県鶴岡市は現在125千人、同酒田市は102千人。仮に両市を合併した“庄内市”は227千人になる。

 高田市と鶴岡市は城下町。直江津市と酒田市は北前船の寄港地で商業都市、あるいは港を持つ漁師町という点でも似ている。こうした都市の特性や規模が似ていることに加えて、高田公園と鶴岡公園がとてもよく似ている。

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2018年12月17日 (月)

プラカード、署名、演説

 3月と12月の平均気温を比較すると、12月の方が若干高い。先週の雪は街角から消え、穏やかに晴れた日曜の午後、市庁舎前の街頭が賑やかだった。

 賑やかだった理由は動員された人たちがいたから。ひとつは政党。のぼりを片手に署名活動。もうひとつは宗教団体。チラシを配りながら勧誘活動。

 2つのグループでは若い女性の姿が目立った。プラカード、のぼり、チラシ、署名活動、そして演説。2つのグループは似たようなやり方で似たようなことを言っている。

 政党の署名活動の方は大人数で攻めてくるが、ひとりひとりの圧力は弱い。一方、宗教の方は、数人なのに懸命さや必死さは伝わってくる。しかし、演説の内容は終末論と末法思想。

 その光景は、型の整わないピースで構成された「パズル」を組み立てるような感覚に映った。

2018年12月16日 (日)

繋がらないバトン

 この冬の間に閉店することが公表されている「イトーヨーカドー丸大長岡店」へ。ひとつひとつのフロアを眺め、歩いた。多少、センチメンタルな気分で帰ってきた。

 同店の開店は1988年。満30歳は“平成の世”30年間と符合する。時代の変わり目、節目としてはいい区切り考えられ、潮時とも言える。

【長岡市の大規模店の変遷・盛衰】(平成以降) 1988年 イトーヨーカドー丸大長岡店開店 1989年 ジャスコ長岡店開店 1995年 長崎屋長岡店閉店 1997年 イチムラ百貨店閉店/丸専デパート閉店 2000年 プライス(丸大)閉店 2005年 ダイエー長岡店閉店 2007年 リバーサイド千秋開店 2010年 大和長岡店閉店 2019年 イトーヨーカドー丸大長岡店閉店

 閉店理由には様々な見方がある。売上低迷、他店との競合、小売業態の環境変化。車社会になったことによる利便性欠如等々。しかし、そのどれもが本質ではないと思う。

 地方のどこの中小都市の駅前ビルが、デパートとして成功し、成立しているだろう。人口減少。少子化。インターネットを介した商取引の増大。中央資本への富の集中。

 これまでの世の中には、地方にもバトンの受け手がいた。しかし、これからの世の中にはバトンの受け手がいない。

 「バトンが繋がらない社会」では営みが止まる。

2018年12月15日 (土)

手帳のこと 2018

20181215 手帳を買う時期が来た。去年も手帳について長々と記した。

 去年は手帳の購入を躊躇した結果、思い切って100円ショップのものにした。元々、手帳でスケジュール管理していないし、必要最低限の機能に絞れば、それで充分に足りたと思っている。しかし、多少の不便もあって、結局、もう一冊を併用する形になった。

 「手帳産業や業界が縮小傾向にあることは想像に難くない」と、去年書いたが、その真逆に「大人気の手帳がある」と見聞きして、2019年用はそれを購入した。

 丁寧な造り。配慮された設計。気の利いた付属物。パラパラとめくっただけで、その性能に驚かされる。使用中の100円手帳と比較すれば、品質の差はあきらかだった。しかし、その高揚感は長く続かなかった。

 手帳の半分、およそ70ページを占める方眼メモに、俺は一体何を書くだろう。フォントサイズが6か5の路線図は老眼で使えない。経本のようなサイズや触感は「ありがたみ」があり、とても雑に扱えない。手帳は身近なツール。使いやすさ重視、相性重視。これでは手帳に使われてしまう。

 そう考えると、一昨年まで使っていた手帳メーカーのものが、自分に合っていたことに気づかされる。以下は昨年のブログから引用。

 「何年もの間、手帳は決まったものを使っていた。購入したその日のうちに裏表紙をめくった頁に氏名などを記入する。その手帳にはアドレス帳が別冊に挟み込まれていて、そのアドレス帳は買ったその日に処分する。これは年に1度の決まり事だった。今年もその決まり事を受け継いで、過去の手帳に積み重ねることも価値あることかもしれない」

2018年12月14日 (金)

辺野古

 辺野古。なかなか「へのこ」とは読めなかったはずだが、今では大多数の日本人がこの地名を知っている。

 14日、在日アメリカ軍普天間飛行場を沖縄県名護市辺野古へ移設するため、政府が建設地となる海への土砂投入を開始した。

 安倍政権によって数々の生煮え案件が強権的に執行されることに、日本人は慣れてしまった。インターネットで多数の支持「いいね」を受けている代表的なコメントを抜粋・引用してみる。

 ①米軍基地は国民の要請で配置されているわけではない。敗戦により民主主義の防波堤になっているに過ぎない。それ故に沖縄が中国に侵略されていない。中国に乗っ取られたら、観光資源の海は汚染され、沖縄で商売できなくなる。沖縄の税金で建設されているわけではない。基地負担に対する補助金も国民の血税が投入されている。無駄にするわけにいくもんか。

 ②安倍氏の地元・山口県には岩国基地、菅氏の地元・神奈川県には横須賀基地や厚木基地がある。米軍基地の負担は何も沖縄だけが背負っている訳じゃない。沖縄だけが犠牲者ヅラしないで欲しい。

 ③沖縄の人達の気持ちは察します。鳩山政権時に希望を見せられ裏切られた形。責任が取れない国家運営する能力がない政党が政権を取ると問題を修復するのが大変です。

 ④自然破壊が反対の理由であれば那覇空港の新滑走路建設にも同様の熱量をもって反対すべきではないか。地政学的観点からも沖縄から基地を無くすことは不可能でしょう。沖縄の負担を軽減して分散することは必要でしょうけど。

 ⑤民意が反対ならば、国からの振興費を断ってからでないと違うように思います。反対だけど金をくれ?って矛盾を感じます。県民投票で賛成多数になったら知事はそれに従うのですか?

 ⑥沖縄県が国地方係争処理委員会の設置と審査の申出をしているようですが、設置要件に及ばない蓋然性が高い。時間と税の無駄使いをしているならば、国の特別補助金を受け入れ、県民の社会福祉・地域振興に行政の矛先を向けた方が沖縄県のためになるのではないのでしょうか。沖縄は地政学的に基地設置せざるを得ない現状に間違いはなく、沖縄の統治をするものがどこであれ安全保障において基地設置を免れることはない。

 これらのコメントは、いずれも「暴論」なのに、ネット記事閲覧者の大多数から支持を受けている。

 このように「沖縄」は何度も埋め立てられる。「沖縄」は戦場であり続ける。

 自国民の多数派が沖縄の味方ではないという現実。

 「辺野古」の地名は知っていても、辺野古が沖縄のどこなのか、指をさせる日本人は少ないだろう。

2018年12月13日 (木)

分水嶺

20181213 人に迷惑をかけないこと。弱い者いじめをしないこと。困っている人を助けること。老人を労ること。

 親に教わったことはそのくらいだ。

 物事をどの方向から捉えるようになるか。その分岐点は10歳になる前にはやってくる。

 雨や大気中、地中の水分が分水嶺によって流れ出す方向が決まっていくように、人がどのように生きていくことになるかの分水嶺がある。

2018年12月12日 (水)

安全パイ

 テレビタレントやテレビ番組について、あれこれ記しても意味がないのだが、彼の味方が少ないようなので…。

 多数の漫才師などがネタを披露する番組で、米軍基地や性的少数者(LGBT)、朝鮮学校、原子力発電の問題などについて、社会風刺を交えた漫才をした芸人コンビがいた。彼らはおよそ6分半の間、ほぼ時事問題ばかりの漫才を披露した。

 会場にいた観覧者や、おそらく視聴者も、爆笑とか大笑いしたとはいえないが、とても良かったと思う。これだけ多様性が叫ばれている社会で、笑いにも多様性があるべき。彼らの漫才は、今はまだ「苦笑い」にとどまったが、それでかまわない。

 漫才師に限らず、テレビタレントや映画俳優などが社会を風刺することも「あり」だ。過去の芸能史を辿れば、それなりに社会風刺があったと思われるが、少なくとも現在はゼロに等しい(もちろん一部例外的な芸人もいる)。

 現在は、勲章をもらったり、権力者と食事する大物芸人が幅を利かせている。勲章は向こう側が「あげるよ」と言ってくるもの。食事も向こう側から誘ってくる。代金を割り勘したからいいってものではない。こちら側から「勲章くれよ」、こちら側から「総理大臣、メシ行こうよ」というのは通じないはず。つまり、彼らは「安全パイ」なのだ。

 そのことに気づき、狭い獣道(けものみち)を歩き始めた芸人がいることを、とても微笑ましく思っている。

2018年12月11日 (火)

酒場の匂い

 年末に向けた仕事の峠はこの辺りか。まだ3週ある。奥に峠があるだろう。

 厄介な残業を終えて、外に出ると気温は思った以上に下がっていた。コートのボタンを急いで留め、帰り道には駅ビルの中を通るルートを選択した。わずかに遠回りになるが、こちらにはずっと屋根がある。

 ショッピング街のシャッターが降りる頃、駅に向かって歩く人の頬はほのかに赤い。そして、すれ違い様にアルコールの臭いがする。

 思いがけず酒場の扉が開き、そこから独特の生暖かい空気が噴き出す。その生暖かい空気が凍てついた道を歩く者を誘う。

 厨房から聞こえる音。熱燗から立ち上る微かに香る気体。鍋から小鉢に盛り変えられた煮込みが放つ湯気。人々の動作、賑やかな会話。笑顔と愚痴。それらすべてが酒場の匂い。

2018年12月10日 (月)

闇の歯車

 CS放送「時代劇専門チャンネル」の開局20周年記念として藤沢周平原作が映像化されている。第3弾にして最後の番組が「闇の歯車」。

 藤沢作品の中で「闇の歯車」は異色と評されることが多い。「闇の歯車はサスペンス」というのが定説。確かに物語をジャンル分けすればそういうことになるが、藤沢氏の長編は「雲奔る」、「義民が駆ける」、そして「闇の歯車」と続く。藤沢氏がその後、大作家の道を歩んだ(時代小説家として。御本人は偉ぶる素振りもない)ことを顧(かえり)みれば、初期の作品といえる。

 刊行当時、既に直木賞作家だった藤沢氏に対して失礼だが、ある意味“試行錯誤” あるいは “目先を変える”という意味合いがあったのではないかと愚推する。藤沢氏がハードボイルドでも、淡い恋愛小説でも、“ジャンルを問わずこなしたであろう”ことは、氏のファンなら衆目一致するところだろう。

 今回製作される映像はテレビ放送の前に大都市の映画館で限定上映されるという。没後20年以上を経て、「藤沢作品の集客力」が試されているような気になる。佐之助を演じるのは瑛太、伊兵衛は橋爪功。CSでの放送は2019年2月9日。BS放送、つまり自分が視聴するのは来年の今頃だろうか。

2018年12月 9日 (日)

春成百日 冬成一日

20181209 冬から春になるまでは100日かかる。

 冬になるには1日で足りる。

2018年12月 8日 (土)

少子高齢化

 日本の社会構造を一変させる「歴史的政策転換」と言われる改正出入国管理法が、今朝、未明の参院で可決成立した。

 現在の、または将来の国の政策や制度を検討する時、そのほとんどが「少子高齢化」に行き着く。そこに帰結するのは当然なのだが、科学的分析、統計的分析は数十年前から言われていたこと。この国は国民主権の国。将来を見据えた選択をしてこなかった「国民」の責任は重い。

 それにしても「少子高齢化」に責任を転嫁し、責任を依存するのは、これまで後手後手の対策しか実行されなかったこと以上に恥ずかしい姿だ。

 最近、2017年9月のウェブページに記したことを自画自賛している。

    http://kasa.air-nifty.com/blog/20170901.html

  1 遷都(首都移転)  2 資産課税(富裕税)  3 宗教法人課税

 骨太などという言葉は使い古されているが、「大鉈(おおなた)」というのはこのような“ショック療法的施策”だと思う。社会的なショック療法は庶民にばかり施(ほどこ)され、その後遺症に苦しまされるが、この3つの施策は既得権益層に効く。

 姑息な政権による姑息な施策ばかりが、“強行採決だらけ”という手段で採決されていく。この時代の選択が将来に禍根を残すように思う。

2018年12月 7日 (金)

閉塞冬成

 二十四節気の「大雪(たいせつ)」  七十二侯の「閉塞(そらさむく)冬と成る」

 冬型の気圧配置が強まる影響で、北日本・日本海側で大雪や暴風となる予報が出ている。

 暦(こよみ)は予知機能を持っている。冬が来ることがわかり、雪が降ることがわかる。

2018年12月 6日 (木)

競馬を愛する人々

 今年の有馬記念(12月23日)ファン投票の結果が発表された。ファン投票の得票上位10頭には有馬記念への優先出走権が与えられる。

 1位はレイデオロ(2017 ダービー、2018 天皇賞・秋)、2位はアーモンドアイ(2018 牝馬3冠馬、2018 ジャパンカップ)。これに続く3位にオジュウチョウサン(2016~2018 障害GⅠ5勝)が選出された。上位3頭だけが10万票を超え、得票数でオジュウチョウサンは3強を形成した。

 このようなことは競馬では度々起こる。

 オジュウチョウサン(父ステイゴールド)は障害競走の絶対王者。しかし、平地では1000万条件勝ちの実績しかない。彼は有馬記念の前日に行われる中山大障害(1着賞金6600万円)に出走すれば、勝つ確率が高い。少なくとも有馬記念を勝利する確率よりはかなり高い。それでも、彼のオーナーや厩舎は彼を有馬記念に出走させる。もちろん、競馬はギャンブルなので “胴元” = JRA の思惑もあるだろう。

 競馬を愛する人々の多くは「夢や浪漫を抱く人々」で構成されている。だからファン投票で票を投じる。実際に馬券を買う。出走頭数にもよるが、上位人気に推されても何ら不思議ではない。

 最近10年間の有馬記念でオジュウチョウサンの父、ステイゴールドの産駒は4勝している。彼は有馬記念が行われる中山競馬場で実施された障害GⅠを5連勝している。これらのことを競馬ファンは知っている。そして、「奇跡的な出来事が少なからず起こるのが競馬」だということを競馬ファンは知っている。そして、「ギャンブラーは自ら穴を掘り、その穴に落ちるような特性がある」ことも、競馬ファンは知っている。

 競馬を愛する人々はロマンチスト。憎めない、愛すべき人々。

2018年12月 5日 (水)

加害者としての被害者

 大相撲の力士・貴ノ岩が付け人の力士に暴行したことが明らかになった。貴ノ岩は昨年、横綱(当時)日馬富士から暴行を受けた被害者だった。

 相撲界に残る暴力体質、体罰の慣習は、これまで度重なる事件で白日のもとに晒されてきた。相撲界の悪しき伝統に加え、彼らモンゴル人の国民性やモンゴル出身力士のコミュニティがそういったものに寛容(日常的)である可能性もある。

 才能に恵まれた力士が、その能力を発揮できないままで、引退したり、怪我に苦しんだり、頓挫することは、モンゴル人力士に支えられている相撲界にとって損失以外のなにものでもない。

 これ以上、「被害者を出さない」ということはもちろん、「加害者という被害者を出さない」ためにも、相撲協会に課せられた責任は大きい。

2018年12月 4日 (火)

罪刑法定主義

 師走としては記録的な暖かさを記録した今日、お昼のワイドショーでは各局が「東名あおり事故」の裁判員裁判を取り上げていた。

 東名あおり事故 … 2017年6月、神奈川県の東名高速道路上で、あおり運転で停車させた車に大型トラックが追突。停車させられた車から降り、路上にいた夫婦を死なせたとして、26歳の男が危険運転致死傷罪などに問われている。

 ワイドショーの司会を務めるテレビタレントは被害者や遺族側に立ち、被告を厳罰に処すべきと世論を誘導している。世論もそちら側になびいている。

 「罪刑法定主義」 どのような行為が犯罪であるか、その犯罪に対してどのような刑が科せられるかは、あらかじめ法律によって定められることを要するとする原則。これには4つの派生原則 ① 慣習刑法の排除 ② 遡及処罰の禁止 ③ 絶対的不定期刑の禁止 ④ 類推解釈の禁止 がある。

 被告には厳罰を望む。しかし、それは「予め定められた法律の範囲内」で。

 感情で刑罰が決められる世の中は、恐ろしい世の中だ。

 被告は刑務所ではなく、実社会で罪を償うという道がある。そう考える理由は、被告にとってむしろその方が厳罰だと思うからだ。

2018年12月 3日 (月)

炭坑夫とジャーナリスト

 ロシアではジャーナリストの殺害が日常的に起こる。

 国際的な非営利団体「ジャーナリスト保護委員会」(Committee to Protect Journalists:CPJ)によれば、1992年以降、ロシアでは58人のジャーナリストが殺害されている。

 ロシアの新聞記者がインタビューで「炭坑夫が炭坑に入るように、警察官がパトロールに出掛けるように、我々は取材活動を行う」と語っていた。

 彼は炭坑夫と警察官に例えた真意は「ジャーナリストは、炭坑夫や警察官と同じように、その職を全うしようと思えば、命の危険が伴う職業だ」という矜持だ。

 日本の記者やジャーナリストは、新聞社やテレビ会社、メディアの社員という意識の他に「命を賭した仕事である」という認識を持つ人はどのくらいいるだろうか。自称“ジャーナリスト”が大半だろう。

2018年12月 2日 (日)

皇嗣の見識

 秋篠宮文仁親王(以下、親王)が53歳の誕生日を前にした記者会見(22日)の内容が公開され、皇室行事・大嘗祭(だいじょうさい)について、「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と述べ、公費で賄うとする政府見解と異なる考えであることを示された。

 大嘗祭は、一世に一回の儀式で、新天皇が世の中の安寧と五穀豊穣を祈る儀式。前回、大嘗祭が行われ、公費支出された際にも「政教分離に反する」という批判が一部にあった。

 親王は来年5月に皇嗣(こうし)となる方。その方が「内廷費(皇室の私費)で賄うべきではないか」と、政府方針に疑義を呈したことが「異例だ」と報道されている。この会見で親王は、自身の家族の婚姻に関する報道についても真摯に穏やかに現状認識を示されていた。

 高いバランス感覚を持った、極めて優れた人物なのだと感心し、感嘆した。

 諸外国との皇室外交等で培われた国際感覚。官舎住まいだった后(きさき)を選ばれた庶民感覚。そして、考え方を異にする者たちへの“市民感覚”。

 今回の発言は異例でもなんでもなく、皇嗣の見識に、政府もマスコミも追いついていないだけだろう。

2018年12月 1日 (土)

朝まで生テレビ

 昨日の深夜に放送された「朝まで生テレビ」の録画を見終わった。それこそ学生の頃は、本当に朝まで見ていた。もう30年近く前になる。

 今回のテーマは「激論!外国人労働者問題と日本の未来」。このテーマは「30年前と一緒だな」と思っていたら、番組HPにそのことが記されていた。

 「朝まで生テレビ」では、1990年の入管法改正を前に「激論!開国 or 鎖国 どうする外国人労働者」(1989年10月)を放送しました。あれから約30年。果たして何がどう変わったのでしょうか。改めて、人口減少の実態、外国人労働者を受入れ、共生している自治体の実状を含め、外国人労働者問題と日本の将来について徹底討論する」(抜粋)

 つけ加えるなら「激論!外国人急増!ドーするニッポン」(1992年1月)の記憶も残っている。

 在日外国人は約264万人(法務省)。これは都道府県人口13位の京都府の人口よりも多い。外国人労働者は約128万人(厚労省)。これは同じく31位の青森県の人口を凌ぐ。長岡のような田舎でも、外国人労働者を見かけることが珍しくなくなった。

 外国人労働者の受入れや処遇、そして外国人の移民問題の本質は、日本の少子高齢・人口減少の問題。彼ら、彼女らの力を借りなければ、この国は生き延びて行くことはできず、国が成り立たない。

 政府が入国管理法の改正を急ぐ大きな理由が、経済界・産業界との“バーター取引”であることは容易に想像がつく。

    http://kasa.air-nifty.com/blog/2016/06/post-feb3.html

    http://kasa.air-nifty.com/blog/2018/11/post-06f8.html

    http://kasa.air-nifty.com/blog/2018/11/2-c9e3.html

2018年11月30日 (金)

本の帯

 芸人には多才な才能に恵まれた人が多い。企画力、着想・発想力、構成力、演技力、体力、コミュニケーション能力…多くの才能を兼備していなければ、“売れっ子”になることは難しい。

 あるバラエティ番組で見た彼は、活躍の場をテレビや演芸場から、芸術分野やインターネットを活用したビジネスの分野などに拡げている。そういった活躍を続ける中で、彼が記した本が異例の売り上げを記録したという。

 彼の本の「帯」には、日本を代表する大物プロデューサー、IT企業の社長、有名な実業家や出版社社長等が推薦文を寄せている。彼には多少興味を持ったのだが、帯の面々を見聞きして、購入をとりやめた。

 多読家でない自分は、本選びには慎重になる。可能な限り、(読後感の悪い)失敗の数を少なくしたい。自分が好きな作家やジャンルだけを読むことや嫌いな物は避ける傾向は、もしかすると読書の本質から逸脱し、醍醐味を味わえないでいるのかもしれない。気分や大げさなにいえば、自分が置かれている境遇で、これまで手に取らなかった作家や分野の本を購入することがある。自分にも何度かそのように高揚した気分の時があった。しかし、そんな時に“挑戦”した本では、失敗した経験しかない。

 「帯の文などはオマケ。本や作者の本質は本の中にある」というのはその通りだろう。では、何故「帯」があり、その帯に超大物人物たちの名が並ぶのだろう。冒頭の帯に名のある人たちは、いずれも「壁を突破してきた人たち」という印象だ。既存の枠組みを乗り越え、新たな価値や新たな仕組みを創造した人たち。尊敬に値する。しかし、彼らは既に「権威的な領域に入ってきた人たち」でもある。

 彼はその臭いを嗅ぎ分けられていない。芸人の彼が自身の領域を拡大していく過程で、権威的な人々にサポートを受けていることが、1冊の本の帯に明示されているように思う。

 そのことは、残念ながら彼自身が突破者ではなく、彼らの「コンテンツ」であることの証だと思う。曲解だろうか。

 「一流ミュージシャンが奏でる“ファンファーレ”では“革命”は起きないだろう」というのが、自分の考えだ。

2018年11月29日 (木)

貞観堂(柏崎市)

 仕事で訪れた柏崎市高柳町(旧刈羽郡高柳町)。そこで何度かUターンを繰り返しているうちに、見事な庭園の前に出た。

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 貞観園は江戸時代中期に造園された京風庭園で、江戸幕府の庭師・九段仁右衛門、茶人・松村宗悦らが造園にかかわったとされる。中心となる貞観堂は築200年を超え、庭園に広がる苔が見事だという。

 当日は月曜で定休日。しかも今シーズンは明日で閉園となる模様。苔は庭園内にとどまらず、庭の前を流れる小川に架かる橋や石塀にも(写真)。

 柏崎市高柳町岡野町593 ℡0257-41-2100 開園期間・時間:6月1日~11月30日 9時~17時 定休日:月曜 入場料:大人500円 子・中学生250円 詳細はHP http://teikanen.jp/ 

2018年11月28日 (水)

七転び八起き

 昨日は高崎へ。わずか10日の間に2度目の高崎。縁あって「高崎だるま」にふれ合う機会を得た。製造現場はこの時期が最盛期。

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 以下は「群馬県達磨製造協同組合」HPから抜粋して引用

 高崎市豊岡・八幡地域を中心に、だるまづくりが始まったのは、今から200年以上も前のこと。群馬県(上州)は昔から、養蚕が盛んな地域。蚕(かいこ)は繭(まゆ)を作るまでに4回脱皮を繰り返す。その蚕が殻を割って出てくることを「起きる」といい、養蚕農家ではその言葉にかけて“七転び八起き”のだるまを守り神として奉り続けてきた。また、上州は紙を張る、色を塗るというだるま作りの行程で、上州名物の“からっ風”と乾いた空気が、だるま作りに適していた。高崎だるまは、職人の技と上州の風土が生み出した芸術作品といえる。

 良く見るとだるまの顔は「眉毛が鶴、鼻から口ヒゲは亀」を模している。だるまは転がしてもすぐに起き上がる「七転び八起き」。重心の安定は心の持ち方を示し、どんな困難にも対処できる落ち着いた心と忍耐力を表しているという。「だるまの文化」は大切にしたい心の文化でもある。

 高崎だるま市 平成31年1月1日・2日 10時~16時 高崎駅西口駅前通り

2018年11月27日 (火)

朔風

20181127 朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)

 朔(さく)は北の方角という意味で、朔風(さくふう)は北風のこと。木枯らしが吹き、木の葉を払う頃。

 この時期、街を歩いていると、木の葉だまり、落ち葉だまりになっている場所がある。地形や町の造り、家屋の並び、その季節の風向きなどで、どうしても落ち葉などが吹き溜まってしまう。収集車などで清掃している姿を見かけるが、とてもすべては手が回らない。

 あの落ち葉はどこへ行くのだろう。落ち葉の行方は北風の行方。

 入管難民法などの改正案が自民党、公明党、日本維新の会などの賛成多数で可決され、衆議院を通過した。入管難民法の改正は産業界の人手不足に対応するため、外国人労働者の受入拡大を推し進めるもの。単純労働者の受入、実質的に「永住」に道を開く等、日本社会の一大転換点となる重要法案だ。

 あまりにも拙速な議論。日程ありきの審議。産業界への賃上げ要請とバーター取引であることは容易に想像できる。

 野党もメディアも、朔風に吹き飛ばされてしまった。

2018年11月26日 (月)

歴史的な名馬

20181125 アーモンドアイ(父ロードカナロア)は夏の新潟競馬場でデビューしている。アーモンドアイの戦績は6戦5勝だが、唯一の敗戦がそのデビュー戦だった。先行した馬を捕らえきれなかった。

 3歳牝馬の彼女は昨日のジャパンカップ(GⅠ東京競馬場 芝2,400㍍)を日本レコード 2分20秒6 で駆け抜けた(世界レコードという報道もある)。

 2017年8月6日の6レース(芝1,400㍍)でデビューした彼女について、自分のブログでは一言も触れていない。

   http://kasa.air-nifty.com/blog/2017/08/2017-f55a.html

 2010年8月14日に同じ新潟競馬場でオルフェーヴル(父ステイゴールド)がデビュー戦に勝利した日、競馬サイトに「未来のダービー馬を目指せ」と投稿し、後に彼が“新潟デビュー馬の3冠馬”となったことを誇らしく思ったことがあった。今回のアーモンドアイに関しては、彼女に失礼なことをしたと思っている。

 このブログでは競馬のことを記すことが多いが、自分が新潟競馬場デビュー馬や初勝利馬の“新潟馬券”を買うこと、応援していることも記している。同じ日の別のレースでデビューしたロックディスタウンやタイムフライヤーを応援して来たのに、この面でも彼女には悪いことをしたと思う。

 ジャパンカップの勝利と記録は歴史的な1勝。レイデオロ(父キングカメハメハ)が勝った天皇賞を今年のベストレースと記したが、ジャパンカップはそれを上回る衝撃的なレース。これで彼女の戦績は7戦6勝になった。来年は凱旋門賞挑戦だろうか。彼女は世界的な名牝から、歴史的名馬への道を歩き出した。

 しかし、牝馬である彼女は既に競走馬としての折り返し点は過ぎたと言っていい。これからも能力・走力・体力はまだまだ伸長しても、彼女の勇姿を見られるのは多くてもあと5戦というところだろう。あと1年だ。

 2019年は“新潟デビューの世界最強牝馬”、いや、“世界最強馬は新潟デビュー”という夢に酔いしれたい。

2018年11月25日 (日)

ぶらり途中下車のラーメン

 テレビ新潟(TeNY)で毎週日曜11時40分から放送されている「新潟一番サンデープラス」。この番組で定期的に特集・放送されるシリーズ「ぶらり途中下車のラーメン」を楽しみにしている。

 県内のローカル線を丹念に巡り(本当に乗車しているかは不明)、土地土地(駅々)のラーメン店を紹介していく。これまで信越本線編や弥彦線編が放送され、今日は飯山線の3回目だった。

 ラーメンの紹介は各地のミニコミ紙や雑誌、ラーメンを特集した本やクーポン券が付属しているもの等、様々ある。しかし、ラーメンの温度、店や店主の雰囲気などの情報は映像でなければなかなか伝わらない。

 番組で取り上げられる店、ラーメンは誰もが知っているような有名店ばかりではない。家族経営の零細店舗、地道な料理人、“ラーメン職人”たちの姿などが映され、ラーメンを取り上げているようで、実は「人」を描き出している。

 全てのラーメンには、土地の食文化があり、食べてもらうためのアイデアがあり、作り手の歴史と想いがある。少々大げさだが、このシリーズを見ていると食欲よりも幸福感を感じる。

    番組のHP https://www.teny.co.jp/1ban/

2018年11月24日 (土)

ネットリテラシー

 インターネット上にはあることないことが話題に上り、フェイクニュースの類も絶えない。冷静さを欠いたヒステリックな書き込みのほとんどは、自らは姿を現さず、その言葉は闇から放たれる。

 しかし、そんな過剰な意見にも、同意を意味する数万の「いいね」がカウントされている。その数は同意しない数の100倍だ。もちろん、すべての書き込みやコメントに100倍差がつくわけではない。逆に常に拮抗するわけではない。

 生まれた時からパソコンがあり、インターネットに触れ、物心ついた時からスマートフォンがあり、インターネットを利用した買い物、ゲーム、コミニュケーション・ツールに馴染んだ世代が社会を構成している。

 「ネットリテラシー」は「インターネット・リテラシー」の省略で和製英語。リテラシー(literacy)は読み書きの能力のこと。昔(大昔?)は、“読み・書き・そろばん”がリテラシーだったとすれば、これに外国語とパソコン、そしてネットリテラシーが加わったものが現代の“読み・書き・そろばん”という時代だろう。

 しかし、日常生活でインターネットを何気なく使っているだけでは、それらを会得していくのは難しい。つまり、家庭では難しいだろう。その能力の不足は、思わぬ形で、自らを被害者や加害者にすることがある。社会が、大人達が“悪いお手本”になってはいけない。

2018年11月23日 (金)

偶合か

 企業のガバナンスやコンプライアンスが問われる事件へと発展した日産自動車の外国人会長による巨額の報酬隠蔽事件。

 数ある報道の中で、ある“指摘”に唸らざるを得なかった。

 日本航空、オリンパス、カネボウ、東芝、スルガ銀行、そして日産自動車

 これら過去に粉飾決算等による事件を起こしたことがある企業が、同一の監査法人を使っているという指摘。

 当該監査法人は、「4大監査法人」の中で、上場企業のうち最も多くのクライアントを有しているというから、確率的にそうなることはやむを得ないのだが…。

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